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自分で自分の気持ちがわからないなら、心を点に例えましょう『脳から心が生まれる秘密』

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目次

心はどこにある?

「心はどこにあると思いますか?」

こんな質問をされたら、あなたはなんて答えるでしょうか。

おそらく左胸のあたりを指差して、「ここにあります」と答えるのではないでしょうか。

大半の人はそのように答えますし、それが普通です。

しかし、この質問に対してこんな答え方をする人もいます。

それは脳を指して、「ここにあります」と答える人です。

そのように答える人達は、「脳内物質が感情や心を生み出している」と考えています。

確かにそう言われてみると、その言い分も納得出来ます。

はたして、どちらが正しいのでしょうか。

今回ご紹介する『脳から心が生まれる秘密』は、数理科学者である著者が脳と心について、数理の視点から考察した本です。

いつも本サイトを訪れて記事を読んでいただき、ありがとうございます。

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数理と脳と心

先程、「心がどこにあるか?」という質問に対して、「脳を指差す人がいる」という話をしました。

この様な考え方を心脳一元論と言います。

端的に言えば、脳と心は一つの物であり、同じだという考え方です。

本章のタイトルにも使われている「脳から心が生まれる」とは、心脳一元論の一種の考え方です。

そんな脳と心の関係性について、本書の『はじめに』から次の通り説明しています。

「脳はどのように心を生み出すのか?」

この問いを見て、皆さんはどんなことを思い浮かべたでしょうか?

「そんなの皆目検討もつかない」という人もいるでしょうし、もし脳の仕組みに関心を持っていたり、少し知識があったりする人ならば、「心を感情とすると、それは様々な脳内物質の化学反応の表れである」なんて考えたかもしれません。

後でも述べるように、脳内物質の反応を心とするのは「心脳一元論の一種」と言えるのですが、私はそれに対しては半分賛成、半分反対という立場です。

確かに、心の動きは脳内物質によるところがある。

しかし、それだけを持って語るには、心というものはあまりにも大きなものだと思うのです。

目に見えず、もちろん手で触れることもできない。

定量的に観測することも難しい。

おまけに感情よりもずっと広義的で、「それは一体何なのか」と問われても漠として説明しづらい。

ただし、心はまぎれもなく個々人の内に存在します。

「喜怒哀楽」といった明瞭な感情のみならず、度々何かや誰かに心を寄せたり、心を奪われたり、心がモヤモヤしたり、心が温まったりするのが人間というものでしょう。

あるいは何かについて考えを巡らせたり、想像したり、発想したり、想像したりするのも心の作用といえますが、やはりどれもその成果としてアウトプットされたものは別として、それ自体は目に見えず、手に触れることもできません。

そんな確かにあるのに、掴みどころがない心というものに、本書では脳から迫ってみようというわけです。

しかも、心脳一元論に留まることなく。

(『脳から心が生まれる秘密』より引用)

私達はこれまで生きてきた中で、心を感じ取れる感覚に出会ったことはたくさんあります。

それに関してはあなたも間違いなく、「ある」と断言出来るでしょう。

ですが、それは本当に心から生まれているのでしょうか。

脳は物質的に存在するので確認出来ますが、心を感じることは「ある」と自覚していても、「どこに」と問われたら途端に曖昧になってしまいます。

上記の引用の通り、心は「目に見えなければ、手に触れること」も出来ません。

ですが、私達はここまで生きてきた過程で心があることを自覚しています。

では、心とは一体何なのでしょうか。

先述した通り、著者の津田一郎さんは数理科学者です。

そして本書は数理の視点から、脳と心について書かれた本です。

数理科学者の方が脳や心について書いている本なので、「何だか難しそう」だと思われたかもしれません。

ですが、心配しなくても大丈夫です。

著者もそのことに関して本書で触れており、本書をどの様にして読んで欲しいのかを以下の通り述べています。

本書は、数学から物理学、物理学から脳科学、そして再び数学へ、さらに数学から見た心へと研究対象を求めてきた私が、脳と心について知り得たこと、考えてきたことをまとめたものです。

