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何が正しいのかわからなくなったら、ロールパンナを思い出しましょう『新装版 わたしが正義について語るなら』

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目次

私達にとって正義の原点となる作品

あなたにとって、正義とは何だと思いますか?

ニュースを見れば、悲惨なニュースが毎日のように飛び交っています。

そのニュースを見て憤慨する人がいます。

あなたもニュースを見て、行き場のない憤りを感じたことがあるはずです。

ただ、それは本当に正義と呼べるのでしょうか?

例えば、SNSでは悪質な投稿をすると炎上します。

悪質な投稿をした人はもちろん叩かれるわけですが、叩いている側の弁明では「正義の鉄槌」を下しているのだそうです。

しかし、その鉄槌は本当に「正義」なのでしょうか?

なぜ、法の裁きだけでは気が済まないのでしょうか?

間違えた人や道を踏み外した人に対して糾弾をして、抵抗しなさそうな相手を見下したり、攻撃したい思いが裏には隠れてはいないでしょうか?

この様に私達は何が本当に正しいのか、「正義」について迷う時があります。

正義とは一体何なのでしょうか。

その定義は人の数だけ違います。

さらに、「正義」の反対は「悪」ではなくて、「別の正義」だという意見も見受けられます。

はたして何が「正義」で、何が「悪」なのでしょうか。

「正義」でさえよくわからないのに、そこに「悪」も加わると、ますますわからなくなります。

もしそう思っているなら、正義の原点に立ち返ってみるべきだと私は思います。

私が思う正義の原点は何かというと、「アンパンマン」です。

あなたも子供の頃にアンパンマンのアニメを見たり、絵本を読んだことがあることでしょう。

物心がついた子供が最初に触れる勧善懲悪の物語と言っても過言ではなく、昔から続いて今もなお多くの人達に支持されて人気があるとても有名な作品です。

そのアンパンマンの著者であるやなせたかしさんは、正義と悪についてどの様な考えを持っていて、どの様な思いでアンパンマンの作品を作ったのでしょうか。

アンパンマンを皮切りに、著者の半生を紐解きながら「正義」について語られている本が、今回ご紹介する『新装版 わたしが正義について語るなら』です。

いつも本サイトを訪れて記事を読んでいただき、ありがとうございます。

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やなせたかしさんにとって「正義」とは

本書はタイトル通り、正義について書かれた本です。

アンパンマンの作者としても有名な著者のやなせたかしさんが、どの様な思いで本書を書くに至ったのか、その経緯を本書の『タイトル~はじめに』から次の通り語っています。

僕に「正義について語ってほしい」というインタビューを申し込まれたのがきっかけで出来たのが、この本です。

僕は天才ではないし、優れた知性の人間でもありません。

何をやらせても中ぐらい。

偶然のことに、たくさんの人達に助けられながら、長い間やってきて今があります。

僕は今、90歳。

人生には、後から考えると分かることがたくさんあります。

中学生くらいの時には、正義についてなんて何も考えていませんでした。

夢中で読んでいた本のシリーズの中にヒーローが出てきていたけれど、「カッコイイ」とかそのくらいにしか思っていなかった。

でも、後からアンパンマンを書くようになって、僕がはっきりと伝えたいと思ったのは本当の正義でした。

自分では最初そのことに気づいていなかったけれど、若い頃に兵隊に行って、戦争を体験したことが大きく影響しています。

戦争に行って、正義について考えるようになりました。

今、僕たちが生きている社会は世界の戦争や環境問題、不安な政治、殺人事件、怒りの気持ちになることが毎日起こっています。

でも僕は、多くの人を喜ばせたい。

この本も、僕は皆さんに楽しみながら聞いて欲しいと思います。

正義についてなんて、一言で表せる答えはわからないけれど、僕がアンパンマンやたくさんのキャラクターを描く中で考えてきたことをお話ししてみます。

(『新装版 わたしが正義について語るなら』より引用)

