会話に沈黙が流れるのを恐れた時点で、その会話は成り立たなくなります『こころの対話 25のルール』

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コミュニケーションで躓きやすいところ

あなたは初対面の人と話した内容を覚えているでしょうか。

初対面の人と話すのはこれまでの人生で数え切れないほど経験したことでしょうが、話した内容まで覚えているのは珍しいでしょう。

「緊張してあまりよく覚えていない」ということが多いのではないかと推測します。

初対面の人と話すのはもちろん緊張します。

ですが、その時に「会話が途切れてしまったらどうしよう」と、あなたは過度に会話に沈黙が訪れることを恐れてないでしょうか。

そして「自分が話さないといけない」と思い込み、あなただけが一方的に話してしまった経験があることかと思います。

そんな経験は私自身も何度もあります。

ですが、その会話で沈黙を恐れる思いこそが、コミュニケーションにおいて大きな弊害となってしまう原因になるのです。

では、そんな時はどうすればいいのでしょうか。

今回ご紹介する『こころの対話 25のルール』は、コミュニケーションの基本から立ち返り、コミュニケーションについてわかりやすく解説している本です。

いつも本サイトを訪れて記事を読んでいただき、ありがとうございます。

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コミュニケーションではなくて、言葉が途切れないゲームをしているだけ

著者の伊藤守さんは企業のコーチングに携わる仕事をされています。

コーチングとは、対話を重ねることで相手が自身の掲げる目標に向かって、主体的に行動を起こさせるように導くことです。

著者はコーチングを通して、多くの人に出会い、コミュニケーションの在り方について真剣に向き合い続けてきました。

著者の思うコミュニケーションとは何か、そして本書を執筆した経緯をまえがきで以下の通り述べています。

「自分の内側をどんな感じでいっぱいにしておきたいか?」と、自分に問いかけてみてください。

どんな答えが出て来たでしょうか?

そう、つまるところ私達は安らいでいたいし、ご機嫌でいたいんです。

その方が体の為にもいいことを知っています。

不安や心配、怒りを何とか回避したいと思っています。

しかし考えてみれば一年の内、晴れやかな気持ちや穏やかな気持ちでいられる日なんて何日あるのでしょうか。

丸一日そんな気持ちで過ごせたことがありますか?

車の運転も出来るし、スキーだってまあまあ滑れる。

でも、自分の気持ちは車やスキーほど制御出来ません。

周りの人達の一挙手一投足に揺れているのが現状です。

では、動じなければいいのかと言えば、動じないように自分を抑えるあまり、ネガティブな感情だけでなく、喜びや楽しさも感じられなくなってしまいます。

自分の感じていることを抑え込まずに、それでいて出来るだけいい感じでいるのにはどうしたらいいか。

私はずっと考えています。

最初の内は自分をコントロールしようと思ったのですが、それはあまりにも困難なので諦めました。

そして他の人とのコミュニケーションというものにもう少し注意を向けて、コミュニケーションを自分の意思でコントロール出来るようになったらどうかと考えたわけです。

同じように、普段抑えつけてばかりいる自分の感情や自分の欲求というものの言い分に、少し耳を傾けてみようかと思いました。

それは自分という抽象的な対象よりも、ずっと手ごたえのあるものでした。

また、他人や自分とコミュニケーションが取れるようになることが、自尊心にも繋がることに気が付きました。

人はコントロール出来る範囲が広がれば広がるほど、自分に対する信頼や自信を手にすることが出来ます。

それなら、コミュニケーションは探求し、練習するのに十分価値のあるものでしょう。

(『こころの対話 25のルール』より引用)

ネガティブな感情に動じないようにすると、喜びや楽しさも感じられなくなってしまう。

そこで自分の感情を抑え込まずにいい感じで過ごせるにはどうすればいいのか、著者の辿り着いた答えがコミュニケーションを探求することでした。

本書でのコミュニケーションは他人だけではなく、自分自身との対話も含まれています。

ところで、「コミュニケーションはコントロールが及ぶ範囲である」と著者は考えていますが、あなたにその実感はあるでしょうか。

もし実感が湧かないのであれば、「コミュニケーションをコントロールする」ということに語弊があるかもしれません。

「コミュニケーションをコントロールする」とは、「会話の主導権を握る」ことだと考えてはいませんか?

