悩みの話し方は人それぞれ
人に悩みを話すということは、特別なことではありません。
カフェや居酒屋に行けば、悩みを打ち明け合っている人たちの姿をよく見かけます。
しかし、同じように悩みが話されていても、その様子を他人が目にすることが出来ない場所もあります。
それが「カウンセリング」です。
名前は知っていますし、「深刻な悩みを抱えた人がカウンセラーに話をすること」くらいの大まかなイメージも持っています。
ですが、その中身については正直なところ、あまりよくわかりません。
カウンセリングには、相談者のプライバシーを守るために情報を外部に持ち出さない守秘義務があります。
そしてこの守秘義務を守るためにこそ、カウンセラーと相談者の二人だけの、クローズドな空間でカウンセリングは行われます。
当然のことではあるのですが、この「見えなさ」こそが、カウンセリングで何が行われているのかを一層わからなくしている面も否めません。
得体の知れないものを「怪しい」と感じてしまうのは、人間の自然な心理です。
では、カウンセリングでは実際に何が行われているのでしょうか。
その実体さえわかれば、カウンセリングに対する漠然とした不信感は消え、人に悩みを話すことにも、カウンセリングを利用することにも、ためらいがなくなるはずです。
今回ご紹介する『カウンセリングとは何か 変化するということ』は、知っているようで実はよく知らないカウンセリングの世界を、一から学べる一冊です。
いつも本サイトを訪れて記事を読んでいただき、ありがとうございます。
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カウンセリングは魔法ではない
カウンセリングは基本的に、話し言葉だけでやり取りが行われます。
メモを取ることはあっても、その場で目に見えるのはほんのわずかな部分だけです。
目に見えないのに、そこでは確実に何かが起きている。
その様子を、本書の著者である東畑開人さんは「マジカルなもの」と表現しています。
著者がカウンセリングと初めて出会った時の印象について、本書の『まえがき ふしぎの国のカウンセリング』では次のように語られています。
もう20年以上も前のこと。
大学3年生になって、ようやく臨床心理学についての専門的な勉強が始まった時、僕にはカウンセリングという仕事がマジカルなものに見えていました。
2人きりの密室に籠もって、何やら話をする。
夜見た夢を報告したり、絵を描いたり、箱の中におもちゃを置いたりもする。
実際に何がなされているのかは授業を聞いてもよくわからない。
でも、そういう時間を通して、人は確かに変化するらしい。
まるでふしぎの国。
面接室のドアの向こうでは、心という目に見えないものを扱う魔法みたいなことが行われていて、その一室で一定期間を過ごすことで人間はなぜか変化する。
学部生の頃の僕は結構熱心に勉強していたはずなのですが、いくら本を読んでもその印象が変わることはありませんでした。
ですから大学院に進学し、実際にカウンセリングのトレーニングが始まった時には高揚感がありました。
先生達は大魔導士のように見えたし、先輩達はいっぱしの魔法使いのように見えました。
自分は魔法使い見習い、ちゃんと修行をすれば心という不思議なものを扱う不思議なやり方を習得することが出来るはずだ。
そんな夢みたいなことを思っていた。
もちろん、大いなる勘違いでした。
大学院でのトレーニングを終え、臨床心理師という資格を取り、僕はカウンセラーとして働き始めました。
学校でスクールカウンセラーをしたり、精神科クリニックで心理師として働いたりしました。
離島に派遣されて、発達相談の仕事をしたこともあった。
今は東京で自分のカウンセリングルームを開業して生計を立てています。
そうやって、なんとかかんとか一応は一人前のカウンセラーになったわけですが、もちろん僕は魔法使いにはなりませんでした。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
カウンセリングが主に扱うのは、目には見えない「言葉」です。
それなのに、目の前の人が確かに変化していく。
学生だった著者がそれを「魔法のようだ」と感じたのも、無理のないことでしょう。
では、一人前のカウンセラーとなった今、著者はカウンセリングをどう捉えているのか。
文章は次のように続きます。
僕が毎日しているのは、魔法とは似ても似つかぬものです。
ものすごく現実的で、常識的で、地道な試行錯誤の繰り返しです。
カウンセリングはマジカルなものではなく、リアルなものである。
異世界ではなく、世俗でなされるものである。
それは非日常的な営みではなく、日常の延長にある。
ふしぎの国のカウンセリングは、普通の生活や人生の地続きにある。
これがこの本のコンセプトになります。
カウンセリングという専門的な営みで行われていることを、読者であるあなたの心に日々起きていることと連続するものとして語ってみようと思うのです。
とはいえ、告白すると僕は今でも時々、カウンセリングに不思議を感じることがあります。
それはおそらく、僕らの生活や人生に潜んでいる不思議であり、心というものに備わる不思議なのでしょう。
ただ、これについては一通り全体を見てから、最後に述べることにしましょう。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
「カウンセリングは、普通の生活や人生の地続きにある」と著者は言います。
魔法のように劇的に何かが変わるのではなく、現実的で地道な試行錯誤の積み重ねによって、少しずつ変化していくものだということです。
では、その「カウンセリングとは何か」を、もう少し具体的に見ていきましょう。
カウンセリングとは何か
さて、カウンセリングとは何か?
