メンタルが弱いことに対する世間の印象
「メンタルが弱い」
メンタルという言葉が世の中に普及してから、この言葉をよく聞くようになりました。
以前、メンタルには自分に合った概念で向き合いましょう『心の容量が増えるメンタルの取扱説明書』の記事で、Googleの検索フォームにメンタルと入力すると、「強い」や「弱い」など強弱の概念が世間では定着していることを記事の冒頭で取り上げました。
メンタルには強弱の概念が存在する。
メンタルをそう捉えることで、目には見えないメンタルをわかりやすくしているのだと思われます。
ところが、「メンタルが弱い」ことがまるで悪いことであるかのような風潮もよく見かけます。
Googleの検索フォームに「メンタル 弱い」と入力してスペースを押すと、検索候補欄に「メンタル 弱い 改善」や「メンタル 弱い 治し方」など表示されており、「メンタルが弱い」ことがまるでダメなことであるかのようなキーワードで検索されていることがわかります。
はたして、メンタルが弱いことは本当に悪いことなのでしょうか。
そんなメンタルが弱いことが悪いことであるかのような世間の風潮に対して、異議を唱えている本が今回ご紹介する『「メンタル弱い」が一瞬で変わる本 何をしてもダメだった心が強くなる習慣』です。
いつも本サイトを訪れて記事を読んでいただき、ありがとうございます。
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先程、Googleの検索フォームを話題に挙げましたが、メンタルに関する検索欄を見るとメンタルが弱いことを自覚されている方は多いように見受けられます。
しかし、「メンタルが弱い」ことに対して治そうとしたり、改善しようとする意志があるのもそこから感じ取れます。
そういった言葉で検索しているということは、自らのメンタルの弱さを認めた上で「メンタルを強くしたい」と思って検索されているのでしょう。
もしかしたら、あなたもご自身のメンタルを強くしたいという思いから、今この記事を読まれているかもしれません。
ですが、これだけ検索されているにも関わらず、「メンタルを強くするにはこの方法」と一貫した答えがないのが現状です。
おそらく、検索された人達も検索結果に表示されている様々なメンタルを強くする方法を一通り試されてはみたのでしょう。
その人達が「メンタルを強くしたい」と思いながらもメンタルが強くならなかった理由を、本書のまえがきで次の通り説明されています。
あなたは落ち込み、不安、憂鬱、イライラ、ネガティブな感情に囚われたり、物事のマイナス面ばかり見たり、後ろ向きに考えていませんか?
メンタルが弱い自分を見つけては深いため息をつき、「なんでこんなに弱いのだろうか」と自分自身にがっかりすることはありませんか?
「どうにかメンタルを強くしたい」とあなたも色々なものを試してきたのでしょう。
なのに、何も変わらない。
そんな経験を繰り返していると、いい加減嫌になるものです。
私はあなたのメンタルが強くならなかった理由を知っています。
とてもシンプルな理由です。
あなたはメンタルの弱さを悪いものだと思ってはいませんか?
「いらないものなので、見つけたらさっさとゴミ箱に捨てなければ」と、確かに不安や落ち込み、マイナス思考、ネガティブな感情というのは気持ちの良いものではありません。
なるべくなら避けて通りたい。
でも、その前提こそ間違いだったのです。
メンタルの弱さは悪ではありません。
いらないものなんてとんでもない。
それはゴミではなくて、むしろ強さの材料なのです。
(『「メンタル弱い」が一瞬で変わる本 何をしてもダメだった心が強くなる習慣』より引用)
私はメンタルが弱いことはずっと悪いものだと思っていました。
「メンタルが弱い」という言葉は悪いイメージしかないので、「メンタルが強くなりたい」と強さに憧れる。
メンタルの強さに憧れているので、メンタルが弱いと感じるところを見つけては自己否定してしまう。
私自身そんなことばかり繰り返していました。
ですが、いくらメンタルが弱い自分を見つけては否定し続けても、それがメンタルが強くなることには結びつきませんでした。
もしかしたらあなたもメンタルが弱い自分を見つけては、「このままじゃダメだ」と思われているかもしれません。
ですが、その「このままじゃダメだ」と思うこと自体が間違っていたのです。
メンタルが弱い自分を見つけたなら否定せずに、正面から向き合うことがメンタルを強くするには必要なことだったのです。
なぜ、メンタルの弱さが強さの材料になるのでしょうか。
本書の著者の片田智也さんはご自身の半生も交えて、その理由を以下の通り語っています。
あなたのメンタルが強くならなかったのは、強さの材料であるマイナス思考やネガティブ感情をゴミ箱に捨ててきたから。
例えば、私は私以外の家族が全員、うつ病と診断されたことのあるメンタルが弱い血筋。
私自身、ありえないほど慎重で繊細、後ろ向きです。
でも、それのどこが悪いのでしょうか?