著者のやなせたかしさんは戦争を体験したことで、正義について考えるようになりました。

戦争を体験した著者は「正義」について、どう考えているのでしょうか。

本書の『第1章 正義の味方って本当にかっこいい?』の『どっちが正義で、どっちが悪?』から、著者の考える正義について以下の通り見解を述べています。

戦争で感じた大事なことが、もう一つあります。

それは、正義というのはあやふやなものだということです。

僕が子供の頃は、「天皇は神様である。天皇のために忠義を尽くし、日本を愛しなさい」と教えられていました。

子供ですから、「先生が言えばその通りだろう、それが正しい」のだと思っていました。

21歳で戦争に行った当時は、「天に代わりて不義を討つ」と歌う文化がありました。

「この戦争は聖戦だ」と勇ましく歌う歌です。

僕も兵隊になった時は、「日本は中国を助けなくてはいけない。正義のために戦うのだ」と思って戦争に行ったのです。

でも、聖戦だと思って行った戦争だって、立場を変えてみればどうでしょう?

中国の側から見れば、侵略してくる日本は悪魔にしか見えません。

そうして日本が戦争に負け、全てが終わると、日本の社会はガラッと変化しました。

それまでの軍国主義から民主主義へ。

それまでは天皇が神様だと言っていたのに、急に「みんな平等だ」、「民主主義だ」と言われるようになりました。

民主主義が何かということは、本当はまだ誰にも分かっていませんでしたので、みんな右往左往していました。

僕も状況が飲み込めるまで、ぼんやりした感じでした。

でも、だんだんはっきりとわかってきたことがあります。

正義のための戦いなんて、どこにもないのです。

正義はある日突然逆転する。

逆転しない正義は、献身と愛です。

それは言葉としては難しいかもしれないけれど、例えばもしも目の前で飢えている人がいれば、一切れのパンを差し出すこと。

それは戦争から戻った後、僕の基本的な考えの中心になりました。

正義が何かというのは難しい。

後になってから気がつくことはあるけれど、その時には何が正しいのか分かりません。

昨日まで正しいと思っていたことが、明日には悪に変わるかもしれない。

戦争だって、両方とも光と影があって、絶対的な悪があるのではない。

アラブにはアラブの正義、イスラエルにはイスラエルの正義がある。

「相手をやっつければいいか」というとそうはいかない。

そんな簡単なものじゃない。

このことは、また後で詳しくお話しします。

(『新装版 わたしが正義について語るなら』より引用)

正義とはあやふやで、ある日突然変わってしまうものであることが、上記の引用から読み取れます。

「正義はある日突然逆転する」と表現されているのも心当たりがあります。

SNS上で誹謗中傷されたことが原因で、自殺をしてしまうケースがこの表現に当てはまるでしょうか。

SNS上で炎上するような投稿をした人を集団で誹謗中傷するのが正義の様な雰囲気を醸し出していたにも関わらず、それを苦に誹謗中傷された相手が自殺してしまうと、それまで叩いていた人たちが悪だと、一瞬で立場が逆転します。

これこそ「昨日まで正しいと思っていたことが、明日には悪に変わる」という典型例ではないでしょうか。

誹謗中傷されるような投稿をした人にも、自殺するまで相手を追い詰めた人にも、どちらにも「悪」と呼べる部分があります。

しかし、当の本人達は「これが正しい」と思っています。

SNS上で炎上するような投稿をした人は「これを見た人は面白いだろう」と思っているし、その炎上するような投稿をした人を叩いている人は「相手が悪いことをしているから注意している」と思っています。