難解な数式などは用いず、なるべく平易な言葉で説明するように努めました。

また、同じようなことをあるところでは簡略に述べたり、あるところでは詳細に述べたりと、行きつ戻しつつ話を進めていきますので、途中でつまずくところがあっても、とりあえずは全体を読み通していただきたいです。

今はまだ想像もつかないかもしれませんが、読み終える頃には私の言わんとしていることの全体像が自然とつかめているでしょう。

本書を読むことが、皆さんにとって、数学か脳科学か、あるいは倫理や文化論なのか、といった特定の領域に収まらず、学際的、複元的に物事を捉えてみる、一つの思考体験となれば幸いです。

そして心とは何か、つまりは人間とは何か、自分とは何かという深遠なテーマについて考え続けるきっかけを得ていただけたなら、著者としてこれに勝る喜びはありません。

(『脳から心が生まれる秘密』より引用)

私はこの記事を書くにあたり本書を全て読みましたが、本書は専門用語が出て来てもすぐにわかりやすい説明が添えられています。

私は文系なので、「理系の知識が中心となる本書を読んで、自分に理解出来るのだろうか」と本書を読む前は私自身も心配していましたが、著者の説明の仕方がとても上手なおかげで内容を理解することが出来ました。

なので、ここから先は肩の力を抜いて、好奇心の赴くままに読み進めてみてください。

上記の引用の通り、わからないところがあっても、読み進めるとわかるようになる場面もあるので、途中でわからなくて躓いても、一通り最後まで読んでみることをお勧めします。

では、話を戻して数理学者である著者の「心」についての見解を見ていきましょう。

本書の第1章の『心とは何かー「数学的心観」を出発点に◆心はどこにあるのか』から、心に関して疑問を呈しています。

心は脳で生まれているはずなのに、脳で心を感じることがないのはなぜか

まず、脳は物理的に実体があるものですね。

みんな一つずつ持っている臓器であり、多種多様な脳内物質の分泌やシナプスという極小機関を通したニューロン、神経細胞間の電気信号の送り合いなどによって、身体のありとあらゆる機能を司っています。

そんな脳に対して、心というものには物理的な実体がありません。

しかし、その生成に脳が大きく関わっているのは確かです。

そうなると「実体のある脳から、なぜ、いかにして、実体のない心が生まれるのか?」という疑問が生まれます。

だから、古来、人は脳と心の関係性について、あるいは心そのものについて問い続けざるを得なかったのでしょう。

例えば、心はどこにあるのでしょうか?

そもそも実体がないのだから、「ある」という表現自体おかしいのかもしれませんが、実体はなくても発現することを日々、心の動きを感じている私たちは経験上知っています。

では、改めて心はどこにあるのか。

脳が心を生み出しているのなら頭部にありそうなものですが、感覚的には胸のあたりにあると感じる人が多いと思います。

実際、あるアメリカの大学で学生たちに同じ問いを発したところ、胸のあたりを示す学生が過半数を示したという調査結果があります。

実は私も娘が幼い頃に同じことを聞いてみたことがありますが、彼女の答えも「心臓にあると思う」でした。

理由を聞くと、「心が動くと心臓がドキドキするから」と。

胸が高鳴る、胸を撫で下ろす、胸を打たれる、胸を焦がす、胸がすく、胸を痛める、胸が塞がる。日本語には胸という言葉で心の在り様を表す言い回しがたくさんありますが、こうした感覚はほぼ全人類共通のものに違いありません。

私たち人間は心というものを胸、つまり心臓のあたりで感じることが多いようにできている。

だから心は心臓の「心」ですし、英語で心臓を意味するHeart(ハート)には心の意もあります。

それにしても心は脳で生まれているはずなのに、どうして脳で心を感じることがないのでしょう。

(『脳から心が生まれる秘密』より引用)