もしそれらをゴミ箱に捨ててしまっていたら、今の私はまず存在していなかったでしょう。
私は二十代で独立し経営者となって三年後、緑内障という目の病気にかかり、中等の視覚障がい者となりました。
不安や落ち込み、後悔、劣等感は飽きるほど経験していますし、同じ年にうつと診断された姉を自死で亡くしています。
怒りや悲しみ、無力感、寂しさがごちゃまぜ。
「もう生きていても意味がない」と死を考えたことも、もちろんありました。
でも、どん底を這い回っている時、ふと思ったのです。
「意味がないなら、自分で作るしかない」と。
それから私は姉の死の真相を知りたいと、精神医療や精神障害、向精神薬について調べるようになりました。
その後、精神療法や哲学を学びながら、「メンタルの弱さとは何なのか」。
その答えを進化生物学に求めるようになりました。
進化生物学では原則的に、遺伝している形質、傾向は何らかの形で生存の維持、繁殖の成功に役立っていると考えます。
つまり、不安や落ち込みにも意味があるということ。
あなたはその意味をまだ知らないだけなのです。
(『「メンタル弱い」が一瞬で変わる本 何をしてもダメだった心が強くなる習慣』より引用)
著者は半生で壮絶な経験をした影響から、自身のことを「メンタルが弱い」と述べています。
「でも、それのどこが悪いのでしょうか?」という言葉には開き直りというよりも、自分のメンタルの弱さに正面から向き合い、自分なりに出した答えだということが感じ取れます。
人生で辛さや苦しさを何度も味わってきた著者が出した答えが、「メンタルの弱さはメンタルを強くする材料である」と断言していることには説得力があります。
あなたはあなたのメンタルの弱さに向き合えているでしょうか。
今まで否定ばかりしてずっと目を背けてきたから、直視することがまだ出来てはいないのではないでしょうか。
メンタルの強さばかり憧れて追い求めていても、何も変われないことはあなたも既にわかっているはずです。
例えば、メンタルを強くする方法としてこんな言葉に出会ったことはないでしょうか。
一万人以上のカウンセリングに携わり、講演や企業研修の受講者の数は述べ二万人を超えています。
メンタルの弱いはずの私が視覚障害のハンディを克服し、そういった仕事を続けられているのも、人が遺伝的に持っている自然な弱さを全て強さの材料として利用出来たからです。
これまであなたはメンタルを強くするため、いろんなことをしてきました。
でも、その結果あなたのメンタルは強くなったのでしょうか?
「物事のプラスの面を見る」
「過ぎたことでくよくよしない」
「変えられないことを考えない」
など、こういったよく目にするメンタル強化法はどれもメンタルの弱さを否定することが前提となっているはずです。
しかし、弱さの否定からは本当の強さは絶対に生まれません。
(『「メンタル弱い」が一瞬で変わる本 何をしてもダメだった心が強くなる習慣』より引用)
メンタルの弱さを否定しても、メンタルが強くなれなかったことはあなたも経験されたはずです。
「メンタルの弱さを否定し続けなければ、メンタルは強くならない」
そんな思いがあったのかもしれません。
しかし、メンタルの弱さと強さには相関関係があります。
どちらか片方しか存在しないような相反するものではありません。
まず、メンタルを正しく理解するにはこの認識を押さえておく必要があります。
メンタルの弱さとは誰にでもあるもので、その弱さを自分の中でどう受け入れるかがメンタルの強さに繋がるのです。
メンタルの弱さを強さに変えられた事例として、あるプロボクサーを例に紹介しています。
本当に強い人はそのことをよく知っています。
マイク・タイソンというボクサーをご存じでしょうか。
デビュー後、たった二年ほどで三つの団体の世界王者となった史上最強のボクサーです。
でも、そんなタイソンでさえ、試合前はいつも負ける恐怖心から手が震えていたそうです。
どんなに強い人でもこういった自然な弱さはあるもの。
人間、みんなメンタルが弱いのです。
当時、タイソンのトレーナーを務めていたカス・ダマトはこの様にアドバイスしています。
「恐怖心というものは人生の一番の友達であると同時に、敵でもある。ちょうど火のようなものだ」と。
つまり、恐怖心という弱さを遠ざけるのではなく、仲良くなって力を借りなさいというわけです。
これまでのあなたは火を敵とみなし、危ないと思って遠ざけてきたようなもの。
火を怖がっていては道具として使いこなせないのはもちろん、いつまでも火を恐れて暮らすことになるでしょう。
メンタルの弱さも同じ。
あなたはこれまで落ち込みや不安と仲良くしてきましたか?