大それたタイトルに聞こえるかもしれません。
実際、野心的な企てだと思っています。
というのも、この本はカウンセリングの全体を描き、そして原理を書こうとしているからです。
これまでもカウンセリングについての本は無限に書かれてきました。
技術書もあれば、理論書もあります。
一般的な啓発書だってある。
だけど、それらは基本的には学論でした。
特定の学派、精神分析や認知行動療法などのやり方や、特定の問題、うつやトラウマ、不登校などへのアプローチ。
あるいは特定の現場、学校や病院など、でのカウンセリングについて精密で高度な学論が目を眩むほどに書かれてきた。
このことは専門性の蓄積としては素晴らしいことなのですが、問題は多種多様なカウンセリングがまるでネットショップの検索結果の様にバラバラに陳列されるようになったことです。
言わば、大量の部分だけが並べられて、全体が見えなくなった。
そして、それらの学論は相互に矛盾することをしばしば言うから、誰も原理を把握できなくなった。
本文の中で詳細に説明しますが、これがここ30年の臨床心理学の情勢でした。
カウンセリングとは何か?
誰にもわからなくなった。
ユーザーも、一般市民も、そして当の専門家さえも。
カウンセリングの全体と原理がわからない。
その結果、日本社会では未だに、カウンセリングはふしぎの国のままに留まっています。
戦後のカウンセリングの導入からすでに80年の歴史があり、病院や学校、役所や会社、あるいは刑務所まで社会の様々なところでカウンセリングは広く行われているにも関わらず、カウンセリングで何がなされるのか、そこで何が変化するのかよくわからない。
欠けているのは言論です。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
「カウンセリングとは何か」という問いに、誰も明確な答えを持ち合わせていませんでした。
もちろんカウンセリングに従事している人たちは、それぞれ自分なりの答えを持っているでしょう。
ただ、専門分野が違えば見えている景色も違うので、意見が食い違うのも当然です。
では、カウンセリングという営み全体を見渡すには、どんな視点が必要なのでしょうか。
著者は二つの視点からカウンセリングを見ることを勧めています。
カウンセリングとは何か?
心とは何か?
心の問題とは何か?
心が変化するということは、いかにしてなされるのか?
大掴みで全体を俯瞰し、そして原理を抽出するような知的作業が必要です。
学論たちを俯瞰して、言論を生み出さなければならない。
カウンセリングとは何か。
この大それた企ての為に、この本で採用した視点には二つの特徴があります。
一つは社会からのまなざしであり、もう一つは変化するということへの注目です。
この二つは相互に絡み合っています。
まず、この本ではカウンセリングを専門家のものではなく、ユーザーのものとして語ることを試みました。
つまり、臨床心理学から見たカウンセリングではなく、社会にとってのカウンセリングを語ろうとしたということです。
そう、視点を社会の側に置く。
冷蔵庫とは何か?
これを専門家サイドから語ると、「コンプレッサーがどう」とか、「冷媒ガスがどう」とかという話になりますが、ユーザーサイドから語ると、「麦茶をおいしく冷やし、肉を保存し、氷を作るものだ」という話になります。
さらには食べること、料理すること、備蓄することという人間性の根源に関わる話にまで発展するかもしれません。
同じような眼差しでカウンセリングを語ってみたい。
カウンセリングとはいかなる歴史的要請から出現し、実際にいかなる社会的機能を果たしているのか。
カウンセリングは人間のいかなる苦悩を扱い、引き受け、人間に何をもたらすものなのか?
この次元でカウンセリングを考えてみたい。
その為に、この本では医療人類学という学問の力を借りることになります。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
一つは「社会からのまなざし」、つまり専門家ではなくユーザー側から見た視点です。
冷蔵庫の例えの通り、私達が知りたいのはコンプレッサーや冷媒ガスの仕組みではなく、それを使うとどんな恩恵があるのか、という話です。
本書がカウンセリングを利用する人を「クライアント」でも「患者」でもなく、あえて「ユーザー」と呼んでいるのも、専門的な枠組みからではなく、利用者が選び取る社会的サービスとして語りたいという姿勢の表れです。
そしてもう一つの視点が、「変化するということ」への注目です。
とはいえ、抽象的な話をしようというわけではありません。
カウンセリングとは実務であり、常に具体として存在するものです。
ですから、今カウンセリングに通っているユーザーや今後利用を検討している人、そしてご家族や知人の方にカウンセリングを勧めたいと思っている人たちが、「カウンセリングとは何か」を理解し、具体的にどのように使えばいいのかが分かるように書きました。
もちろん、専門家たちの日々の仕事に役に立つようにも書かれているはずです。
そのような具体的な話を通じてカウンセリングの原理、そして人間の心というものの普遍的な働きを取り出そうとするところにこの本の特徴があります。
個別から普遍へ、実務から原理へと至ろうとするのが、臨床の地の伝統です。
これを踏襲することにします。
もう一つの特徴は、本書の副題である「変化するということ」にあります。
冷蔵庫の本質が食物を保存することにあるように、カウンセリングの本質は人が変化するということにある。
生活が危機に陥る時、あるいは人生が行き詰まる時、この2つの区別が本書の骨格になります。
人はカウンセリングを訪れます。
そこで話し合いがなされ、生活は変わり、人生が変化する。
ここで生じる変化こそが、僕が諸学者だった時に魔法に見えたものであり、カウンセリングが社会的にふしぎの国に見える理由です。
人が変わるとはどういうことか、何が変化するのか?
