「そっと」に込められた思い
「あんまり無理しないで」
何かを頑張る人に対してのやさしい気遣いとして、この言葉をよく耳にします。
ですが、「無理をする」ことそのものは己の限界に挑戦して何かを成そうとしていることなので、その行為自体はむしろ推奨されることでしょう。
問題はその塩梅です。
「無理をする」ということに対して、やり過ぎてしまうともちろん心身に支障がきたすので避けなければなりませんが、かと言って全くしないというのも成長に繋がりません。
そこで「無理をする」ことに向き合ったときに、「そっと」という枕詞をつけると気負わずに自然体でいて、自身にとって適切な塩梅で物事に取り組めるのではないか。
そんな人生においての価値観を100年かけて築き上げてきた著者の考え方に触れられるのが、今回ご紹介する『そっと無理して、生きてみる 百歳先生の人生カルテ』です。
著者の経歴
著者の高橋幸枝さんはこの書籍が出版された2017年に100歳を迎えました。
当時100歳を超えても精神科医としての職務を全うしていましたが、その3年後に亡くなられてしまいました。
本書の中でも著者の経歴に関して触れられていますが、それは波乱万丈の人生でした。
27歳まで中国でタイピスト(タイプライターを使って文書を作成する職業)として海軍省で勤めていましたが、尊敬する牧師の方の下で働きたいと思い退職、その方の下で1年間ほど働いた後にその方から医者になることを勧められて医者になることを決意、日本に戻り翌年に医学の専門学校を受験し見事合格します。
その後医師国家試験に合格し病院で勤務したのち、50歳で病院を開院し院長に就任して当時100歳になってもその医院に勤務し続けていました。
90代の頃には精神障害のある方に就労機会を提供する場所としてベーカリーを開店し、その2年後にはケアセンターを開業していたりと、年齢を重ね続けても常に新しいことに挑戦し続けていました。
新しいことに挑戦しようとすると気後れするのは誰もが経験したことがあると思います。
ですが、なぜ著者はそんな感情を乗り越えて常に挑戦し続けることが出来たのでしょうか。
年齢は新しいことを始める障害にならない
本書の「やらないよりもやって失敗した方がいい」の章では、「私はこれまで常にチャレンジしてきたつもりです。」という前置きの文章から始まり、最後はこのような文章で締めくくられています。
生きている限り人生にタイムリミットはありません。
やり残したことがあるなら、今から始めてみませんか。
何歳だろうと、始めるときがいちばん若いのですから。
(『そっと無理して、生きてみる 百歳先生の人生カルテ』より引用)
大人になると何かを始めようとするときに、年齢のことがまず頭によぎります。
「この年齢になってから、今さら自分の夢を追うなんて恥ずかしい」とか「今からこんなことを始めても遅いんじゃないか」などの思いでがんじがらめになって、動けない大人がたくさんいます。
周囲に笑われたらとか見下されたらとか、悪い意味で自分のことよりも相手のことが気になってしまうのです。
そんな思いが生まれてしまうのは日本は基本的に縦社会なので、年配者が若年者に教えを乞う場面が受け入れられないという背景があるからでしょう。
しかし、著者が何歳になっても新しいことに取り組み続けられたのは、「始めるときがいちばん若い」という考えがあったからです。
「実るほど頭が下がる稲穂かな」という言葉の通り、百歳になってもおごらず、常に相手に敬意を払い謙虚な気持ちで物事に向き合う姿勢が本書の文章を読んでいても強く伝わります。
そして私達も同じ考えを抱き、その方向に向かって進むことが出来ます。
なぜなら、人生の先輩として100年歩んできたその道のりから手本を見せて貰い、その背中を追い続ければいいだけなのですから。
あなたが若さを経験してみる最初の第一歩として、この本を読んでみてはいかがでしょうか。
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