それらを恐れて遠ざけて来たのではないでしょうか?
どんなことをしてもあなたのメンタルが強くならなかったのは、あなたが弱い人間だからではありません。
ただ単にマイナス思考やネガティブさといった本来利用するべき強さの材料を何となく否定してきたからです。
メンタルの弱さは、悪でも敵でもありません。
例えば筋肉痛のような必要悪であり、むしろあなたの味方です。
なぜ、メンタルの弱さを人間が持ち続けているのか、進化生物学的な背景を知れば、それは恐れるものではなく、むしろ利用する道具であると納得出来るでしょう。
あなたがこれからするべきことは大きく言うと三つです。
「自然な弱さを人間らしいと認めること」
「弱さが警告している意味を読み取ること」
「その意味に従って行動を修正すること」
人間はみんな自然な弱さを持っています。
それは身を守るための警告システム。
常に私達の行動を最適化してくれています。
なのに、それを否定するということは自らを危険に身をさらすということ。
結果、生まれるのは不自然な弱さです。
それを覆すために不自然な強さ、つまり我慢や強がりを続けているから苦しいのではないでしょうか。
自然な弱さと友達になってください。
感情や感覚の警告を読み取り、素直に行動を変えていけば自然な強さが身に付きます。
「そんなこと自分に出来るか不安だな」
大丈夫、今あなたが感じている不安は自然な弱さです。
消したり、無視したり、誤魔化したりしなくてよいのです。
これからお伝えする内容を理解し、実践して頂ければあなたのメンタルは確実に強くなっていきます。
(『「メンタル弱い」が一瞬で変わる本 何をしてもダメだった心が強くなる習慣』より引用)
メンタルの弱さは火と同じで、正しく扱えば生活を豊かにしてくれます。
怖がっているだけでは印象は何も変わらない。
メンタルの特徴を正に言い当てていると感じました。
そもそもメンタルが強い人というのは存在しなくて、メンタルと上手に付き合えている人がメンタルが強そうに見えているだけです。
だから、私達もメンタルと上手に付き合えば、「メンタルが強い」と周囲の人達から見てそう思われるような状態になれるはずです。
その為にはメンタルの弱さにもっと向き合う必要があります。
第一章の「あなたのメンタルがいつも弱っている理由」から、本書が定義するメンタルが弱い人の特徴について次の通り解説しています。
メンタルを強いか弱いかだけで判断してはいけない理由
落ち込みや不安、憂鬱、くよくよというのも全て理由があって生じている防御反応です。
無視する必要も強がる必要もなければ、ましてや否定する必要など、どこにもありません。
なのにそれを「ダメな自分」と否定していれば、あなたは一年間で何百回と無駄な自己否定をすることになります。
否定している自分の事を好きになることなど出来ませんし、自信つまり自分を信じることも難しくなるでしょう。
前述した通り、メンタルが弱い人はいないと思います。
ただ、今弱っていることを認められず、ことあるごとに無駄な自己否定を繰り返して、自分を信じる力を殺してしまったいつも弱っている人がいるだけなのです。
(『「メンタル弱い」が一瞬で変わる本 何をしてもダメだった心が強くなる習慣』より引用)
先述した内容で、メンタルが弱いと感じている自分を「このままじゃダメだ」と思ってしまうことを述べました。
「このままじゃダメだ」と思ってしまうことこそが、正に無駄な自己否定と言えるでしょう。
なぜなら、自分のダメなところを見つけて落ち込むのは自然な弱さだからです。
先程からメンタルを「強さ」と「弱さ」の前に、「自然」と「不自然」という冠詞が付いていますが、これがメンタルを正しく理解する上でとても大切な考え方になります。
なぜ、メンタルには「自然」と「不自然」も加えて考慮すべきなのか、その理由を以下の通り解説しています。
あなたはメンタルが弱い人ではありません。
防御反応として生じている自然な弱さを無視したり、誤魔化したり、無駄な自己否定をしてきたいつもメンタルが弱っている人なのです。