心に実体はありませんが、私達は心というものを感じられます。

そして心をどこで感じているかというと、やはり胸のあたりでしょう。

上記の引用で例に挙げられている胸に関する言葉は、どれも的を得た表現だと感じています。

それなのに言われてみると、私達は脳で心を感じることがありません。

例えば、胸が高鳴っても、脳も同じように高鳴りを感じることはありません。

心で感じているのに、脳では感じられない。

これは一体なぜなのでしょうか。

その答えについて、文章は以下の通り続きます。

その答えは極めて単純で、心を生み出すことに関わっているニューロンそのものには感覚がないからです。

なぜ、ニューロン自身は何も感じないのかというと、「生存のために外界の情報を捉えて適切な判断を下す」という脳の役割を全うするためでしょう。

例えば、料理の最中に誤って包丁で自分の指を切ってしまったとします。

脳は「包丁で自分の指を切ってしまった」、「血が出ている」、「痛い」、「手当てしなければ」などと情報を捉えて、適切な判断を下さなくてはいけません。

ここで「痛み」という緊急サインは、怪我をした時に感じさせなくてはいけないため、そんな時に脳自身が痛かったら困るわけです。

脳は絶え間なく活動しています。

今、こうしている間だって、私の脳内でも皆さんの脳内でも、ニューロンのネットワークが非常に活発に働いている。

しかし、私たちがそれを感じることはありません。

例えば、好きな人を目の前にしたときに嬉しさや緊張で胸がドキドキするのは、そうさせるように脳が採用しているからです。

心臓自身が嬉しさや緊張を感じて心拍を上げているのではなく、好きな人が目の前にいるという状況にニューロンが反応した結果、心拍が上がってドキドキする。

より具体的に言えば、好きな人が目の前にいるという刺激に対して興奮をつかさどる交感神経が有意に働いた結果、血管が収縮して心臓がドキドキする。

つまり私たちは、心臓を通じて脳の反応を感じているわけです。

心は脳の働きと関係しているはずなのに脳がある頭ではなく、心臓がある胸のあたりで心の動きを感じるのはそのためなのです。

心は明確に感じられるものですが、脳のニューロンたちは自らの働きがどんな心を生み出しているのかを感じていない。

こうした生物学的な仕組みが人類を悩ませてきたのでしょう。

仮に脳自身が心を感じることができたなら、人類の認識の中でそれほど心と脳の乖離は生じていなかったかもしれません。

脳内で起こっていることが、感覚としては主に心臓に現れるばっかりに、「脳で心が生まれているとは思えない」という認識のギャップが生じた。

かくして心というものは、人間にとって大いなる謎になってしまったわけですね。

(『脳から心が生まれる秘密』より引用)