それぞれに言い分があって、自分は「正義」だと思って行動したのに、ある日突然「悪」になってしまった。

この様なケースは他にもたくさんあります。

ここまでの説明で、正義とはあやふやなものであることがわかりました。

ここから先は「悪」について、より詳しく見ていきましょう。

著者は自身の作品である「アンパンマン」の登場人物である「ばいきんまん」を例に挙げて、同じ章の『悪を見破るのって難しい』から悪について次の通り見解を述べています。

「悪」と呼ばれる存在の特徴的なところ

ばいきんまんは悪役だけれど、ある面では愛嬌があるんです。

よく変身して登場しますが、皆さんがご覧になると一見してばいきんまんが変身しているとわかるような変身の仕方なんだよね。

例えばジャムおじさんに変身すると、一目でばいきんまんが変身していると分かるのに、みんなが「あ、ジャムおじさん」と騙されてしまう。

なんでわからないのか、作者の僕が何回見ても不思議なくらいです。

アンパンマン側の人は、人がいいのですね。

そういうところが物語としての一種の面白さでもあるけれど、これは実は、現実の世界でも同じことがあるのです。

現実の世界のばい菌は生活の中にたくさんいます。

ばい菌のせいで病気になることだってよくあります。

誰だって病気にはなりたくないから、初めから病気になるとわかっているような、ばい菌がたくさんあるところへは誰も行きません。

でも、ばい菌は一目見て、すぐにはわからない。

「しまった、あの時にうっかり」と思うような時に病気になります。

ばいきんまんを登場させた時に、そこまでの意味を考えていたのではないですが、現実もそうだということなのです。

(『新装版 わたしが正義について語るなら』より引用)

ばい菌は目には見えませんが、肉眼で見えないだけで確かに存在しています。

ばい菌がたくさんいるところは衛生環境が良くないところなど、どこにばい菌が生息しているのか、場所まで私達は把握しています。

ですが、ばい菌は目には見えません。

この「目には見えない」というのが、人の判断能力を鈍らせているのだと思われます。

「悪」はそのことを理解した上で、わざと隠れたり、人目に付かないようにすることがあります。

ばい菌以外にも他の事例を挙げて、著者は以下の通り悪を解説しています。

悪について、もうちょっと考えてみましょうか。

悪い者は、いかにも悪い感じで現れるとは限りません。

我々の社会は、「なんであんなことで騙されるのだろう」ということで簡単に騙されるものなのです。

偽の子供になりすまして電話をして、その親からお金を騙し取る事件があったでしょ。

「自分は絶対にあんなものでは騙されない」と思っていても、あっさり騙されてしまう。

自分がその場に立つと、理性を失ってしまうのですね。

悪を見破るのは、簡単なことではありません。

「騙す」という行為は確かに良くないけれど、騙される側にも信じやすいとか、人が良すぎるとか、ややまずいところがある。

だから詐欺罪は、罪としては強盗傷害や殺人に比べると意外と軽いのです。

だからあっていいかというと、あっては良くないんだけど。

全員真っ正直というわけにもいかないというのが、この世の中なんだよね。

(『新装版 わたしが正義について語るなら』より引用)

偽の子供になりすまして、その親からお金を騙し取る。

今では「オレオレ詐欺」という名称で有名な詐欺です。

以前からオレオレ詐欺という手口があることが認知されていて、警察もオレオレ詐欺に騙されないように注意喚起をしているのにも関わらず、未だにオレオレ詐欺で騙される人がいるくらいです。

それだけ「目に見えない」ことは、人の判断能力を鈍らせます。

「悪」と呼ばれる側はそこを突いてきます。

そしてどう考えても騙す側が悪いのですが、「騙される方が悪い」という身勝手な論理で自分の行為を正当化しようともしてきます。

相手を傷付けようと攻撃してくる上に、防衛までしてくるのですから、正に「悪」質と呼べるでしょう。

自らの快楽の為に自身の良心を傷めずに、標的とした相手だけを傷付けようとする悪という存在。

一見すると、悪は完璧な存在のように見えますが、実は悪にもちゃんと弱点はあります。

悪が持つ弱点とは何かを、同じ章の『ばいきんまんはいい人に弱いんだ』から「ばいきんまん」を例えに挙げて次の通り説明しています。

ロールパンナも私達と同じように悩んでいる

ばいきんまんはよく失敗するんですよ。

現実の世界でも時々、素っ頓狂な犯罪者がいて笑ってしまう時があるんだけど。

ばいきんまんの場合は、何か悪いことをしても全部信じてしまう「正義そのもの」というような人に会うと、時々ダメになる。

いたずらっ子にはそのようなところがありますね。

ばいきんまんもいつも強いんじゃなく、天真爛漫な人、学校の先生みたいな人、それからお尻をペンペンして叱ってくれるような強いおばさんには意外と敵わなくなったりします。