そして何によって、いかなるプロセスを通じて変化するのか?
これらのブラックボックスになっているものたちについて専門知のロジック、つまり冷蔵庫におけるコンプレッサーや冷媒ガスの世界、によってではなく人々が日常を生きることの事例から考えてみようと思います。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
カウンセリングの本質は、人が変化することにあります。
とはいえ、その変化がどう起きるのか、そして変化を起こす側であるカウンセラーがどんな存在なのか、私達はまだほとんど知りません。
まずはカウンセリングとカウンセラーの種類から、順に見ていきましょう。
本書の『第1章 カウンセリングとは何かー心に突き当たる』の『カウンセラーとは何者か』では、次のように説明されています。
無料のカウンセリングと有料のカウンセリングの違い
現場について、1.無料の場合。
もう一つ重要なのが、カウンセリングがなされている場所、つまり現場の問題です。
社会のどこでカウンセラーは働いているのか、どこに行けばカウンセラーに出会えるのかの基礎知識を説明しておきましょう。
これはカウンセラーの専門性を考える上でも重要です。
働いている現場によって、カウンセラーは違う鍛え方をしていくからです。
例えば、少年院で働くカウンセラーと企業のカウンセリング室で働くカウンセラーでは違った専門性を持っていて当然です。
現場ごとにカウンセリングは異なる。
これを考えるときに、無料と有料というお金のあり方で見ると理解しやすい。
意外に思われるかもしれませんが、日本で圧倒的に多いのは無料のカウンセリングです。
といっても、ボランティアとかそういうことではなく、学校や病院、会社や刑務所、役所などの組織で提供されているカウンセリングのことで、その時お金を払っているのは組織です。
スクールカウンセラーだったら国や地方自治体から給料を貰っていて、学校の児童、生徒や保護者の負担分はゼロです。
無料だからといって、質が低いわけでは全くありません。
むしろ日本では、多くのカウンセラーが組織に雇われる形で働いているので、そういう組織でベテランになっているカウンセラーは経験豊かで、技量が高いことが多い。
ですから、もし何か心の問題で困ったことがあったならば、まずは所属している組織の相談窓口に連絡するのがいいと思います。
日本でもカウンセリングはかなり広まってきていて、とりわけ公共機関では多くの場所でカウンセラーが働いています。
ただし、組織で行われるカウンセリングはお金を払っているのがその組織なので、あくまでその組織の目標に役立つ範囲でなされるという限界もあります。
スクールカウンセラーで言えば、学校に通っている子どもの問題に関わる範囲で。
例えば、家の子供への関わり方とか。
保護者との相談がなされますが、その保護者の個人的な悩み、極端なことを言えば不倫関係を巡る悩みについては、「学校の外でお金を払ってちゃんと相談した方がいいですよ」と勧めることになると思います。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
日本では実は、有料より無料のカウンセリングの方が多数派です。
学校や職場にカウンセリングが導入されることが珍しくなくなった今、心当たりのある人も多いのではないでしょうか。
無料だからといって質が劣るわけではありませんが、「あくまでその組織の目標に役立つ範囲で」という制約があるのも事実です。
では、有料のカウンセリングは何が違うのでしょうか。
現場について、2.有料の場合。
これに対して、有料のカウンセリングの代表格が僕が普段仕事をしているような開業カウンセリングルームです。
これはフロイトやユングが行っていた古式ゆかしい業態で、日本でも最近だいぶ増えています。
自分で部屋を開設して、カウンセリングを提供する場所のことです。
ユーザーから直接お金を貰い、そのお金で経営を成り立たせているので、純粋にカウンセリングだけを実践したい人が開業していることが多く、何らかの学派の専門性に深くコミットしている人も少なくない。
当たり前のことですが、お金を払っているのはユーザーなので、そのカウンセリングはユーザーの個人的なニーズを絶対的な中心として行われます。
不倫のようなプライベートな相談はもちろん深刻な問題として扱われますし、「何のために生きているのかを考えたい」というような極めて個人的な問題の対象になります。
何事もそうなのですが、誰がお金を払っているのかを考えることで、そのサービスが最終的に何を目指すものであるのかが分かります。
傾向としては、組織がお金を払っている場合には公共的な目標、病気の回復や社会適応が優先されやすく、ユーザー本人がお金を払っている場合には個人的な目標、プライベートな価値観や人間関係が扱われやすくなります。
前者ではカウンセリングは行政サービスとして提供されていて、後者は市場サービスとして購入されるカウンセリングと表現することも出来るでしょう。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
誰がお金を払っているかによって、扱われる悩みの範囲も、目指すゴールも変わってくる。
無料と有料、どちらが優れているという話ではなく、それぞれに役割の違いがあるということです。
こうして「人と人が話をする」という営みを職業にしているカウンセラーは、世間からどんな目で見られているのでしょうか。
同じ章の『人が人に話をすることの普遍性』から、世間一般のカウンセラーに対する印象について次のように語られています。
カウンセリングは怪しい?