体のどこかが反応しても、脳は働いてくれています。

体に異常がある以上、決して冷静ではないでしょうが、それでも脳は動き続けてくれています。

確かに脳自身も身体と同じように感じてしまうとしたら、より動揺して何も考えられなくなるでしょう。

心で感じられるけど、脳では感じられない。

こうした生物学的な仕組みがあるからこそ、助かっている部分もあるのですが、認識のギャップが生まれてしまったのも事実です。

また先程、心に関する言葉をいくつか例を挙げましたが、こういった心に関する言葉も心に対する認識に影響を与えているのではないでしょうか。

それがどういうことなのか、次の通り説明しています。

それはひょっとしたら、日本語において特に顕著なのかもしれません。

例えば英語には、日本語の「心」に完全合致する単語は見当たりません。

そもそも、あらゆる単語は多言語間で置換不可能なのですが、類する意味合いの単語に置き換えていくだけで、概念が完全に一致しているわけではない。

心という単語は取り分け置き換えが難しいのです。

心というのは概念が包摂的過ぎるというのも、

英語のMind(マインド)、精神、知性、思考、気質など。

Heart(ハート)、感情、優しさ、気力、革新など。

Spirit(スピリット)、気性、気概、態度、勇気など。

Soul(ソウル)、魂、精神性、気迫など。

と英語ではいくつかの単語で言い分けられている概念が、日本語の心という単語にはすべて含まれているのです。

今、Mind(マインド)イコール精神、知性、思考、気質、などと示したように、確かにそれぞれの英単語に置き換え可能な日本語の単語はあります。

しかし日本語ではそれら全てを一括して、心とも表現してしまう。

ただ日本人にとっては特に、心というものは曖昧でつかみどころがなく、したがって分析的に捉えることも難しいと思われるのです。

(『脳から心が生まれる秘密』より引用)

確かに、日本語で「心」と言ってもその定義は広いです。

上記の引用で挙げられた単語のどれにも当てはまるので、具体的に何を指しているのかを「心」だけでは特定できません。

こうした曖昧さも、心をより複雑にしているのだと思われます。

そして、ここである疑問が浮かびます。

私達が感じているこの心とは、いつ生まれるのでしょうか。

よく自意識が生まれるのを認識した年齢のことを、「物心がつく」と表現されます。

はたして、それは本当に正しいのでしょうか。

心が生まれるメカニズムについて、著者は同じ章の『◆2つの心ー「普遍心」と「自己の心」』から次の通り見解を示しています。

著者が考える2つの心

心は脳で表現されるけれども、脳は脳で起こっていることを感じられないため、私たちはニューロンの反応が感覚として現れる場所、例えばドキドキする心臓を通じて心を感じるというのが前項での考察でした。

では、次に心はいつ生まれるのでしょうか。

もちろん私たちは日々心の動きを感じていますが、果たして生まれたての赤ん坊は心を感じているのか。

まだ自我意識すら発達していない赤ん坊が、自分の心を感じているとは考えづらいでしょう。

となると、脳は一体いつから心を表現し始めるのか。

私が考える心には実は2つあります。

1つは、人間の最も初期の発達段階の時点から脳を発達させる心。

この心は自分自身のものではなく、周囲の人たちの心です。

筆頭に上がるのは親ですが、それ以外にも、自分を取り巻く世界に存在するあらゆる人たちや文化との接触が脳を発達させるのです。

次に、その中で徐々に発達するのが自分の心です。

脳はまず外部の心から影響を受け、やがて自身の身体に束縛された自身の心を生み出し、それを意識に残らせることができるようになっていきます。

つまり、確かに脳が発達しなければ、私たちは心が自身の中で生まれるとは感じないのですが、自身の心を生み出すためには、まず発達した周囲の脳たちが絶えず生み出している心との接触が必要なのです。

このように未成熟な脳が発達していく上で欠かせない、周囲の脳たちが生み出す集合的な心を、私は「普遍的な心」、あるいは略して「普遍心」と呼んでいます。

言語や思考、感情を共にする中で循環し、共有されているもの。

未熟な脳を取り巻くすべての環境、人間世界の文化そのものといってもいいでしょう。

(『脳から心が生まれる秘密』より引用)