安心してください。
他人より多く自己否定してきて自信が無くなるのも、また自然なこと。
自然な弱さを認め、それが二度と同じ目に遭わない為の力を授けてくれるものということがわかれば、メンタルは自然と強くなります。
無用な自己否定を繰り返せば、誰だって弱くなるもの。
これまでのあなたはメンタルというものについて誤解をしていただけなのです。
なぜ、その様な誤解が生まれてしまったのでしょうか。
それはメンタルを強いか弱いかという一つの軸で捉えてきたから。
強いか弱いかでメンタルを捉えると、自然な落ち込みや不安までもが悪いものに見えてしまいます。
メンタルを正しく捉える為、もうひとつ自然か不自然かという軸を加えて、二つの軸で改めてメンタルを考え直してみましょう。
(『「メンタル弱い」が一瞬で変わる本 何をしてもダメだった心が強くなる習慣』より引用)
私達は今までメンタルを「強い」か「弱い」かというたった一つの軸だけで判断してきました。
メンタルを判断する基準が「強い」か「弱い」かだけでは、上記の引用を読むと確かに極端だと気付きます。
何か失敗して気分が落ち込むこともありますし、何かいいことがあって気分が晴れやかになることがあるのが人間です。
その状況に合わせてメンタルは変化するので、気分が落ち込めば弱いと判断するのは不自然であることがわかります。
そこで「自然」か「不自然」かという判断基準を設けることで、気分が落ち込むような出来事が起きても、本当にそれが「メンタルが弱い」と言えるのか判定出来ます。
メンタルが自然な状態とはどういった状態なのか、ここまで説明しました。
では、メンタルが不自然な状態とは、具体的にどの様な状態を指すのでしょうか。
例えば、以下のような状態がメンタルが不自然と言えるでしょう。
これまで一万人以上のカウンセリングに携わった経験から言えば、「メンタルが弱いんです」と訴える方々に共通して言えるのが、不自然さ。
ある男性会社員は、「同僚の昇進を素直に喜べなくて小さな人間だなと思います」と悩んでいました。
よくよく聞けば、ずっと横並びでライバルの様に一緒に頑張ってきた同期の昇進が決まったと言います。
もちろん、嬉しい気持ちはあります。
「でも、何かモヤモヤしてしまって」と先輩に相談したところ、「自分のことの様に喜べばいい」と言われたそうです。
要するにライバルに負けたのです。
悔しさや劣等感、「何であいつだけ?」とモヤモヤするのは自然な弱さです。
それを押し殺し、自分のことの様に喜ぶ振りは出来ても、心の底から喜ぶことはきっと出来ないでしょう。
悔しさは深く向き合えば向き合うほど、成長する力を与えてくれます。
「自分も頑張ろう」と自然な強さが生まれるのは、悔しさや妬みといった自然な弱さを消化した後のこと。
それらを誤魔化し、喜んでいる振りをして不自然な強がりを続けている人に成長はありません。
という話をしたところ、「いや、もちろん悔しいですよ。でも、そういう風に考えるのはダメだと思っていました」と。
悔しさとは考えるものではなく、あくまでも感じるものです。
自然と湧いて来る感情や感覚を言葉や思考で不自然に美化してしまうのは、苦しさや妬みといった弱さを悪いものだと捉えているからでしょう。
落ち込みや不安、くよくよ、マイナス思考やネガティブさなども同じです。
いずれも意味があって生じている自然な弱さ。
メンタルについて強いか弱いかで捉えていると、どうしてもそれらを良し悪しとごっちゃにしてしまい、必要悪を否定することになります。
大丈夫です。
普通に生きていれば、落ち込みや不安といった必要悪はしょっちゅうあるもの。
それらとの向かい方を学べば、自己否定の回数も減らせますし、弱さを強さに変えることもうまくなります。
自然な強さを手に入れる方法をゆっくり見ていきましょう。
(『「メンタル弱い」が一瞬で変わる本 何をしてもダメだった心が強くなる習慣』より引用)
心から湧き出た感情は素直に感じてみていいんです。