残念ながら、その考え方は不正解です。

ですが、最初に「コミュニケーションとは、会話の主導権を握ることだ」と思い浮かんだことこそが、実は誰もが無意識のうちにコミュニケーションについてそう考えていることでもあるのです。

それは一体どういうことなのか、本書の『PARTI あなたは聞いていない』の『第1章 あなたは聞かれていない、あなたは聞いていない』で、具体的な例を挙げて以下の通り説明しています。

よく喫茶店で二人の人が小さなテーブルを挟んで話しているのを見かけます。

二人が向かい合って話をするというコミュニケーションの典型です。

基本的に、コミュニケーションにおいては一方が話している時は、もう一方はその話を聞く側に回ります。

そうしてお互いが、話す聞くの両方の役割を交互に持つことでコミュニケーションが成り立ちます。

その内容が仕事であれ、趣味であれ、コミュニケーションを交わすということは両者が話し手と聞き手の両方を担うことです。

つまり、コミュニケーションは一方通行ではなく、双方向によって成立するのです。

コミュニケーションが双方向で行われることなど当たり前の話ですが、その当たり前のことが実際には行われていないものです。

喫茶店の二人をよく見てみればわかります。

コミュニケーションの原則から言えば、どちらか一方が話している時、当然もう一方はその話を聞いているはずなのですが、実は聞いていない。

もちろん本人は聞いているつもりですし、実際いかにも聞いているような顔はしています。

でも、聞いていない。

ほとんどの場合、聞いているような顔をしながら、実は次に自分が言うことを考えているのです。

時には相槌も打つでしょうし、頷きもするでしょう。

でも、頭の中は次に自分が何を何を話すかということでいっぱいなのです。

そしていよいよ自分の番が来て話し出すと、今度は相手がその話を聞いているような顔をしながら、次に自分が言うことを考え始めるのです。

つまり、二人の間で行われているのはコミュニケーションではなくて、ただただ言葉が途切れないというゲームなのです。

なぜか、私達は言葉が途切れること、お互いの間に沈黙が流れることを極度に恐れる傾向がありますから。

こんな具合ですから、いくら話しても私達は聞かれたという感じを持つことが出来ません。

そこでなんとか聞かせようと、どんどんエキセントリックに話し続けることになるのです。

もちろん、相手も同様です。

いくら話しても聞かれないから、負けじとどんどんエキセントリックになっていきます。

そうやって、お互いにどんどん相手の話を聞くどころではなくなっていくのです。

(『こころの対話 25のルール』より引用)

「二人の間で行われているのはコミュニケーションではなくて、ただただ言葉が途切れないというゲームなのです」という文章に、あなたも心当たりがあるのではないでしょうか。

特に初対面の人とコミュニケーションを取る時は、正にそうなってしまった経験に直面したことがあるはずです。

「沈黙を恐れるあまり、互いに会話が途切れないようにする」状態になってしまっては、確かに相手の話を聞いてあげる余裕などないのも頷けます。

初対面の相手とのコミュニケーションではそれが顕著に出てしまいますが、親しき中である間柄でも同様のことが起こるのは上記の例の通りです。

コミュニケーションで起こる最も大きな弊害は、「聞いていない」ことです。

「自分は聞いている」と思っている人に限って、相手の話を聞いていないと著者は断言しています。

そんなコミュニケーションで陥りがちな間違いを、次の通り指摘しています。

コミュニケーションにおいては、話し手と聞き手が必要で、話し手、聞き手、話し手、聞き手の順番で進んで行かなければならないのに、現実には話し手、話し手、話し手、と話し手だけが羅列されていくのです。