周囲の人達の心という土台があってこそ、自らの心が育まれる。

著者は心についてその様に考えています。

赤ん坊の状態では何も出来ません。

全てを周囲の人達に頼らなければ、生きていくことすら出来ません。

そんな状況で数年間も生きていった先にようやく自我が芽生えるのですから、周囲の人達の心も影響があるという考え方は理解出来ます。

脳が成長していく過程を例に挙げて、心がどの様にして形成されていくのか文章は以下の通り続きます。

よく赤ん坊の健やかな生育には、豊かなコミュニケーション環境が重要であると言われます。

たとえ人間として生まれても、人間と一切触れ合わずに育ったら、その脳は人間の脳として発達できないでしょう。

脳は独りでに人間の脳になるのではなく、周囲の人間の脳たち、それらが生み出す普遍心という文化と触れ合うことによって、人間の脳へと成長するというわけです。

誕生直後の脳では、周囲との接触によってニューロンのシナプスが爆発的に増え、ネットワークが構築されます。

それが生後数ヶ月を迎えたあたりで、今度はシナプスの刈り込みの段階に入ります。

生い茂った森を剪定するように、シナプスを介したニューロンのネットワークが整備されていくのです。

なぜ一旦増やしてから刈り込むのかは分かっていないのですが、可能性を全て試すためかもしれません。

とにかくたくさんシナプスを作っておいてから、周囲との相互作用において必要なものだけを残していくということだと思います。

あらゆるシナプスの結合が残ったままだと、誤ったシナプスの結合を使っておかしな判断をしかねません。

つまり、刈り込みは周囲の環境への適応のプロセスなのです。

そして興味深いことに、この段階でようやく自分の脳のありようが確立されます。

爆発的に増えたシナプスの結合を削る。

試した可能性を取捨選択する周囲に適応する。

そういう時期と自分の意識が芽生えてくる時期が重なっているのが不思議なのですが、この刈込具合が個々人の個性の源である脳の個性と言っていいでしょう。

こうして自身の心を生み出すようになると、自分の脳を発達させた普遍心に自身も参加するようになります。

普遍心の影響を受けるだけでなく、自身もその一員となって周囲の人たちの脳に影響を与えるようになる。

周囲との接触によって発達した脳が生み出した心が、やがて他者の脳に影響を与え、その他者の脳がまたさらに発達して心を生み、それにまた自身の脳も影響されてさらに心を生む。

という相互作用のプロセスに関与するようになるわけですね。

この相互作用は何歳になったら、あるいはどこまで脳が発達したら終わりということはなく、死ぬまで続きます。

人間の生涯とは、言うなれば脳が生み出す心と心の終わりなき相互作用の軌跡なのです。

人間の内的な成長には、何よりも周囲とのコミュニケーションが重要であるというのは本当です。

周囲の人たちとコミュニケートしないと脳も心も発達できないし、周囲の脳と心の発達に関わることもできません。

何も幼児に限った話ではなく、20歳だろうと、40歳だろうと、80歳だろうと、いろいろな人とコミュニケートすることが互いの脳を発達させ、心を豊かにしていくのです。

(『脳から心が生まれる秘密』より引用)

周りの脳に感化されることで、自分の脳が磨かれていきます。

そして感化された自分の脳も周りの脳に影響を与えます。

脳の発達は子供に限った話ではなく、大人になっても続きます。

周りの人と関わることは、自分の脳が、心が成長する上で必要不可欠なものです。

「背が伸びる」など、肉体的な成長には限りがありますが、脳においてはいくつになっても成長する余地があることが上記の引用からわかります。

しかもそれが「周りの人たちとの関わりの中で発達する」とは、非科学的でロマンチックな感じがしますが、そう説明されてもどこか納得感があります。

それにそう感じているのがまた、心であるところが面白いとは思いませんか?

「心」と「脳」、この二つがどの様な繋がりなのかは、実は大昔から議論されています。

では実際にどの様な議論がされていて、どの様な解釈をされてきたのかを、同じ章の『◆心の発生源ー「心脳一元論」と「心脳二元論」の間で』から次の通り説明しています。

「心脳一元論」と「心脳二元論」

心には形がないだけに、心はどこで作られるのかについてはいろいろな立場からいろいろな説が唱えられてきました。

例えば、古代ギリシャの哲学者、アリストテレスは「心は心臓で作られる」と考えました。

脳科学がほとんど発達していなかった当時、脳は血液を冷やすための器官とされており、アリストテレスは「全身の血液が集まる心臓こそが、人間の知性や感情、思考、生命活動の源である」と考えたのです。