楽しいと思えば楽しいと感じてもいいし、悔しいと思えば悔しいと感じてもいい。
ポジティブやプラスの感情は素直に受け入れられるのに、ネガティブやマイナスの感情は私達はなぜか否定してしまいがちです。
ですが上記の通り、マイナスの感情を感じるのも人として自然なことです。
自然に発生するマイナスの感情を否定してしまうから、不自然な弱さに繋がってしまうのです。
もちろん、人前でマイナス感情を感じている自分を見せる必要はありません。
しかし、一人でこっそりマイナス感情を味わうのはあなたの自由です。
マイナス感情をしっかり味わって消化した先に、自然な強さが生まれてきます。
そして本書では、マイナス感情を必要悪だと述べています。
マイナス感情は人を落ち込ませたり不安にさせる悪い感情ですが、人である以上はその感情を感じるのは避けられません。
ならば、正面からマイナス感情を受け入れることで、マイナス感情を消化させればいいのです。
その為には感情について、さらに理解を深める必要があります。
例えば、私達が感情についてよく誤解している事として、「感情はコントロール出来る」という考えがあります。
しかし、自然か不自然かという軸でその考え方を見てみると、その考えが間違いであることに気付くはずです。
その理由を第三章の『不自然な否定と強がりでメンタルをいじめない』から『自然な感情を不自然にコントロールしない』で次の通り見解を述べています。
あなたが感情のコントロールが出来ない理由
「どうすれば、感情のコントロールがうまくなりますか?」
そう聞かれることはよくあります。
感情というのは自然なもの。
それを不自然にコントロールしようとすると、痛い目に遭います。
「落ち込んでいないで、早く元気にならないと」
そう思ってもなかなかやる気は出て来ませんし、「緊張してはいけない」と思うほど心身はこわばったり、「緊張をコントロールしよう」と思っても思い通りにならないもの。
むしろ、感情に振り回されてしまうのではありませんか?
では、どうして感情をうまくコントロール出来ないのでしょうか。
理由はシンプル。
コントロールという意味を「思い通りに動かそう」と勘違いしているからです。
例えば、車をうまくコントロールするのなら、「思い通りに動かす」という理解でよいでしょう。
どのくらいハンドルを切ればタイヤがどう動くのか、ギアを入れ替えるとスピードがどの様に変わるのか。
機械的なメカニズムさえわかってしまえば、あとは練習次第です。
いずれは車を思い通りに動かすことが出来るでしょう。
感情もそれと同じと考えて、私も思い通りに感情をコントロール出来るようにと、何度も練習したものです。
でも、うまくいかない。
そんな経験を経て、致命的な勘違いに気が付きました。
単純なこと、心は機械ではないのです。
感情を車のような機械ではなく、意志のある生き物として捉えた方がうまくいきます。
例えるなら、感情とは乗馬における馬のようなもの。
乗馬が上手い人は馬のことを機械だと思っているでしょうか。
そんな風に思っている人はうまく乗りこなせていないでしょう。
馬の気持ちになってみてください。
自分の事を物の様に扱おうとする乗り手のことをどう感じるでしょうか。
少なくともいい気分にはなりません。
怖がったり、嫌ったり、警戒したり、お互いの信頼関係がないのに馬が自分の言うことを聞いてくれないのは当たり前。
乗馬とは人馬一体、馬と協力するスポーツなのです。
(『「メンタル弱い」が一瞬で変わる本 何をしてもダメだった心が強くなる習慣』より引用)
「心は機械ではない」
「心は馬のような別の生き物である」
そう考えてみるとこれまで感情をコントロールしようとしてもうまくいかなかったり、逆に振り回されてしまっていたのも頷けます。
自分の言うことを聞かせて思い通りに動くものだと、私達は心について勘違いしてきました。
それは心も体の一部だからそう勘違いしていたのでしょう。
こう聞くと当たり前だと思いますが、体の部位は自分の意思で動かせるところが多いからこそ勘違いしやすいのです。
