不安を感じるとつい出てしまう言葉
「どうしよう」
悩みを抱えていると、ついそんな言葉が出てしまいます。
何か問題があって早く解決したいのに、何も解決策が思い浮かばなくて気持ちは焦るばかり。
あなたもそんな心境になったことがあるはずです。
ですが、そんな時に「どうしよう」と口から出てしまっても、都合よく解決策は思い浮ばないものです。
それどころか、そんな時に「どうしよう」という言葉が口癖になってしまっているのが、解決策を思い浮かぶ妨げになっています。
「どうしよう」という言葉だけではなく、私達が普段使用している言葉が原因で間違った方向に進んでしまうのを正しく修正してくれる本が、今回ご紹介する『人生は「言語化」すると動き出す』です。
いつも本サイトを訪れて記事を読んでいただき、ありがとうございます。
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著者の木暮太一さんはビジネス書作家です。
著者がビジネス書作家なので、本書は「ビジネスに関する内容が多いのでは」と思われたかもしれませんが、本書では著者が歩んできた人生の経験から得た知識を中心に話が展開していきます。
例えば著者の経歴に関して、本書の『はじめに』から『「今の状況を変えたい」と思ったら、何をやればいい?』ではこの様に話が始まります。
かつて、僕の人生は完全に止まっていました。
傍から見れば進学校に通い、大企業に就職し、悩みなんて何もなさそうに思われたかもしれません。
でも、僕の人生は完全に止まっていました。
2001年、僕は慶応義塾大学経済学部を卒業し、富士フィルムに新卒で就職しました。
慶応大学を卒業したこと、世界的な大企業に就職出来たことで、僕は自分の人生が大きく変わると思っていました。
それまでの僕は絵に描いたような優等生で、周囲の期待通りに勉強し、スポーツも頑張り、周囲の期待通りにいい会社から内定を貰いました。
周りから見れば文武両道で、本当にいい子だったと思います。
しかし裏を返せば、僕は周囲の期待通りに答えることだけで、自分自身でやりたいことをそれまで一つもやってきませんでした。
というより、正確に言えば、自分自身が何をやりたいかすら全くわかっていませんでした。
「私の将来の目標は世の中に貢献することです」
「そしてその力を身に付けるために、新しいことに自分からどんどん挑戦していきたいです」
就活の面接ではこんなことを、一生懸命に語っていたのを今でも覚えています。
贔屓目に見ても、上辺だけ過ぎる言葉の羅列です。
無難な言葉を並べているだけで、何一つ具体的なことがわかりません。
さらには、これらは単に内定を貰う為に企業の顔色を見て作ったものです。
いわゆる自己分析を時間をかけて行いましたが、いくら考えてもやりたいことなんて全く見つけることが出来ませんでした。
それまで他人の顔色や世間体ばかり気にして生きてきたので、当たり前と言えば当然ですね。
(『人生は「言語化」すると動き出す』より引用)
経歴だけ見れば、周りの人から羨むような人生を歩んでいた著者ですが、当の本人は「人生が止まっていた」と語っています。
人生が止まっていた理由は、「自分のやりたいことがわからない」から。
学生時代にこれだけ優等生だった著者が、就職活動で自己分析をしていても「わからないままだった」と答えているのですから、「自分がやりたいことがわからない」という状態がどれだけ本人の幸福感に大きく影響を与えているのかがこの文章で理解出来ます。
その後に著者は「このままではいけない」と思い、深夜までサラリーマンとして働きながら、帰宅後には明け方まで自己啓発に関する商材を購入しては読み漁り、週末には勉強会やセミナーに参加する生活を送るようになりました。
しかし、それでも「全てが無駄に思えるほど結果には結びつきませんでした」と著者は答えています。
なぜこれだけ努力を続けていても、著者は「全てが無駄だった」と思われたのでしょうか。
その理由を次の通り述べています。
今では、なぜ僕の人生が止まっていたのかよくわかります。
本を読んで勉強しても、セミナーを受けても、人生が動かなかった理由がありました。
確かに本を読んだり、誰かの話を聞いたりすることも、時には重要かもしれません。
でも、それらを実行しても、実際には人生は動き出しません。
なぜなら、それらのノウハウは既に僕らが知っている事だからです。
どんな本を読んでも、どんな人から話を聞いても、おそらく過去に見聞きした内容がほとんどではないですか?