ばいきんまんが逆に感謝されることもある。

この世界でもよくあることでね、やっつけようとして悪いことをしたのに、実は役立ってしまうということが時としてあるんですね。

アンパンマンはそういう部分が、他の正義対悪の物語とはちょっと違うかもしれません。

悪いのにも愛嬌があるし、素っ頓狂で失敗する。

自分では「世界で一番強い」と思っているのに、なぜか負けてしまうんだね。

それはドキンちゃんにも言えることで、ドキンちゃんは自分が美人で、自分を見る人は誰でも自分のことを好きになると思い込んでいるけれども、しょくぱんまんの前では可憐になるんだよね。

そういう人、時々いますよね。

悪人といえども、全部真っ黒の悪人じゃない。

善人にも、悪い魂はある。

悪い人間にも、善良な部分はある。

ただ、悪い奴には悪い分量が多すぎるというだけで、全部真っ黒じゃない。

善良な方も全部真っ白ではありません。

完全に善の人はいない。

もしそういう人がいると、とても気持ちの悪い、付き合いきれない人になるはずです。

(『新装版 わたしが正義について語るなら』より引用)

私達の中には「善」と「悪」が混ざっています。

あなたも「善良な部分」と「悪の部分」の両方を持っています。

少し考えてもらえば、思い当たる節があるかと思います。

もちろん、この記事を書いている私にだって当然あります。

「悪」と呼ばれる存在は、「悪」の割合が多い。

しかし、割合が多いからといって、「善」の割合が全くないわけではありません。

「悪」という存在の中には、単に自分の中の「善」の部分が割合が少ないだけで、自分の中の割合の多い「悪」の部分に負けがちな人もいるはずです。

この様に「善」と「悪」は、いつも私達の心の中でせめぎ合っています。

作者はそこから着想を得て、アンパンマンにあるキャラクターを生み出しました。

そのキャラクターとは誰なのか、文章は以下の通り続きます。

僕は人間のそういう部分も書こうと思っています。

その気持ちがキャラクターになったのが、ロールパンナです。

ロールパンナは、生まれながらに暗い宿命を持った二重人格のキャラクターです。

子供向けの話だからといって、善と悪の対決だけにしたくなかったのです。

ロールパンナについて。

メロンパンナの「お姉ちゃんが欲しい」という願いに応えて、ジャムおじさんはロールパンナを作ります。

しかし、ばいきんまんがこっそりバイキンジュースを混ぜたために、ロールパンナは良い心と悪い心の2つのハートを持って生まれてきてしまいます。

悪い心の時は青いハートが輝いて、ばいきんまんの味方になる。

メロンパンナの声を聞いて、赤いハートが輝くと、良い心になるのです。

僕らはみんな、ロールパンナと同じように良い心と悪い心を持っています。

いつも良い心が勝てばいいのですが、うっかりすると負けそうになります。

さて、ロールパンナは悪い心に勝つことが出来るでしょうか?