例えば、今この記事を読まれているのも指先を動かしたり、眼球を動かすことで記事を読めています。
この様に自分の意思でコントロール出来るところばかり意識が向いてしまうと、「心もコントロール出来る」と錯覚してしまうのでしょう。
ですが、心とは本来、人間の意思がほとんど関与されない不可侵の領域です。
心臓を止めようとしても、意志の力だけでは絶対に止まりません。
運動をしたり、深呼吸をすることで鼓動の速度に影響を与えられるくらいです。
人体には自らの意思でも介入出来ない部位がいくつかありますが、その最たるものが心でしょう。
機械の様にこちらから指示を出すことは出来ません。
やはり生き物、馬であると考えるのが腑に落ちます。
そうやって心と向き合ってみると、今まで自分がどれほど身勝手なことを心にしていたのか気付くはずです。
これではコントロール以前に、反発されて振り回されていただけだったのも当たり前です。
しかし、私達は心に対する考え方を改めることで、心に歩み寄ることが出来ました。
心に近づいた後にすべき行動に関して、文章は以下の通り続きます。
感情を乗りこなすのもそれと同じこと。
思考と感情が一体とならなければ、目の前の障害を乗り越えることは出来ません。
感情の存在を尊重し、対話し、協力する。
感情のコントロールとは、自然な感情を認めて息を合わせることなのです。
ところが、大抵の方は感情と格闘して不自然にそれを押さえつけること。
それが感情のコントロールだと勘違いしています。
そもそも、意志で抑え込めるほど感情の力は弱くはありません。
振り回されるのは時間の問題です。
あなたの内面で思考と感情が足の引っ張り合いをしている限り、人生で遭遇する障害をうまく乗り越えることは出来ないでしょう。
生きること、それは感情と協力して障害を乗り越えるスポーツだと考えてみてください。
仕事や夫婦関係、子育て、お金、健康など人生のコースにはたくさんの障害物が転がっています。
感情とはそれらを乗り越えるエネルギー、つまりモチベーションを与えてくれます。
常に彼の様にくっついて過ごす大切なパートナーです。
感情と戦うのを止め、協力関係を作ること。
そうすればどんな障害があっても、軽快に乗り越えて前に進めるはずです。
(『「メンタル弱い」が一瞬で変わる本 何をしてもダメだった心が強くなる習慣』より引用)
頭で理屈はわかっているのに、心の感情がついていかない。
あなたもそんな経験をされたことがあるはずです。
それは思考と感情がお互いに足の引っ張り合いをしているからです。
二人三脚で足並みを揃えないといけないのに、足を踏み出すタイミングも歩幅も速度も何もかもが噛み合っていなければ、転んでしまって前に進めないのは明白です。
しかも、転んだ時に「転んだのはお前のせいだ」とお互いに言い争いをしてしまってはさらに時間を無駄にしてしまうだけ。
互いのことを理解し合わなければ前に進めないのに、私達は相手の事を知ろうともせず、一方的にこちらが主導権を握って動かそうとしていました。
それが間違いだったのです。
私達がしなければならなかったのはお互いに歩み寄って、互いに理解し合うこと。
「メンタルが弱い」と感情を否定し続けているだけでは、決して前に進めません。
今までメンタルが強いか弱いかだけでメンタルを判断してきましたが、ここに自然か不自然かという新しい軸を加えることで、メンタルの世界の解像度を上げることが出来ました。
これまで不明瞭だったメンタルに対して、記事を読まれて何か新しい気付きが得られていれば幸いです。
メンタルの基準が強いか弱いかだけではなく、自然か不自然かという新しい軸をあなたの中に確立させて、メンタルと協力関係を作れるように本書をぜひ読んでみてはいかがでしょうか。
本記事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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