自分の人生を変えるために必要なことは、おそらくどの国でも、どの時代でも似たような要素が必要でそれらは多くの本に残されています。
「自分の希望を伝える前に、相手の希望を叶えなければいけない」
「自分の話をするよりも相手の話を聞く方が大事」
「常に学び続け、時代の変化に対応しなければいけない」
などなど、色々なことが語られますが、これらは既にどこかで見聞きしたことがあり、知っている事ではないですか?
つまり、僕らはどんなことをやるべきか、その方向性は既に知っているんです。
問題は知っていても実現できないことです。
なぜか?
それは明確になっていないからです。
ハーバード大学の研究によると、人間の意識の95パーセントは言語化されていないとのことです。
そして言語化されていないものは、自分でも何となくでしか捉えていません。
つまり、僕らが学んだこと、感じていることの95パーセントは自分の物になっていないということなんです。
(『人生は「言語化」すると動き出す』より引用)
どこかで既に見聞きして知っていても実現出来ないのは、明確になっていないから。
明確になっていないのがどういう状態かというと、「何となく」といった曖昧な状態のことを指します。
「何となく」で理解したつもりになっていて、実は明確になっていないから、私達は今まで行動に移せていなかったのです。
本書から引用した文章の続きに、「大切なのは、漠然とした一般論を知ることではなく、自分にとって必要なことを明確にし具体的に考えることです。そしてそれを実行することです。」と述べています。
なので、まずは明確にしなければ、私達の人生も止まったままだと言えるでしょう。
それでは明確にするには具体的に何をすればいいのか、本書の序章の『あなたの人生を今日から動かす』から『人生を動かす3つのステップ』でその方法に関して説明しています。
人生は「言語化」すると動き出す
これまであなたの人生が止まっていたのは、単に歯車が噛み合っていなかっただけです。
努力を成果に結びつける歯車が噛み合っていなかった。
だから、たくさん悩んでも状況が変わらないし、毎日頑張ってもなりたい自分になれなかったのです。
これまで積み重ねてきたものはあなたの中に着実に残っています。
ただ、これまで同じことをやっていても成果は上がりません。
何をしても、どれだけ時間をかけても、人生が動いている感覚は得られないでしょう。
僕らは変えなければいけません。
では、僕らが人生を動かすためには何が必要なのか。
結論から言うと、それは明確にすることです。
そして明確にするとは、明確な言葉にすることです。
つまりは言語化です。
(『人生は「言語化」すると動き出す』より引用)
本書のタイトル通り、言語化することで人生は動き出します。
しかし、明確な言葉にするだけで、本当に人生は動き出すのでしょうか。
今まで苦労してきた分、「本当にそれだけで動くのか?」とあなたも心のどこかでそう思われたことでしょう。
なぜ、「明確な言葉にすることで人生は動き出せる」と著者は断言できるのか、その根拠を次の通り解説しています。
そのメカニズムを詳しくまとめてみます。
それには大きく3つのステップがあります。
①明確な言葉に出来れば、明確に考えることが出来ます。
②明確な言葉で考えれば、明確なゴールを示せます。
③そして明確な計画を立てることが出来ます。
これが僕らの人生を動かしていくのです。
僕らは自分が考えていることを曖昧にしか捉えていません。
そして曖昧だから、実行出来ないのです。
知識としては知っているのに、自分の中で明確になっていないから行動に移せないわけです。
逆に言えば、明確にすれば実行が出来ます。
そして実行すれば、何かの成果が生まれるものです。
例えば、マラソンを始めていきなり42.195キロ走り切ることは難しいでしょう。
今日ジョギングを始めたら100メートルは走れると思います。
今日は100メートルで終わってしまうかもしれませんが、明日も明後日もジョギングを続ければ、次第に走れる距離は伸びていきます。
成果が出せない時、多くの人は上手いやり方やノウハウを勉強しようとします。
もちろん、勉強も大事ですがもっと大事なことは実行することです。
仮に走り方が間違っていたとしても、毎日行動すれば成果は少なからず出ます。
一方、正しいやり方を学ぼうとして止まっている間は、確実に成果は出していません。
(『人生は「言語化」すると動き出す』より引用)
「明確にするからこそ、行動に移せる」と著者は本書で何度も説いています。