コミュニケーションというと、誰もがまず考えることは話す能力のことのようです。

誰もが出来ればよい話し手になりたいと思っています。

プレゼンテーションが上手だったり、説得力がある。

話題が豊富で相手を飽きさせないようにすることが必要だと思っています。

もちろん相手の話を聞くことも大切で、聞き上手な人というのが本当にコミュニケーションの上手な人なんだという考えも頭の片隅にはあります。

でも、いざその場になると、聞くことよりも話すことに注意が向けられていってしまうのです。

こうして私達のコミュニケーション環境においては、聞き手がいないという状況が生まれています。

お互いが話し手、聞き手の両方の役割を担って、初めてコミュニケーションが成り立つにも関わらず、聞き手の役割に価値を置く人がほとんどいないからです。

職場でも、学校でも、家庭でも、病院でも、あなたは聞かれていないし、聞いていないのです。

そしてこの「聞かれていない、聞いていない」という状態こそが、私達が抱えるコミュニケーションの問題のほとんど全てです。

と同時に、私達全ての人生の幸福感を妨げる大きな要因の一つになっています。

(『こころの対話 25のルール』より引用)

会話でどちらが片方が一方的に話すのは、コミュニケーションが成り立ちません。

そして聞き手の存在を忘れてしまいがちなのは、上記の説明でよくわかりました。

しかしそれだけではなく、相手の話を聞かないのは次の様な印象を相手に与えてしまいます。

なぜなら、「聞かれない」ということは、単に自分の話を聞かれていないだけでなく、話している自分の存在そのものを否定されたこととして認識されるからです。

逆に言えば、「聞かない」ということは、その人の存在を否定することになります。

例え、あなたにその気がなくても。

途中で口を挟まれたり、コメントされたり、批判されたりせずに、最初から終わりまで一時間でも二時間でも自分の話を聞いて貰ったという経験がある人は稀です。

誰かが話すことを最初から終わりまで聞いたという経験のある人もあまりいません。

私達を取り巻くコミュニケーションの環境はいつも忙しく、個人の感情や胸の内に抱える疑問や問題に耳を傾けることよりも、常に優先するものがあるからです。

だから余程のこと、病気や事故、避けられない問題と直面することなどがない限り、相手の話に耳を傾ける習慣はないのです。

よく奥さんから離婚届を突き付けられて、「そんなに思っていたのだったら、もっと早く行ってくれればよかったのに」と途方に暮れている男性の話を耳にしますが、もっと早い時期には奥さんの話など聞かなかったでしょう。

人は余程のことがない限り、相手の話を聞きません。

そして大抵は余程のことが起こってからでは、遅すぎるのです。

(『こころの対話 25のルール』より引用)