カウンセリングの本質を「人が人に話をすること」に見るのであれば、実際に指摘の通りではあります。
悩みを抱えている人が日常生活で他人に相談するというのは、ごくごく普通のことでほとんどの人が一度は経験したことのある営みであるはずです。
学校や職場、居酒屋やバーで、家族や友人に対して、あるいは上司や店主に対して。
自分の話をしたり、アドバイスを求めたりする。
そのことで多くの悩み事は解決されます。
現実的に助けてもらえることもあるでしょうし、誰かが心配してくれている事実そのものが孤独を防ぎ、勇気を与えてくれます。
人が人に話をする。
そこにあるつながりが心を支え、問題を緩やかに解決していく。
人は人との繋がりの中で変化していく。
これは古の時代から今日に至るまでの、揺るぎない普遍的な事実です。
そしてここに、「カウンセリングが怪しい」と言われる所以がある。
人々が日常生活の一部として無料で行っていることを、職業としてお金をもらってやっている。
確かに詐欺師みたい。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
「人に悩みを話すことは、本来誰もが無料でやっていることのはずだ」。
そう考えると、それをお金を取って商売にしているカウンセリングを「怪しい」と感じるのも、一理あるように思えてきます。
ここまで著者は、あえて「カウンセリングは怪しい」という側の言い分に、一度とことん寄り添ってみせています。
あなたも記事を読む前までは、同じように感じていたかもしれません。
その感覚は、カウンセリングで実際に何が行われているのかがよくわからないからこそ生まれるもので、至って普通の反応です。
では、カウンセラーは本当に詐欺師なのでしょうか。
著者は、はっきりと「違う」と答えます。
その理由について、同じ章の『非常時の心』では次のように述べられています。
ですが、実は違う。
人が人に話をする。
この当たり前の日常が成立しなくなってしまう時があるからです。
いろいろなパターンがあります。
悩みを打ち明ける相手がいない場合もあるし、悩みを打ち明ける勇気が出ない場合もある。
打ち明けようとしても、自分でも何が問題か言葉にならない時があるし、たとえ打ち明けることが出来たとしても話が理解されない場合だってある。
いずれにせよ、人が人に話をすることが不全に陥ることがある。
そういう時、心は非常時になります。
心の非常時とは、周囲から理解されにくい状態になり、孤立し、孤独になってしまう状態のことです。
この孤独の苦しさに対処しようとして、余計に周りからは理解されにくい行動が取られたり、言葉を吐いてしまったりする。
すると、孤独はエスカレートしていきます。
いわゆる心の病というのは、煎じ詰めて言えば、この悪循環しながらエスカレートする孤独のことです。
統合失調症にしても、うつにしても、それぞれに状態像は異なるにしても、周囲から言動が理解されにくくなり、そのことで余計に苦しみが増幅していくという点で共通しています。
あるいは不登校などの問題でも、周囲が良かれと思って関わることがかえって本人を傷つけてしまうということが起こります。
こういう時に専門家が必要になります。
非常時の心を理解し、心が必要としているケアを提供すること。
これをするために専門的なトレーニングを受けたカウンセラーの出番がやってくる。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
打ち明ける相手がいなければ、人は孤独になります。
そして孤独になると、一人で抱え込んだ悩みの重さに押しつぶされそうになりながら、日々を過ごすことになってしまう。
このサイトを訪れて、今この記事を読んでいるあなたなら、この感覚に思い当たる部分があるかもしれません。
もし文章を読んでいて心が揺さぶられるようなら、今のあなたの心はまさに「非常時」なのかもしれません。
普通の人の「良かれ」が、かえって相手を傷つけてしまう。
そんな時にこそ、カウンセラーの出番がやってきます。
だからこそ、カウンセラーは決して詐欺師ではないのです。
そして、「心の非常時」を扱う専門家は、カウンセラーだけではありません。
同じ章の『カウンセリングとは何かー縦軸編』では、他にどんな専門家が挙げられているのか、次のように説明されています。
カウンセリングは宗教や占いではない
カウンセリングとは心の非常時を扱うテクノロジーである。
これが「 1. カウンセリングは誰でもやっていることだ」という容疑に対する答えでした。
すると直ちに、「2. カウンセリングは宗教や占いみたいなものだ」という容疑がやってきます。
非常時に対処する専門家がカウンセラーであるとは限らないからです。
この指摘も極めて正しい。
実際、先ほどのクラインマンの図を見るならば、カウンセラーの所属する専門職セクターの隣に民族セクターがあって、そこには宗教家や占い師たちが含まれていました。
心が苦しくなった時、精神科医のところに行く人もいるでしょうし、マッサージに行く人もいるでしょう。
漢方をもらう人もいれば、ジムに行く人もいる。
中には、宗教家にお祓いをしてもらう人もいるでしょうし、占いに通い詰める人だっているでしょう。
そして極めて重要なことは、それらのいずれでも実際に問題が解決したり、癒されたり、時間をやり過ごしたりが可能になることです。
うまくいかない場合もあると思うけど、うまくいく場合もたくさんある。
それはカウンセリングだって同じです。
ですから、「お守りとか水とか売ったりしてるとちゃうんやろな」という親戚のおじさんの指摘には一理あったわけです。