言語化とは、私達が辿り着きたいゴールまでの道のりを明るく照らしてくれる道しるべです。
今までは道しるべがなかったから、私達は迷い立ちすくんでいました。
だから、人生が止まったままだったのです。
これまでの説明で、明確な言葉にすることの大切さを理解しました。
では、②にある明確なゴールとはどうすれば設定出来るのでしょうか。
明確なゴールを設定する方法について、『残るは「言語化」だけ』から以下の通り説明しています。
自分自身を知るには、普段使っている言葉に意識を向ける。
「彼を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉があります。
これは戦う際には、相手と自分の両方の情勢を分析することが最も重要であるという意味の孫子の兵法に出て来る格言ですが、ビジネスでも同様に考えられています。
この考えはビジネスだけでなく、自分の生き方、自己実現に関しても同じだと思うのです。
自己実現の場合は戦いと違って誰かを倒すことが目的ではありません。
また、誰かの足を引っ張って自分が先に行こうとしているわけでもありません。
自分の人生の目標を考えた場合、大事なのは周りではなく自分です。
「自分が何をするか」、「どれだけするか」です。
それ以前に「自分が何をしたいか」です。
つまり、自分の人生を動かすことを考えるならば、必要なことは自分自身を明確に捉えることです。
つまりは、ライバルのことはひとまず置いておいて、己を知れば百戦危うからずなのです。
(『人生は「言語化」すると動き出す』より引用)
明確なゴールを設定するには、まず己を知ることが大事です。
あなたはあなた自身のことを明確に捉えられているでしょうか?
この質問に対して思い浮かんだ答えは「何となく」ではないですか?
これまで説明してきた通り、「何となく」といった曖昧な認識では、それは明確になっていないことを指しています。
では、どうすれば自分自身のことをより明確に捉えることが出来るのでしょうか。
これもまた「言葉」が重要なカギになります。
なぜ「言葉」が重要なのか、あなたも次の引用の文章に心当たりがあるはずです。
僕らが自分自身を知る為には、自分が使う言葉を再確認しなければいけません。
僕らの現状は自分が使っている言葉で出来ています。
その為、自分が使う言葉に注意しなければいけません。
「汚い言葉遣いをしちゃいけない」とか、「ビジネスにふさわしい言葉を使おう」とか、そういう意味ではありません。
そうではなく、僕が出している結果は僕らが使っている言葉に大きく左右されるから、言葉をないがしろにしたら結果も得られないという意味です。
なぜ言葉が結果を左右するのか?
それは言葉がその人の思考の制限になるからです。
曖昧な言葉を使っている人は、曖昧な思考しか出来なくなります。
例えば、よく「お金持ちになりたい」と口にされるケースがありますね。
でも、この表現ではお金持ちになれません。
自分がいくら欲しいのかが明確になっていないからです。
同じように「幸せになりたい」という表現でも幸せになれません。
自分が求める幸せが何かが明確になっていませんし、そもそも自分自身でもどうなりたいのかよくわかっていないからです。
自分が漠然としか捉えられていなければ、そこに向かって行動することも辿り着くことも出来ません。
明確にすれば潜在意識が助けてくれるという話ではなく、明確にすれば自分が行動出来るのです。
逆に言えば、自分が明確にしていないものは自分でも実は理解しておらず、それを手に入れるための行動も取ることが出来ません。
結果として、ゴールに向けて行動することが出来ないので、そこに辿り着けないわけです。
(『人生は「言語化」すると動き出す』より引用)
「お金持ちになりたい」と言っている人に、「具体的にいくら欲しいのか?」と聞くと大抵の人は返答に詰まります。
「幸せになりたい」と言っている人に、「具体的にどういう状態が幸せなのか?」と聞いても同様です。
私達はゴールを決めたつもりでもそのゴールは曖昧であり、明確になっていないことがわかります。
ゴールが曖昧になってしまうのは、普段から曖昧な言葉しか使っていないからです。
例えば、普段から使われがちな曖昧な言葉として、記事の冒頭で話題に出した「どうしよう」もその内の一つです。
同じ章の『なぜ言葉にすると、人生が動き出すのか』から、「どうしよう」がなぜ曖昧な言葉なのか以下の通り見解を述べています。
「どうしよう」と考え続けても、どうしようもなくなる理由
