人間関係で悩みたくないなら、他人のゴミを拾うのをやめましょう『なぜ、他人のゴミを拾ってしまうのか?』

心理的な抑圧を緩和する
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人間関係で悩んでいる時に言われがちなあの言葉

「他人は変えられないけど、自分は変えられる」

どこかで聞いたことがある言葉だと思います。

この言葉が使われるのは、人間関係で何か悩んでいる時でしょうか。

人間関係で悩んでいる時というのは、とにかく他人のせいにしがちです。

「あの人のせいで」とか「あいつさえいなければ」など、物事がうまくいかない理由を相手に責任転嫁した方が楽ですし、そうすれば自分が傷つかずに済みます。

極端なことを言ってしまえば、その環境から離れられればだいたいの人間関係の悩みは解決します。

でも、それが安易に出来ないから思い悩んでいるんですよね。

そこで使われるのが、「他人は変えられないけど、自分は変えられる」という言葉です。

他人を変えようとしても、結局相手は何も変わらずに徒労で終わってしまうのだから、自分を変える方がまだ状況が良くなる可能性はある。

他人に向きがちな意識を自分自身に向けられる、いい言葉だと私は思います。

では、自分に意識を向けた後に、具体的にどうすれば自分は変えられるのでしょうか。

そんな自分を変えられる方法をわかりやすく教えてくれる上に、人間関係の悩みを解決にまで導いてくれる本が今回ご紹介する『なぜ、他人のゴミを拾ってしまうのか?』です。

いつも本サイトを訪れて記事を読んでいただき、ありがとうございます。

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人間関係の悩みを解決する究極のコツ

私は心療心理学者として、平均すると一日に6人から7人のクライアントに出会います。

クライアントの年齢が25歳なら25年間の人生と、40歳なら40年間に渡る人生に向き合い、様々な悩みや問題を改善する方向に導くお手伝いをしています。

こうして計算してみると、実に220万年以上の人生に関わってきたことになりますが、これだけ長い時間に向き合っていると、それぞれが抱えている問題に共通している点が透けて見えてきます。

気持ちが晴れない、友人関係が長続きしない、職場で孤立してしまう、夫あるいは妻と気持ちがすれ違う。

相談内容は多岐に渡りますが、その根底に共通しているのが人間関係のトラブルです。

直接人間関係にまつわることではなくても、背後にその拗れが見え隠れする場合がほとんどだと言えます。

それでは、なぜ私達はそこまで人間関係について悩んでしまうのでしょうか。

その原因やそこから抜け出す方法については本文で詳しく述べますが、一言で言うと、自立に関わる問題です。

自立出来ていなかったり、自立の意味を取り違えていたりするために、人付き合いによるトラブルが絶えません。

この本では、自立の本当の意味を探りながら、人と上手に付き合う為のバウンダリーという考え方について紹介しています。

バウンダリーとは、自分と他人との境界線を表すものですが、その法則の中に「他人は変えられない、変えられるのは自分だけ」というものがあります。

ほとんどの人が他人を変えることに躍起になっていますが、他人を変えようと頑張れば頑張るほど、人間関係の糸が複雑にもつれるばかりです。

人間関係の悩みを解決する究極のコツは、他者ではなく自分を変えること。

そうすれば、あなたのこれからの人生はもっと生きやすくて心地の良いものになるはずです。

(『なぜ、他人のゴミを拾ってしまうのか?』より引用)

著者の丸山真也さんは臨床心理学博士であること、そして本書の概要について、本書の冒頭の文章から引用しました。

人間関係で悩みを抱えることは、今の時代多くの人が当てはまることだと思います。

そして相手が変わってくれるのを願っていても、結局相手は何も変わらなかったことも経験されていることでしょう。

「他人は変えれないけど、自分は変えられる」

記事の冒頭でも話題に挙げた言葉ですが、具体的にどうすれば自分を変えることが出来るのかに焦点を合わせたのが本書です。

自分を変えるために必要なこととして、「自立の本当の意味を探りながら」とありますが、自立の本当の意味を知るには、自立が出来ていない人達に目を向けるのがわかりやすいです。

著者は臨床心理学博士としてカウンセリングを受けに来るクライアントの方達を観察していくうちに、本来の意味で自立が出来ず人間関係に悩む人には、共通点があることを発見しました。

その共通点は何なのか、次の通り説明しています。

クライアントの話に耳を傾けている内に、やがて私は彼ら彼女らにある共通する傾向があることに気付きました。

それは他人から頼まれたことにノーが言えず、「自分がやらなければどうなってしまうかわからない、私がしなければ誰がするの」という言い方をして、周りで起きた問題を全て自分で抱え、背負い込んでいるということです。

(中略)

心も身体もくたびれ果てているのに、決まって口から出る言葉が「私がやらなければ誰がするの」、「俺がやらなければ」という自問自答なのです。

この人たちの心の深層には、私が「万能感症候群」と呼ぶ心理病理が隠されています。

万能感とは、あたかも自分が何でも出来るような錯覚の事を意味します。

しかし誤解して欲しくないのは、だからと言って、この人達が自信満々だということではありません。

(『なぜ、他人のゴミを拾ってしまうのか?』より引用)