僕とそのおじさんが親戚であるように、宗教や占いとカウンセリング、あるいは精神医学も親戚です。
同じように心の非常時を扱うテクノロジーである。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
心の非常時を扱う「テクノロジー」は、カウンセリングだけではありません。
宗教や占いも、同じように心の非常時に働きかけていると言えます。
「今苦しいのは神様が与えた試練だから」とか、「運勢が悪いから」といった言葉であっても、相手がそれで納得し、前を向けるのなら、それはそれで一つの解決の形です。
著者の親戚のおじさんが「お守りとか水とか売ったりしてるとちゃうんやろな」と訝しんだのも、「カウンセリングも同じようなものではないか」という思いからだったのでしょう。
心の非常時を扱っているのがカウンセリングだけではないと知れば、宗教や占いと同列に見られてしまうのも納得がいきます。
それに、カウンセリングを利用する人は、実は最初からカウンセリングに行こうと思っていたわけではありません。
紆余曲折を経て、たどり着くものです。
同じ章の『心に突き当たる、再び』では、カウンセリングに訪れる人たちの心境について、次のように述べられています。
心は平常時では全ての人が扱っていることです。
自分で自分の問題に対処しようとし、周囲の人に相談して何とかしようとする。
その時、困りごとの原因について様々な仮説が提示されます。
「運動不足のせいじゃないか」
「体の病気なんじゃないか」
「意思が弱いせいじゃないか」
「仕事がうまくいっていないからじゃないか」
そして実際に具体的な対処がなされる。
健康食品を注文したり、医者や弁護士のところに行ったり、ジムで体を鍛えてみたり、スマホを取り上げてみたり、友人に相談したり、いろいろなことが試される。
しかし、うまくいかない。
事態は悪化していく。
そういう時に、ユーザーの視界にカウンセリングが現れます。
心とは突き当たるものである。
最後に姿を現すものである。
縦軸編で見た歴史と同じです。
カウンセリングはワーストチョイスとして選ばれるものではありません。
誰も最初からカウンセリングに行こうとは思わない。
そうではなく、いろいろな可能性を試して、どうしてもうまくいかなかった時に心に突き当たる。
カウンセリングとは、長い長い回り道。
そしてそれは無駄足ではありません。
そうした果てに辿り着くものです。
カウンセリングとは突き当たるものである。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
あなたもこのサイトに辿り着く前に、この引用にあるようなことを一通り試してきたのではないでしょうか。
それでもうまくいかず、このサイトに出会い、今この記事を読んでいる。
そうだとしたら、ここまでのあなたの頑張りは決して無駄ではありません。
その経験があったからこそ、今こうしてここまで読み進めることが出来ているのですから。
この巡り合わせを価値あるものにするために、もう少しだけお付き合いください。
先ほど、カウンセリングは宗教や占いと「親戚」のようなものだという話がありました。
ですが、両者には決定的に違う点があります。
それは、カウンセリングが「話を聞いて終わり」ではないということです。
カウンセリングは話を聞くだけではない
そのことについて、本書の『第2章 謎解きとしてのカウンセリングー不幸を解析する』の『聞くだけじゃない』では、次のように説明されています。
カウンセリングというと、世間では「話を聞いてもらう場所」というイメージがあるかもしれません。
嘘ではないけれど、それが全てではない。
実のところ、このサービスの本質は別のところにある。
確かに僕は日々、大量に話を聞いています。
雨の日も、晴れの日も、ユーザーの話を聞いている。
そして話を聞いてもらうことには、心を支える力があるのも事実です。
でも、話を聞いてもらうだけなら、前章で書いたように友人や家族などの近しい人の方がずっと手応えがあるかもしれません。
あるいは、バーテンダーや親切なご近所さんの方が聞き上手なこともあるでしょう。
時間も無制限だし。
これが容疑1、「カウンセリングは誰でもやっていることだ」でしたね。
すでに疑いは晴らしたはずです。
カウンセラーが専門家であるのは、そういった日常の人間関係では収まらなくなった非常時の心を扱うからでした。
周囲の人たちには理解出来なくなり、自分でもよくわからなくなったところ。
この謎めいた心がカウンセリングに持ち込まれます。
晴れの日ではなく、雨の日の心。
日常ではなく、非常時の心。
これを謎解きして、理解する。
ここに僕らの専門性があり、それを専門用語で「アセスメント」と呼びます。
カウンセリングで話を聞くのは、究極的には理解するためである。
カウンセラーは話を聞くだけで終わりではない。
シャーロック・ホームズが事情を聞くだけ聞いて謎を解かなかったら、ただの野次馬などと同じです。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
相談者が抱えている悩みを、カウンセラーは相談者と一緒に、真正面から見つめようとします。
宗教や占いのように、もっともらしい理由づけで話をそらしたりはしません。
ここが、宗教や占いとカウンセリングとの決定的な違いです。
誤解のないように付け加えておくと、宗教や占いという存在そのものを否定したいわけではありません。
自分の悩みそのものを、どうしても直視出来ない人もいます。
悩みを抱えている時は、それだけ心が弱っている時でもあるからです。
「真正面から受け止めきれないけれど、今のこの苦しさを何とかしてほしい」。