「アンパンマンとロールパンナ、フレーベル館監、作者の言葉」より。

(『新装版 わたしが正義について語るなら』より引用)

私はアンパンマンはもちろん知っていますが、ロールパンナというキャラクターは「メロンパンナの姉」くらいしか知りませんでした。

アンパンマンが好きで詳しい方なら上記の引用の内容はすでにご存知だと思いますが、設定を知らなかったり、覚えていなかった方も多いのではないでしょうか。

私は上記の引用を読んでロールパンナに興味を持ち、色々と調べてみたのですが、子供向けのアニメにも関わらず設定が複雑だからか、ロールパンナはアニメにも絵本にも登場する機会が少ないのだそうです。

それにアンパンマンは新しいキャラクターがどんどん増えていって、今や2000以上もキャラクターが存在するのですから、名前は知っていても詳しい設定を知らなかったり、覚えていないというのも無理はないでしょう。

ロールパンナは引用の通り、良い心と悪い心の両方を持って生まれてきたキャラクターです。

「正義の味方」と呼ばれるアンパンマンの味方としては珍しい、「悪い心」を持っていることを自覚しているキャラクターです。

実に人間らしい、アンパンマンの登場キャラクターでは人間味のあるキャラクターだといえるでしょう。

常に「良い心」を持っていてくれればいいのですが、「悪い心」が顔を出して邪魔してきます。

「良い心」と「悪い心」に挟まれて、葛藤する。

私達と同じです。

私達も悪い心に負けそうになったり、時には負けてしまうことがあります。

その度に誰かを傷付けたり、あるいは自分自身を傷付けたりしながら反省して、同じ過ちを繰り返さないようにしています。

「悪」とは、人間であれば誰もが持っているものです。

その「悪」を持っている割合は人によって異なりますが、そういった感性が備わっているのは普通のことです。

例え悪の割合が多くなって、思考が悪に染められたとしても、善の心が完全になくなるわけではありません。

ロールパンナの青いハートが輝いて悪になっても、メロンパンナの声を聞いたら善に戻ろうとするように、どちらかが表に出れば、もう片方は隠れているだけです。

その様に悪人が必ずしも純粋な悪ではないことを、同じ章の『悪い人にも正義感はある』から次の通り説明しています。

「悪」の中にも「正義」がある

世の中には、気の毒だけど悪の役をやらなくちゃいけない人もいるんですね。

狼は悪党の役をやる代表格です。

他の動物を食ってしまいますからね。

でも、そうしないと狼は生きられないじゃない。

手塚治虫のジャングル大帝のライオンのように、昆虫を育てて食べる物語もありますが、ライオンはどんなに優しくても、弱い動物を食べないと生きられないのです。

弱肉強食というのはうまくできていて、自然の中の一つの流れに沿っているのですね。

ネズミやウサギ、シカなどの弱い動物は数が多く、どんどん増えていきます。

そして適当に間引かれて、バランスが保たれていくようになっているのです。

ある程度の間引きは必要枠なんです。

強いライオンが弱い動物を食べているのは悪に見えるけれど、そうしないと増えすぎてバランスが崩れてしまうのですね。

人間にも、悪党役の人がいます。

でも、悪人の中にもある種の正義感はあって、完全な絶対悪というものはありません。

厚生労働省の元事務次官を襲撃する事件がありました。

犯人に犯行理由を聞いてみると、「昔飼っていた犬の仇を討つため」と言ったといいます。

本当のところはわかりませんが、犯人は優しい心だって持っていたのだと思います。

(『新装版 わたしが正義について語るなら』より引用)