例えば、何か問題が起きたときに「どうしよう」と口にしますよね。
でも、「どうしよう」と考えても一向に答えは出て来ません。
「どうしよう」とは「どの様にしよう」という意味です。
厳密に考えると、「どの様にしよう」とは「○○をするけど、これをどの様にすればいいだろう」という意味です。
つまり、何かをすることが決まっていて、それをどの様にすればいいかを問いかける質問です。
ですが、ほとんどの場合、この「○○」が見つかっていません。
肝心の何をするかがまだ見えていないのです。
旅行の目的地が決まっていないのに、どう行けばいいだろうと移動手段を検討しているようなものです。
本来、この「どうしよう」はかなり変な問いかけなんです。
でも、この「どうしよう」はフレーズとして成立しているように見えるのでこのまま考え続けてしまいます。
(『人生は「言語化」すると動き出す』より引用)
これで「どうしよう」という言葉が、なぜ曖昧な言葉であるのか理解出来たはずです。
「どうしよう」はそもそも言葉の使い方が間違っているからです。
「何をするのか」を決めなければいけないのに、手段を探そうとしているのですから、「どうしよう」と考えても何も解決策が思い浮かばないのも頷けます。
私達がよく使っている言葉で、上記の様な間違った使い方をしている言葉は他にもまだまだあります。
例えば、こんな言葉もよく使ってはいないでしょうか。
また、「相手の立場に立とう」というフレーズがあります。
ビジネスでもプライベートでもよく言われる言葉ですね。
何か問題が起きると、「じゃあ、相手の立場に立って考え直してみよう」と言われ、「そうだね、その視点が抜けてたな」と反省することもあります。
とは言え、何も行動出来ません。
というのは、相手の立場に立とうと考えても、実際は相手の立場に立つことは出来ないからです。
そういう場所がないからです。
だから、立ちたくても立てない。
何をしていいかわからない。
相手の立場に立ちたいのはやまやまですが、何をすればいいのかがわからない。
だから、結果的に相手の立場に立つことが出来ないわけです。
揚げ足を取っているのではなく、実際に何をしていいかわからないのです。
何をしていいかわからなければ、当然行動することも出来ません。
だから、結果も得られないのです。
私達の行動の全ては言葉ありきなのです。
言葉が明確になっていて、それを明確に自分で捉えているから行動に移せるということを、僕らは自覚しなければいけません。
(『人生は「言語化」すると動き出す』より引用)
引用の文章の通り、間違った言葉を使っていると思考はすぐに曖昧になり、結局何をしたらいいのかわからなくなるので動けなくなります。
間違った言葉の類を普段から何の違和感もなく使ってしまっているのは、あなたも心当たりがあるのではないでしょうか。
さらに間違った言葉を使い続けていると、私達の思考や行動にも影響を及ぼすようになります。
著者はその状態を「言葉で制限をかけられている」と表現しています。
同じ章の『言葉が、ぼくらに制限をかけている』から、私達がよく耳にするあるフレーズを例に挙げて、言葉の制限についてわかりやすく解説しています。
言葉が思考や行動を制限させてしまう仕組み
さらに言うならば、僕らは言葉で制限をかけられています。
僕らの思考や行動は、僕らが使っている言葉で方向付けられています。
つまり、実は僕らが自然に考えて行動することは、僕らが普段使っている言葉に誘導されているわけです。
そして僕らの当たり前を作ってきたのは言葉なんです。
例えば、「人に迷惑を掛けてはいけない」という言葉があります。
誰しも一度は言われたことがあるでしょう。
このフレーズに対して、「そんなことはない」と真っ向から反対する人はいないでしょう。
でも、「人に迷惑を掛けてはいけない」と考えていると、迷惑を掛けていそうな人を見かけた時に怒りを覚えたり、嫌悪感を抱いたりします。
「迷惑を掛けてはいけないのに、あの人は迷惑を掛けている。おかしいだろ。」
という理屈で怒りの感情が出て来ます。
「人に迷惑を掛けてはいけない」という言葉を投げかけられたので、人に迷惑を掛けている人を見ると許せないという感情が湧くわけです。
でも、インドでは子育てをするときに異なる声掛けがされるようです。
「生きていれば、人に迷惑を掛けてしまうもの。お互い様なのだから、誰かから迷惑を掛けられても許してあげなさい。」と伝えるそうです。
この言葉で育った子供は迷惑を掛けている人を見ても、「自分も迷惑を掛けているし」と冷静でいられます。