そう思う人にとって、宗教や占いが支えになることもあるでしょう。
ただ、悩みから目を逸らし続けるということは、その逸らした先にあるものに依存し続けるということでもあります。
その点は十分に承知した上で選ぶのなら、それも一つの選択です。
あなたは、自分の悩みに対してどうしたいでしょうか。
ここで一度立ち止まって、考えてみてください。
とはいえ、ここまで文量のあるこの記事を読み進めてきたあなたなら、答えはもう行動の中に表れているはずです。
読み進めようとしているその気持ちこそが、答えなのですから。
では、実際のカウンセリングでは何が行われているのでしょうか。
同じ章の『インテーク面接の役割』では、実際の内容について次のように解説されています。
カウンセリング初回の時間配分
インテーク面接、初回面接と言ったりもするし、病院だったら初診と言います。
カウンセリングに申し込んだ後、最初に持たれる面接のことです。
この最初の出会いの時間に、カウンセラーは大いに専門性を発揮します。
ユーザーの置かれている環境や本人の性格構造、そして問題の経緯を詳しく聴取することで、何によって問題が起きていて、何をすれば良くなるかを明らかにします。
つまり、説明モデルを生成する。
その上で説明モデルをユーザーにきちんと伝えて、今後やっていくことについて合意するのがインテーク面接の役割です。
ここが「話を聞くだけ」という世間のカウンセリングのイメージと大いに違うところです。
カウンセラーは知性を使い、ちゃんと喋らないといけない。
ユーザーに納得してもらい、一緒にカウンセリングをやっていこうという気持ちになってもらうまで持っていくのがカウンセラーの仕事です。
これがこうです。
カウンセリングという営みが成立するかどうかは、この説明モデルの共有の是非にかかっています。
初回でこの一連のプロセスが上手くいかなければ、その後に多大な苦労が待っていますし、結局カウンセリングが中断に終わってしまうことも少なくない。
何の為にカウンセリングをやっているのかがわからなくなるからです。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
カウンセリングは、初動がとても大切です。
インテーク面接がどういうものかをあらかじめ理解しておくだけで、途中でカウンセリングが立ち消えてしまう可能性をぐっと減らすことが出来ます。
有料のカウンセリングであればなおさら、その時間を価値あるものにするために、相談者側も積極的な姿勢で臨みたいところです。
インテーク面接の具体的な時間配分について、同じ章の『インテーク面接の時間構造』では次のように答えています。
ほとんどのカウンセリング期間で、インテーク面接はその後の継続した場合のカウンセリングに比べて長めの時間を設定していると思います。
聞くべきこと、尋ねるべきこと、話し合うべきことがたくさんあるからです。
僕の場合、普段のカウンセリングは45分で行っていますが、インテーク面接は60分で設定しています。
期間によってはもっと長い時間を取るところもあります。
90分とか、120分とか。
あまり長すぎてもしんどい気もしますが、いずれにせよアセスメントをするためには十分な時間が必要です。
さて、僕は60分の時間の使い方を構造化しています。
これは先の説明モデル理論の3要素に沿った時間配分です。
最初の40分が情報を収集して、謎を解析するべく僕の頭をフル回転させる時間です、原因の解明。
その後の10分が、僕なりに謎解きをした仮説をユーザーに分かるように物語る時間で、説明。
最後の10分が、それらに基づいて今後どうしていくのが良いか、戦略を交渉して2人で決める時間になります、提案。
加えて、インテーク面接の前にも時間があります。
カウンセリングを申し込んだ後の約束の日までの時間です。
お見合い、今ならマッチングアプリのアポイント、の前の探り合いの時間ですね。
これも含めると、インテーク面接の時間構想は次のようになります。
- 想像を巡らせる、申し込みから当日まで。
- 情報収集の解析、最初の40分。
- 物語の処方、次の10分。
- 戦略の交渉、最後の10分。
この順番でインテーク面接をつぶさに、分刻みの高解像度で見ていこうと思います。
カウンセラーは一体何を見て、何を考えているのか。
いかにして謎解きを行うのか。
心理学的に理解するとはどういうことか。
さあ、お待たせしました。
インテーク面接へようこそ。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
60分という限られたインテーク面接のうち、40分は情報収集にあてられる、つまり相談者が自分の悩みを話す時間です。
もしあなたがカウンセリングを受けるなら、この40分の中で自分の悩みをカウンセラーに伝える必要があります。
とはいえ、心配は要りません。
この時間配分をあらかじめ知っているのですから、当日までに準備しておけばいいだけです。
このサイトの「悩みを人に話す」カテゴリーには、自分の悩みを人に話せるようになるための記事を数多く掲載しています。
それらを参考にしながら、40分以内に伝えられるように準備を進めておいてください。
誰かに悩みを聞いて欲しいあなたへの記事でも触れていますが、初回のカウンセリングを60分で申し込むことをお勧めしているのも、この時間配分が理由です。
では、実際にカウンセリングはどのように始まるのでしょうか。
同じ章の『想像を巡らせる 申し込みから当日まで』から、カウンセリングの予約について次のように説明されています。
カウンセリングの始まり
カウンセリングはいかにして始まるのか?