著者は万能感症候群には4つのタイプがあると本書で語っています。

「相手に対して全てイエスと答えるノーが言えない人」、「人の忠告や都合を聞かないノーが聞けない人」、「他人に無関心で手を差し伸べないイエスが言えない人」、「人に助けを求めることが出来ないイエスが聞けない人」の4つのタイプです。

あなたも、もしかしたらこの4つのタイプのどれかに心当たりがあるかもしれません。

特に「相手に対して全てイエスと答えるノーが言えない人」については、日本人で最も多いのがこのタイプだと著者は述べています。

どのタイプも人間関係の中で悩みを抱えてしまう原因となるので、万能感症候群は人間関係病と言ってもいいと著者は見解を示しています。

そもそも、なぜ万能感が生まれて錯覚を起こすようになってしまったのでしょうか。

万能感が生まれた起源を次の通り説明しています。

生まれて間もない頃からしばらくの間、赤ちゃんは万能感に満たされています。

赤ちゃんはお腹が空くと、だいたいは泣いて訴えます。

親はお腹がすいたのだと思い、母乳をあげたり、ミルクを飲ませたりします。

すると赤ちゃんはお腹が空いたと感じるだけで、お腹がいっぱいになったという体験をします。

大人なら、「お金が必要だ」と思った時に、スーッと空からお金が降ってくる様な体験です。

これが万能感です。

しかし当たり前ですが、自我が芽生えて現実に直面するようになると、万能感は危機に晒されるようになります。

この時期に現実の世界に直面出来るように躾ければ、子供は自分が限界のある存在であることを知ります。

人は互いに、適切に依存しあうことが必要だということを覚えるわけです。

ところが、親が過保護や過干渉になると、子供はいくつになっても自分の限界というものを学習出来ず、ずっと万能感を持ち続けるようになります。

日本の家庭では幼児に対して、「まだ小さいのだから」と意識的に躾けることがあまりありません。

そして小学生くらいになると、子供の性格や能力などを無視して、親の思い通りにしようと過干渉になりがちです。

この様な過程で育てられると、子供は自らの万能感を保つために色々な防衛策を身に付けるようになります。

例えば、自分の犯した間違いを隠すためにウソをつく、言い訳をする、責任転嫁をするといった具合です。

(『なぜ、他人のゴミを拾ってしまうのか?』より引用)

万能感は元々誰もが持っていた感覚であることが、上記の説明でわかりました。

赤ん坊の頃に形成された万能感は、成長していく内に削ぎ落とされていき、己の限界を自覚することで完全に捨てられます。

しかし成長する過程において、万能感を完全に捨てられないと、万能感は人間関係で悩みを形成させてしまう種になってしまいます。

では、どうすれば万能感を完全に捨てられるようになるのでしょうか。

その万能感を捨てられる方法こそが、自立することです。

先述した通り、まず自立の本当の意味を知らなければ、自立することは出来ません。

自立の本当の意味とは何なのか、本書では以下の通り定義しています。

では、人間関係病から逃れるためにはどうすればいいのでしょうか。

それは一言で言えば、自立することです。

自立と聞くと、親から経済的に独立して、一人できちんと生活している姿が思い浮かぶでしょうか。

確かに経済的に独立することは、自立の一つの条件として大事なことです。

けれどもそれだけでは、究極的にはお金にコントロールされたライフスタイルになりかねません。

お金で解決出来ない心の問題、恋愛のトラブル、あるいは人間関係の拗れなどが起こった時に適切に対応出来ず、不安定な精神状態に追い込まれるようなら、本当の意味で自立しているとは言えません。

「自立とは、他人に頼らないで何でも自分でやること」と誤解する人がいます。

しかし本当の自立とは、自分の出来ることは自分でやり、自分の限界を超えたところは他人の助けを借りる。

つまり、適切に関わる相互関係なのです。

(『なぜ、他人のゴミを拾ってしまうのか?』より引用)