起こっている事柄は同じなのに、僕らが抱く感情は全く違うものになります。
日本人とインド人とでは、当たり前が異なるわけです。
それは言葉によって、僕らの感情や考え方すらも制限され、誘導されているからです。
(『人生は「言語化」すると動き出す』より引用)
この様にシチュエーションが同じでも、それに対して違った言葉をかけられると全く異なった印象を抱きます。
言葉が感情や考え方を制限して誘導させているのが、こうして俯瞰して見るとよくわかります。
「それなら制限を無くそうと意識していれば、誘導もされずに済むのでは」と思われたかもしれません。
しかし、私達がどれだけ制限を無くそうと思ったり、考えたりしても、結局は制限された中でしか私達の思考は及ばないのです。
それは一体どういうことか、本書の第2章の『自分が望んでいるものを「言語化」する』から『何も制限がなかったら、やりたいことは見つけられるのか?』で次の通り解説しています。
「自分のゴールを見つける時に、何も制限がなかったら何をしたい?」と自問するのも、ほぼ意味がありません。
というのは、全ての制限を取っ払って考えたつもりでも、無意識に制限を掛けているからです。
どれだけ自由に考えたつもりでも、所詮はこれまで自分が生きてきた、制限された考え方で描く理想です。
制限された現時点でしか考えることは出来ません。
以前、この「何も制限がなかったら?」という質問を僕の講演会で問いかけたところ、「毎朝の通勤が本当に苦痛で。何の制限もなかったら昼まで寝て食事をしてから出社したい。それが理想です。」と回答した人がいました。
本人は理想を掲げたつもりでしょうが、まだ会社に出社することを前提として考えているわけです。
「理想はいい会社に就職して、一生安定した給与を貰うことです」というフレーズが出て来たこともありました。
なぜ、サラリーマンで働き続けることが前提なのでしょうか?
それはこれまでの自分で考えているからですね。
サラリーマンじゃない働き方も十分あり得るし、さらには働かないということも選択肢にあっていいはずです。
本人は制限を無くして考えたつもりでも、知らず知らずのうちにこれまでのことを前提として考えているのです。
僕らはなかなか理想の状態を描くことが出来ません。
まだ経験していないからです。
「経験していないことを掲げて、ゴールとして捉えろ」と言われても、実際には出来ないのです。
だから、「何も制限もなく理想の状態を描け」と言われても結局出来ません。
(『人生は「言語化」すると動き出す』より引用)
どれだけ制限を外そうとしても、結局これまでの人生で得た経験でしか、私達は物事を測れないのです。
やりたいことを見つけようとしても、結局それは今の現状から考えた延長線であって、それが本当にあなたのやりたいことかどうかはわかりません。
どうあがいても制限を外せないのなら、私達が本当にやりたいことはずっと見つけられないままなのでしょうか。
そんなことはありません。
未来という経験したことがないことを考えているから、明確に出来ていないだけです。
それなら今の段階で明確に出来ることに焦点を合わせて、きちんと現状を明確化した先に制限が外れた理想の状態を思い描くことが出来るはずです。
これまで「どうしよう」や「人に迷惑を掛けるな」など、私達が日常生活でよく使う言葉を例に挙げて、曖昧な言葉に関して説明してきました。
曖昧な言葉を使っていると、どの様に思考に制限が掛かるのかはこれまで説明してきた通りです。
「言葉とは、物事を見るメガネの様なもの」だと、本書を読んで私はそう思いました。
今まで私達は、自分に合っていない度数のメガネを何の違和感もなく使用していました。
視界がぼやけて見えていても、「まあこんなものなのかな」と思い、今自分が掛けているメガネそのものに疑問を持っていませんでした。
しかし、度数があっていないメガネなら、度数の合ったメガネに付け替えればいいだけです。
そしてそれは自分の中の言葉を明確にするだけで、簡単に替えられます。
それが言語化をするということであり、言葉を明確にすることだと私は考えています。
言語化はあなたの視界をクリアにして、鮮明に世界を映せられます。
あなたに合った度数のメガネを見つけて、あなたの人生を動かせるように、本書をぜひ読んでみてはいかがでしょうか。
本記事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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