記事の冒頭で「正義の反対は悪ではなくて、別の正義」という話をしました。

誰かと誰かが争っている光景を見れば、人は「正義と悪」の二つに分けたがりますが、よく見ると実は「正義と正義」で争っている場合も少なくありません。

お互いに「正義」と呼べる信念があって、その信念同士がぶつかり合っているだけの場合もよくあります。

「悪」の中にも「正義」と呼べるものがある。

「紛らわしい」と思われたかもしれません。

確かに紛らわしいです。

先程、オレオレ詐欺の例を挙げて、「悪は目に見えない」ということを説明しました。

どうやら、悪とは何かを隠したがる性質の様です。

悪が一番隠そうとしているのは、己の本心でしょう。

悪は「本当は自分がどう思っているか」を相手に知られたくないのです。

ですが、本心を隠しすぎて、今度は自分でも見つけられないところまで隠してしまう悪人もたくさんいます。

「素っ頓狂な悪人もいる」と先述した引用で述べられていましたが、悪人と呼ばれる人達はこういうところが抜けているのでしょう。

例え、悪が悪に見えても、全てが悪に染まりきっているわけではない。

著者は自身の違う作品を例に挙げて、そのことについて以下の通り見解を述べています。

僕が書いた絵本に、「チリンのすず」という作品があります。

狼に両親を殺された羊の子供、チリンがその狼に弟子入りして強くなり、最後には復讐して狼を倒す話です。

チリンのお母さんは、チリンをかばって死にました。

狼は、チリンが住んでいた牧場を襲って親を殺してしまった仇です。

でも、チリンが狼に弟子入りしようと、「僕は子羊のチリンです。 僕もあなたのような強い狼になりたい。僕をあなたの弟子にしてください」とお願いに行くと、狼の心の中が「ふわーっ」と暖かくなるのです。

いつもは嫌われ者で、そんなことを言われるのが初めてだったのですね。

チリンは狼の下で毎日強くなるために訓練をします。

3年が経つと、チリンはすっかりたくましく育ち、どこから見ても羊には見えないものすごいケダモノになります。

そうしてある嵐の日、チリンはいよいよ仇を討つために狼を裏切り、鋭い角で狼を突き刺します。

そうすると狼は、「ずっと前から、いつかこういう時が来ると覚悟していた。お前にやられてよかった。オレは喜んでいる」と言いながら死んでいく。

チリンは3年かけて、お母さんの仇を取りました。

ところが、夜が明けた次の日の朝。

チリンは岩山の上で、「僕の胸はちっとも晴れない」とうなだれます。

狼が死んで初めて、狼は先生であり、父のような存在であったことがチリンにはわかったのです。

ものすごいケダモノになったチリンは、もう羊に戻ることはできません。

悪者は、最初から最後まで完全に悪いわけではありません。

世の中には、ある程度の悪がいつも必要なのです。

現実の社会はそういうところが厳しい。

僕は皆さんが社会に出る厳しさを思うと、そういう絵本も読んだ方がいいのではないかと思ってチリンのすずを書きました。

この本は多くの人たちに支持されて、ロングセラーになりました。

(『新装版 わたしが正義について語るなら』より引用)

上記の引用の通り、「チリンのすず」は復讐劇です。

狼に母親を殺された羊のチリンが、親の仇である狼の元で修業をして強くなり、ついには狼を殺して復讐を果たす。

親の仇を取って、本懐を遂げたにも関わらず、チリンの心は晴れませんでした。

それはチリンの心は一時的に悪の割合が多くなっていたからでしょう。

親の仇を取るために狼の元で修行していた時は、「親の仇をとる」という悪がありました。

しかし、それは親の仇を取ってしまうと、その悪は消えてしまうということです。

悪が消えてしまうと、そこに残るのは善だけです。

もちろん、悪が完全に消えることはないのですが、以前ほどの思いの強さは確実になくなります。

そこに今まで鳴りを潜めていた善の心が顔を出します。

心の状態は「善」なのですから、今まで育て上げてくれた狼に対する愛情に気付き、「善」の視点から狼のことを見ることでチリンは「親の仇をとった」という達成感よりも喪失感に苛まれてしまいます。

あなたの心は今、どちらに傾いているでしょうか。

「善」か「悪」か。

心は目には見えません。

それは考えることによって、意識を向けてみることによって初めて見つけられます。

ロールパンナのようにハートが赤色になったり、青色になったりして、視覚で簡単に判別出来るものではないのです。

あなたの心の中の善と悪の割合をあなた自身が正しく認識出来るように、本書をぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

そして「アンパンマンとロールパンナ」の絵本と「チリンのすず」の絵本の商品のURLを以下に記載いたしましたので、もし記事を読まれて興味を持たれた方はこちらも併せて読んでみてはいかがでしょうか。

※「アンパンマンとロールパンナ」と「チリンのすず」はAudibleの対象外の書籍です、ご了承ください。

本記事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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