「カウンセリングで相談した方がいい」と関係者に強く勧められて、その勢いで申し込みをする人もいれば、長い準備期間をたどる人もいます。
1 年以上、カウンセリングルームのホームページを開いては閉じてを繰り返す人もいる。
その経緯そのものがその人の心の形をよく表しています。
ですが、具体的な出発点は「ユーザーが申し込みを入れた瞬間にある」と言っていいでしょう。
そこからユーザーの人生において、カウンセリングは現実化していきます。
電話をかける場合もあれば、メールを出す場合もある。
病院だったら、医師から案内されて受付で予定調整をお願いするし、学校だったら、担任の先生を通じて申し込みすることが多い。
機関によって、手続きは様々です。
僕のオフィスであれば、ウェブの申し込みフォームを使います。
すると、カウンセリングは始まる。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
思い立ってすぐに予約する人もいれば、なかなか申し込む勇気が出ない人もいます。
この記事を書いている私自身も、実はカウンセリングを受けた経験があるのですが、後者でした。
予約しようとするたびに不安でいっぱいになり、「また今度にしよう」と先延ばしにしたことが何度もあります。
結局、初めて予約したのは、その数か月後のことでした。
もし今あなたが同じように不安を感じていても、何もおかしなことではありません。
カウンセリングを受ける人の多くが通る道であり、かくいう私もその一人でした。
そしてもう一つ、知っておいてほしいことがあります。
カウンセリングは、予約したからといってすぐに始まるとは限らないということです。
予約してから、なかなか会えない理由
実際にカウンセリングを受けられるのは、数週間先になることも珍しくありません。
なぜすぐには始まらないのか、同じ章の『すぐに会えないことの長短』では次のように答えています。
カウンセリングの一番の特徴はすぐには始まらないことです。
病院みたいに突然駆け込んでも、診療してくれるということは出来なくて一対一で、しかも時間が決められている仕事の宿命です。
予約を取ることになります。
予約日を決めるために、ユーザーは何往復か事務的なメールのやり取りをすることになるので、僕のオフィスの場合は予約日までの時間は短くて2週間、長くて1ヶ月や2ヶ月先になります。
すぐに会えないことは不便ですし、不親切に思われるかもしれません。
実際、緊急対応が必要な場合には短所になります。
ですから、「いのちの電話」のような、自殺の危機に対応するようなところはいつでも繋がることが徹底的に重要です。
この繋がりにくさこそが、「カウンセリングが敷居が高い」と言われる理由の一つです。
ただし、悪いことばかりではない。
即会うことには、興奮や混乱を強める側面もあるからです。
そういう時、落ち着いて自分の問題について話をすることは難しい。
カウンセリングというのは、基本的には時間を味方につけるための営みです。
即座に物事を解決するのにはあまり向いておらず、頑張る時もありますが、時間の力を使って心や状況が少しずつ変化していくことを後押しする仕事です。
ですから、予約日までの長い時間というのは、それ自体として時間の力を発動させる仕掛けと言ってもいい。
それは欲求不満が募る時間にもなり得ますが、同時に未来に約束があることによって、ふと我に帰って自分や周囲を見つめ直す時間にもなり得ます。
ですから、この時間をユーザーがどのように体験するかを観察することで、カウンセラーはアセスメントを行います。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
カウンセリングは魔法ではないので、受けたからといってすぐに悩みが消えてなくなるわけではありません。
時間をかけて、少しずつ良い方向に進んでいくものです。
「早くどうにかしてほしい」という気持ちはよくわかりますが、ここは一旦落ち着いてみてください。
焦る気持ちが生まれるのは、今この瞬間にばかり意識が向いているからです。
数週間後にはカウンセリングを受けている自分が確実にいるのですから、その未来に意識を向けてみると、今の苦しさへの意識は少しずつ弱まっていきます。
そのために出来ることは、当日までの準備を整えておくことです。
「カウンセリングまでの時間が長い」と窮屈に感じるより、「それだけ準備に時間をかけられる」と捉え直してみてください。
ここまで何度か「準備が大切だ」と述べてきましたが、中でも特に重要なのが「主訴を書く」ことです。
同じ章の『主訴を書く』では、それがどういうことか次のように説明されています。
カウンセリングを受ける前からカウンセリングは始まっている
さて、インテーク面接の前段階で最も重要なのが、主訴を書くです。
ウェブでのホーム入力にせよ、病院の受付での申し込み用紙記入にせよ、基本的には「相談したいこと」という欄があると思います。
これを専門用語で「主訴」と言います。
自分がどのような問題を抱えていて、何に困っているのかについての主たる訴えです。
主訴はそのユーザーの苦悩の結晶のように毎回思います。
丁寧にこと細かに事情が書かれていることもあれば、ぶっきらぼうに「うつを何とかしたい」と書かれている場合もあります。
前者を読むと、その人のこれまでの大いなる苦難が想像されるし、後者を見ると、頼れない人がようやく誰かに頼ろうとしている切ない試みを感じます。
これもまたアセスメントです。
自分の苦悩を文章にするのは、簡単なことではありません。
苦しい気持ちに思いを戻さなきゃいけないし、嫌な記憶を掘り返さなきゃいけない。
でも、価値はある。
一人で抱えてきたものを、初めて他者と共有するものへと変換しようとするのが主訴です。
それは自分を他者に開き、他者と自分の接点となる文章です。