他人との良い関わりを持つことが、本当の意味での自立だと著者は本書で語っています。

「自分が出来るところは自分でやり、自分の限界を超えたところは他人の助けを借りる」

当たり前のように感じますが、自分が出来るところと出来ないところの明確な基準を、あなたは説明出来るでしょうか。

説明が出来ないということは、その線引きがあやふやだということです。

説明する言葉が出て来ないのは、他人の助けを借りることに躊躇してしまう気持ちもあるかもしれません。

しかし、「ここからは他人の助けを借りる」と自分の中で決めることは、万能感を捨てられることに繋がるので、人間関係でこれ以上悩まない為にとても大切なことです。

この線引きを決めて引くことが、先述したバウンダリーです。

人と上手に付き合う為の考え方がバウンダリーなのですが、具体的にバウンダリーとは何かを次の通り説明しています。

他人のゴミを拾うのをやめるには、自分と他人との間に境界線を引く

バウンダリーは、今では一般的に知られるようになったアダルトチルドレンや共依存の概念などと同じ線上にあります。

バウンダリーとは、自分の責任領域を示す境界線の事です。

つまり簡単に言うと、どこまでが自分の責任で、どこからが他人の責任なのか。

境界線を引いて、その範囲をはっきりさせるということです。

バウンダリーとはそもそも所有地の境界線を意味しており、辞書を引いてみると境界、境界線、国境などの意味が出て来ます。

心理学の世界では、バウンダリーは以前からある考え方で、この本では自分と他人とを区別する精神的、心理的な境界線という意味合いで使っていきます。

国境の様に目に見えるものならわかりやすいですが、人間関係において自分の責任と相手の責任を線引きするのはなかなか難しいことです。

特に私達日本人は、幼い頃から自分をなるべく意識しないように育てられている傾向がありますから尚更です。

しかしバウンダリーがないと、人間関係のトラブルに巻き込まれやすいと言っても過言ではありません。

新聞を片付けない夫の妻は、自分の責任、バウンダリーがどこまでなのかをよく認識していない為に、夫に対して一貫した態度を取ることが出来ません。

そのために夫は、自分の領域内での責任を果たさないで済んでしまっているわけです。

この夫婦の場合、片付ける責任は夫にあり、妻にはありません。

本当に夫に片付けて貰いたいのなら、日ごと散らかっていく新聞を目の前にしても、決して手を出してはいけません。

夫のバウンダリー内の事ですから、夫が自分でやるようになるまでそのままにしておくことです。

もちろん、ガミガミ文句を言うこともしないことです。

妻が新聞を片付けることは、夫の自立を妨げることにもなります。

(『なぜ、他人のゴミを拾ってしまうのか?』より引用)

自分と他人との間に境界線を引くのは、責任の領域を区別する為です。

境界線がないと、「自分がやらなければならない」という万能感が生まれてしまい、上記の通り些細なことでも人間関係のトラブルが生まれてしまいます。

ここからここまでは自分の責任の領域で、ここからここまでは他人の責任の領域だと、線引きすることは悪いことではありません。

むしろ、線引きをすることで人間関係は良好になります。

互いの領域を線引きすることに関して、さらに詳しく以下の通り見解を述べています。

当たり前ですが、私達には隣の家の庭に落ちているゴミを拾う責任はありません。

わざわざ塀を乗り越えて拾いに行ってあげても、お節介に思われるのがオチでしょう。

泥棒と間違えられてしまうことだってあります。

しかし普段人と付き合う中で、隣の家のゴミ拾いをしている人は案外多いのです。

夫が読んだ新聞をいつも妻が片付ける、同僚の残業を頻繁に引き受けるなどは、正にその典型です。

こういう人はそこは相手の領域なのに、そこに落ちているゴミが気になって仕方ありません。

本人はその間違いに気付いていないか、気付いていても行為を止められないことがほとんどです。

するとその内どうなるでしょうか。

隣人はゴミを拾ってもらうのを待つようになり、自分で拾うことを止めてしまいます。

つまり他人のバウンダリーを侵すことは、他人の自立を妨げることに繋がってしまうのです。

この様な関係を続けると、互いが疲れ果ててしまいます。

自分のバウンダリーを確立するというと、わがままだと思われるのではないか、自己中心的なのではないかと考えてしまいがちです。

けれども、それは全く逆です。

自分というものがわかればわかるほど、つまり自分の領域がわかればわかるほど、他人と自分との境界線が明確になり、人付き合いが円滑になります。

バウンダリーを正しく活用すると、他人の家のゴミを拾わなくて済むようになり、日常生活の様々な場面における人間関係の悩みを解決することに役立つのです。

(『なぜ、他人のゴミを拾ってしまうのか?』より引用)

隣の家のゴミを拾おうとしてしまうことに心当たりはありませんか。

「よかれ」と思って、相手の為に何かを行動することは素晴らしいことだと思いますが、それはもしかしたら相手の自立を妨げている行為かもしれません。

先述した通り、本書では適切な依存はむしろ人間関係を良好にすると述べています。

相手が出来ることは相手が行い、相手が出来ないことは自分が手伝えばいいのですが、その線引きが出来ていないから人間関係を拗らせる過度な依存が生まれてしまうわけです。

相手が出来ることは、相手が行うべきなのです。

相手が出来ることまで干渉するのは優しさではなくて、ただのお節介になります。

自分の責任の領域の線引きを明確にするには、相手の領域の事もちゃんと考えてあげる必要があります。

相手の自立を妨げない為に、あえて手を貸さずに見守るようにする。

これも相手に対する優しさだと私は考えています。

人間関係は当然ですが、相手がいて初めて成り立つものです。

人間関係に悩んでいるのなら、自分と相手の線引きを明確にすることで、悩みの解決の糸口を見つけられるのではないでしょうか。

本書では自分と相手の線引きを明確にするバウンダリーをどうすれば正しく行えるか、家庭から職場の人間関係までシチュエーション別に事例を挙げて、バウンダリーについてより詳しい解説が記載されています。

あなたが自分と他人との境界線を明確に線引きが出来るように、本書をぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

本記事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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