ところがアリストテレスより100歳ほど上で、医学の父と呼ばれるヒポクラテスは、脳を「知性の座」と名付け、人間の知性や思考、感情の中枢であると考えました。

つまり端的に言えば、心は脳で作られると考えた最初の人物かもしれません。

これは現代の脳科学で明らかになっていることにも非常に近い考えです。

ほとんど脳科学が発達していなかった当時にここまで看破していたとは、さすが医学の父と呼ばれるだけあります。

他方、ぐんと時代を下って17世紀、「我思う、故に我あり」で知られるフランスの哲学者、デカルトはこのように書いています。

心は身体のどの部分でもなく、ただ一つ、松果体において身体と交信する、人間論。

つまり、脳、身体と、心、精神は全くの別物であるが唯一、松果体、脳の奥の方にある松ぼっくりのような形の部位で、脳と心が相互作用していると考えたわけです。

デカルトの考えでは、心は非物質的で、思考や意識、感情などを司る物である一方、脳、身体は物質的で、機械のように動くものでした。

ただし、両者が完全に分断されているとなると、悲しい気持ちになって、心の作用、涙を流す、身体の作用、という連鎖反応に説明がつきません。

そこでデカルトは、脳と心は完全に独立しているのではなく、脳のどこかしらが心と繋がっていると考えた。

その接合部を松果体としたのです。

アリストテレス、ヒポクラテス、デカルト。

彼らの考えに触れるだけでも、いかに心というものが身体との関係性を含めて大いなる謎であったかがわかるでしょう。

(『脳から心が生まれる秘密』より引用)

心脳一元論とは、「すべては心である」という考えです。

それに対して心脳二元論とは、「心と脳は独立している」という考え方です。

「心は心臓で作られる」という主張のアリストテレス。

「心は脳で作られる」という主張のヒポクラテス。

「脳と心は独立しているが、松果体という脳の一部は心と繋がっている」という主張のデカルト。

どの主張もそれぞれの言い分がわかります。

何より古代ギリシャの時代から、現代の脳科学に近い考えをしていたヒポクラテスに驚かれたことでしょう。

それに対して、現代の脳科学者はどの様な主張をしているのかというと、「現代のほとんどの脳科学者は心脳一元論の内、創発的唯物論の立場を取っています」と著者は説明しています。

創発的唯物論とは、「心は創発的な脳活動の集合である」という考え方です。

では、著者はどの様な主張をしているのでしょうか。

著者の主張に関して、以下の通り述べています。

では、私はどの立場かというと、このどれにも完全には当てはまらないのです。

未熟な脳は普遍心との接触によって発達し、やがて個々の脳に心が相発する。

それらが相互作用することで普遍心も発達する。

これが私の基本的な捉え方ですから、さしずめ観念論の一部、中性的一元論の一部、還元的唯物論の一部、創発的唯物論の一部、同時平行論の一部、精霊説の一部、相互作用論の一部というように、心脳一元論と心脳二元論を組み合わせたものと言ってもいいでしょう。

(『脳から心が生まれる秘密』より引用)

著者の主張は心脳一元論の一部と心脳二元論の一部を組み合わせたものです。

この「一部」についてより詳しい説明をすると、長くなる上に難しくなるのでここでは割愛しますが、「心脳一元論と心脳二元論の中には様々な論があり、著者はそれぞれの論の中から自分の意見が合っているところを主張している」と思って頂けたら大丈夫です。

心と脳の繋がりについて、著者がどの様な主張をしているのかをここまでの説明で理解することが出来ました。

では、著者は掴みどころがない心についてどう捉えているのでしょうか。

同じ章の『◆心は「点」のようなもの』から、著者が心についてどのように捉えているのかを次の通り見解を述べています。

心は「点」のようなもの

端的に言えば、脳は物質的なものである一方、心は物質から離れた抽象的なものであるというのが脳と心の違いでしょう。

脳の中では無数のニューロンがシナプスを通して互いに電気信号を送り合い、情報の受信、伝達、処理を行うことで、身体の諸機能を司っています。

そのおかげで私たちの身体は不随意的、随意的にきちんと機能しているわけです。

意識しなくても心臓が動き、肺で酸素と二酸化炭素の処理が行われ、血液が流れ、胃腸で食べ物の消化吸収が行われること、不随意運動も、あるいは「喉が渇いたから水を飲みたい」と思い、水道の蛇口を捻ってコップに水をついで飲むこと、随意運動も、全てはニューロンがそのように働いてくれているからですね。