ですから、主訴を書くことを通じて、ユーザーは自分を振り返り、少し客観視することが出来ます。
これを重視して、僕はホームページ申し込みの段階だけではなく、申込書の段階でもう一度主訴を書く機会を設けてみます。
それこそがカウンセリングでなされる作業の本質であるわけで、申し込みの段階から少しずつ心を考えることが始まっているということです。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
「主訴を書く」という行為は、このサイトで言えば「悩みを言語化する」にあたります。
言葉にするためには自分の悩みと向き合わなければならないので、当然、苦しい作業です。
うまく言葉にならなかったり、書きながら何度も手が止まったりするなら、「悩みを言語化する」カテゴリーの記事が助けになるはずです。
向き合うこと自体がつらいと感じたときは、「心理的な抑圧を緩和する」カテゴリーの記事を読んで、まずは自分の心の状態を整えることから始めてみてください。
主訴を書くのは苦しい作業ですが、そこには確かな価値があります。
それは、他人に頼ろうとする最初の一歩を、あなたが踏み出しているということだからです。
自分一人ではどうにもならないことは、世の中にたくさんあります。
そもそも人間は、生まれたばかりの赤ん坊の頃は何も出来ません。
周りの大人の力を借りて、ようやく成長していく。
それはどんな人にも共通していて、例外はありません。
ただ、大人になるにつれて、そうやって誰かの力を借りてきた記憶を、私達は忘れてしまいがちです。
「自分ではどうにも出来ない時は、誰かの力を借りる」。
それは決して恥ずかしいことではなく、人が生きていく上で欠かせない、支え合いという営みの一つです。
そうやって誰かに頼ろうとしたときに、ふと頭をよぎるのが「人に迷惑をかけるな」という言葉かもしれません。
そう思ってしまうのは、一方的に支えてもらい続けたり、相手に依存しきってしまったりする極端な場面を想像しているからです。
もし今は支えてもらう側だとしても、いつかあなたが誰かを支える側に回ればいいだけの話です。
それにカウンセリングでは、支えてもらった対価としてお金を支払うのですから、あなたもまた、カウンセラーを経済面で支えていると言えます。
だから、後ろめたく感じる必要はありません。
安心して、相手を頼ってみてください。
頼られる側であるカウンセラーもまた、あなたの力になろうと全力を尽くしてくれます。
カウンセラーがあなたの主訴を読んだとき、何を考えているのか。
同じ章の『想像を巡らせる』では、次のように述べられています。
以上、述べてきたようにカウンセラーは申し込み段階から相当巡らせています。
主訴以外には、年齢や性別、住所など分かっている情報はわずかしかないのですが、その範囲で推理を働かせ、仮説的なアセスメントを複数作っています。
同じようにユーザーも想像を巡らせています。
ホームページを熟読したり、ネットを検索したり、時にはカウンセラーの本を読んだりして、カウンセラーがどんな人かを想像しています。
ユーザーもまた、カウンセラーをアセスメントしているということです。
あるいは、自分のこれまでの経緯を振り返ったり、何が苦しいのかを考え直したりして、当日にどのような話をするといいのか想像している。
カウンセリングが始まる前から心は動き始めています。
その意味でインテーク面接に至ることそのものが大きな事件です。
ユーザーには今まで自分の問題を自分で何とかしようと試行錯誤してきた歴史があり、その上で心に突き当たり、専門家の力を借りてみようと思った。
ここで生じているのは、自分ではなく他者を頼ろうとした小さな希望です。
この希望がカウンセリングの出発点に存在している種火であり、大きくなったり、小さくなったりはあるにせよ、カウンセリングの終わりに至るまでを導いてくれる小さなロウソクになります。
ですから、この火が最終的に立ち消えてしまわないように、カウンセラーは注意を払い続ける必要があります。
そうやってあっという間に月日が経ち、そしてその間にもユーザーの身にはいろいろなことが起きて、いろいろな考えが浮かび、そしてインテーク面接の時間がやってくる。
(『カウンセリングとは何か 変化するということ』より引用)
カウンセリングにたどり着くまで、あなたは十分すぎるほど頑張ってきました。
様々な方法を試してもうまくいかず、予約する勇気を出し、自分の悩みを言葉にして主訴を書く。
そのすべてが、カウンセリングを受ける前から始まっている「カウンセリング」そのものだったのだと、今なら実感できるはずです。
私自身もカウンセリングを受けたことがあるので、その道のりの苦しさはよくわかります。
ですが、その苦しさは、あなたがここまで頑張ってきた証でもあります。
他人に頼ろうとして、あなたが懸命に灯したその種火を、どうか大切にしてください。
引用にあった通り、カウンセラーもまた、カウンセリングが始まる前からあなたの気持ちに応えようとアセスメントを重ねています。
本書ではこの先、実際にインテーク面接を受けるユーザーの例を挙げながら、その流れをさらに詳しく解説しています。
もちろん相談者が特定されないよう内容には手を加えられていますが、具体的な事例を知ることで、インテーク面接の様子をより鮮明にイメージできるようになります。
あなたが苦労して灯したその種火を消さないためにも、そしてその火がカウンセリングの終着点まで導いてくれるように、ぜひ本書を手に取ってみてはいかがでしょうか。
本記事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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