私達がコミュニケーションにおいて相手の話を聞いていないこと、そして聞いていないことがどんな悪影響を及ぼすかをこれまで見てきました。

では、コミュニケーションで正しく「聞く」にはどうすればいいのでしょうか。

その答えは本書の第5章、『聞くとは互いに同じビジョンを共有していくこと』で説明されています。

互いに同じビジョンを共有していくことがコミュニケーションである

聞くという話をすると、多くの人が「私はよく人の話を聞いています」と言います。

その割には、「聞かれていない」と感じる人が多すぎると思うのですが。

確かに「鼓膜が揺れている」という限りにおいては、聞いているのでしょう。

中には相手が言った言葉を復唱出来るほどに聞いている人もいるかもしれません。

でも相手の言葉を復唱出来たとしても、その言葉によって表現されている事物をもし互いに絵に描いてみるとしたら、おそらく出来上がった絵は大きく違っていることでしょう。

もしそれを匂いや音や触感でも再現出来たとしたら、全く違ったものとなっているはずです。

言葉というのは単なる媒体です。

自分が言いたいことを表現する手段です。

その言いたいことを受け取らない限り、例え言葉を理解したとしても聞いたことにはならないのです。

私達の日常の会話は、一般的不協和音と呼ばれています。

一見話が嚙み合っているようでいて、実はずれている。

綺麗な和音にはなっていない。

というのも、人は同じ言葉を使っていてもそれぞれ違うことを思っているからです。

言葉というのはひとつのシンボルであって、その下にたくさんの意味が付いています。

その意味は人によって違うのです。

その部分を理解し合わない限り、互いの言いたいことを伝え合うことは出来ません。

そしてその部分をはっきりさせ、互いに同じビジョンを共有していくことがコミュニケーションであり、聞くという行為なのです。

(『こころの対話 25のルール』より引用)

子供の頃、伝言ゲームで遊んだことはあるでしょうか。

伝言ゲームを知らない方の為に簡潔に説明すると、伝言ゲームとは複数人が横一列に並んで、左端の人がお題となった単語を使わずにその事柄を間接的に説明し最後の右端の人まで伝えて、お題の答え合わせをするというゲームです。

伝言ゲームは最初にお題を聞いた人は答えを知っています。

ですが、お題を言わずに間接的に説明しようとすると、お題とは全く関係のないことを言ってしまうことがよくあります。

その様子が面白いからこそ、今でもバラエティ番組やYouTubeのエンタメ系の動画でよく見かけるのでしょうが、言い間違えている当事者はわざとではなく割と本気で取り組んでいます。

「お題が伏せられている」だけで、コミュニケーションではこれだけ大きな齟齬が起きてしまうのです。

それなら、「話を聞いていない」のもコミュニケーションで問題が起こるのも当然でしょう。

「お題が伏せられている」と「話を聞いていない」に共通して言えるのが、ビジョンが共有されていないことです。

お互いの会話で頭に思い浮かんでいることが一致していなければ、コミュニケーションは成り立ちません。

本書ではわかりやすい例を挙げて、以下の通り解説しています。

例えば、二人の人が話していて、一方が「山って好きだな」と言ったとします。

もう一方も「そう、心が安らぐね」と答えたとします。

この場合、二人は本当に同じ山について話しているのかというと、そうとは限りません。

一方はマッターホルンの様な険しい山を意図し、もう一方は東北地方のなだらかな山脈をイメージしているかもしれないからです。

この場合、同じビジョンを共有していくとはどういうことでしょうか。

それは一方が自分のイメージを捨て、相手の持つ山のイメージに合わせることでも、両者が妥協して中間的な山のイメージを持つことでもありません。

両者が一旦、互いに相手の山のイメージを持つこと。

それが同じビジョンを共有していくということです。

別に自分の山のイメージを捨てる必要はなくて、ただ相手のビジョンも持ってみるのです。

議論はそれからです。

こう説明すると当たり前のことの様ですが、実際のコミュニケーションの場ではこの当たり前のことが行われず、双方別々のビジョンを持ったままでコミュニケーションが進行されることから、多くのトラブルが生じていくのです。

(『こころの対話 25のルール』より引用)

相手の話を聞くときに、自分のビジョンを捨てる必要はありません。

自分がどう思っているのか、何を考えているのかまで捨てて、相手のビジョンに染まろうとすることが話を聞くことではないのです。

自分のビジョンも相手のビジョンも互いに持っていい。

ただ、どちらかのビジョンに偏ってしまうと話を聞いていない状態になってしまい、コミュニケーションでズレが生じてしまう原因になってしまいます。

相手の話を聞くとは、互いのビジョンを理解した上で尊重し合うことです。

これでようやくコミュニケーションのスタートラインに立てたと言えるでしょう。

では、スタートを切った後はどうすれば円滑にコミュニケーションを進められるのか。

その疑問に対する答えは本書に記載されています。

あなたのコミュニケーションをコントロールする幅を広げるために、本書をぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

本記事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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