ニューロン同士の電気信号のやり取りは物理現象ですから、計測できます。

そして、それがどうやら身体の諸機能のみならず、私たちの意識、思考、意志、感情などなど、まとめれば心の創発にも関わっている。

では、ニューロンの働きの何が、心を表現しているのか。

それを研究しているのが、脳科学や認知科学です。

人類はものすごい勢いで科学を発展させてきましたが、心の創発におけるニューロンの機能については、まだまだ分かっていないことがたくさんあります。

脳はどのように心を生み出しているのか。

それ以前に、未熟な脳は周囲の人たちとの接触により発達し、やがては己の身体に束縛された心が生まれるというのは私の推論に過ぎず、そもそも本当に心が生まれているのかどうかもよくわからないわけです。

なぜなら先にも述べた通り、心は実体を持たないので観測できないからです。

「自分には心がある」と私たちは堅く信じているし、実際に感じもします。

でも、それは「ここにある」と指し示せるものではない。

考えれば考えるほど不思議ですね。

私が思うに、心は数学の点みたいなものです。

(『脳から心が生まれる秘密』より引用)

私達が感じている心というものは目には見えません。

ですが、どんな人でも「ここにある」とは感じ取れます。

しかし、「心がここにある」ことを科学的に証明するのは、科学技術がこれだけ進歩した現代でも出来ないのです。

「ニューロンの働きが関与しているのではないか」というところで止まっています。

そんな掴みどころがない心という存在を、著者は「数学の点」だと表現しました。

なぜ、著者は数学の点だと考えているのでしょうか。

その理由について、以下の通り答えています。

点は0次元です。

移動すれば1次元の線になって長さを測ることができますが、0次元の点そのものを計測することはできません。

注意してほしいのですが、ボールペンで小さなドットを打って「これが点じゃないか」というのは間違いです。

どれほど小さなドットでも、大きさ、面積を持っている時点で0次元が2次元になっており、それは数学で言う点ではありません。

0次元の点から1次元の線が生まれる。

これはよくよく考えると非常に不思議な話で、実に何世紀もの間、世界中の数学者を悩ませました。

もともと古代ギリシャの数学者ユークリッドが「点とは部分を持たないものである」と定義していましたが、結局、今から130年ほど前に数学者達は「点は無定義用語としよう」と決めました。

これは19世紀末、ドイツのヒルブルドという数学者がユークリッドを再解釈し、「点は何であるか」と定義するのではなく、「点同士はどのような関係を持つか」という、公理に基づく幾何学体系を提案したことが始まりです。

平たく言えば、ある位置からある位置まで動いた結果として線がある。

その動いた元のものがあるはずで、それが点だよね、ということです。

物理学の理論は説明理論です。

まず、この現象を説明するためには「こういうことが起こっているはず」、あるいは「こういう要素が関わっているはずだ」という仮説があり、観察や実験によってそれが本当に起こっていた、それが本当にあったと実証するというプロセスを踏みます。

しかし、数学には物理的な対象がありませんから、「線の元のものがあるはずだ」ということは理論的に言えても、観察や実験によってその元のものを発見し定義することはできません。

というわけで、点それ自体は計測できない、定義もできないけれども、点が動くと定義可能、計測可能なものになる。

1次元の線は長さとして計測可能であり、2次元の面となれば面積として計測可能になります。

さらに高さが加われば、体積として計測可能になるのです。

ところが、すべての始まりである点はいくら探しても見つかりません。

それはそこにあるものではなく、1次元、2次元、3次元などが存在する前提とされているものだからです。

つまり点とは、ただそこにある位置だけを定める、極限まで抽象化された概念です。

それ自体は定義も計測もできないけれど、その存在を前提とすることで他のあらゆる次元、線、面、立体が計測されていく。

心もまたそれ自体をこれと指差し、定義することはできないけれど、思考や感情、意思や行動など、およそ全ての知的営みが広がる前提となるというところで、まさに点と似ているのではないでしょうか。

これは心とは、心それ自体ではなく、何らかの作用、アクションによってしか表現されないということを考えても、しっくりくる捉え方です。

例えば前に挙げた、好きな人を前にして胸がドキドキするのも、ニューロンの働きによって心拍が上がるという一つの作用、アクションですね。

私たちが心を実感するのは、このように何かしらの刺激によって、喜怒哀楽などの感情、およびそれに伴う身体反応や、意志・思考・想像といった動きが生まれた時だけです。

まさに点が移動すると、線・面・立体になり、定義可能・計測可能になるように。

点も心も確かに存在するし、これらについて私たちは語ることができるけれども、どうやってもこれと差し示すことはできません。

どちらもそこにあるものではなく、前提とされているものなのです。

心とは何か、どこにあるのかを述べようとしたら、きっと大論争が巻き起こるでしょう。

誰がどう主張しようと、「いや、それは違う」という人が現れるに違いありません。

だから心について考察を進めるには、数学者たちが「点を無定義用語としよう」と決めたように、心も無定義用語とするのが一番いいだろうと思うのです。

(『脳から心が生まれる秘密』より引用)

私達が心を感じるのは、「何か」の出来事が起こった後です。

心を揺れ動かす「何か」が起こった後に、私達はその出来事に対して生まれた心、感情に向き合います。

その「何か」が起こらなければ、出会えないのです。

数学の点も同じです。

線や図形があって、そこで初めて点が観測出来ます。

何もない空間からは本来何も生まれないはずです。

しかし、何かが生まれることによって、そこで初めて観測できるようになる。

それは「数学の点」も「心」も同じではないでしょうか。

確かにそう考えてみると、「心は数学の点である」という著者の捉え方は理解出来ます。

抽象的で捉えどころがないからこそ、解釈が無限になってしまうのなら、いっそのこと心を点と同じで無定義用語とする。

敢えて定義を定めないことで、心に対して考察を進められます。

心は人の数だけ解釈があります。

心をどう捉えようが、どう解釈しようが、それは個人の判断に委ねられています。

科学でも未だにわかっていない分野なのですから、例えどの様な捉え方や解釈をしても、それが「間違っている」とか「正しい」とは決められません。

個人がそれぞれの捉え方や解釈で判断してもいいのです。

あなたは心についてどう捉えて、どう解釈しているでしょうか?

「まだわからない」と思われたかもしれません。

でも、それでいいんです。

その「わからない」という率直な感想で心を判断してもいいんです。

あなたがこのサイトに訪れたのは、何か悩みがあるからではないでしょうか。

特に今この記事を読まれているのは、「自分で自分の気持ちがわからない」という思いから読まれているのだと推測します。

「わからない」と思うのは、その前に何かの出来事があったからです。

何もなければ、「自分の気持ちがわからない」という思いにたどり着けません。

何かきっかけとなる出来事があったから、その思いを発見できたんです。

その出来事にあなたは心当たりはありませんか?

そう思うようになった出来事を思い返してみてください。

もし、それでもわからなければ、心に対する捉え方や解釈を変えてみてはいかがでしょうか。

先程述べた通り、心をどう捉えるか、どう解釈するかに正解はありません。

あなたが「自分にとってはこれが合っているのではないか」と、あなたなりの心の捉え方や解釈を導き出すことが、あなたにとっての最適解になります。

あなたがご自身に合った最適解を導き出すためのきっかけとして、本書をぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

本記事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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