誰かに悩みを聞いて欲しいあなたへ

「誰かにわかって欲しい」なら、まずあなたの本心に気付いてください『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』

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目次

「わかって欲しい」という思いの裏に隠されていること

「誰かにわかって欲しい」

そんなことを思ったことはないでしょうか?

「誰かに自分の気持ちをわかって欲しい、共感して欲しい」と思うのは、人として当たり前のことです。

SNSがここまで発展出来たのは、そういった思いが原動力となったからでしょう。

ですから、そんな風に思うこと自体は何も悪いことではありません。

ただ、あなたは「誰かにわかって欲しい」と思う前に、「自分の気持ち」をあなた自身は本当にわかっているでしょうか。

まずあなたが自分の気持ちを明確にわかっていなくては、相手にわかってもらえません。

「自分で自分の気持ちがわからない」という状態で相手に話そうとしても、相手を困惑させてしまうだけです。

では、どうすれば自分の本心がわかるようになり、そしてそれを相手にもわかってもらえるようになるのでしょうか。

今回ご紹介する『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』は、「わかってもらえない」状態から「わかってもらう」ようになるまで導いてくれる本です。

いつも本サイトを訪れて記事を読んでいただき、ありがとうございます。

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本書が目標とする「わかってもらう」こと

本書の著者の川添愛さんは言語学者の経歴を経て、現在はフリーのライターをしています。

言語学者と聞くと、言葉のエキスパートであり、言葉を巧みに操れるような印象を持ちます。

言葉を使って、相手に「わかってもらう」こともお手の物だと思われたかもしれません。

しかし、言語学者である著者も「最初は言葉で伝えることに苦労した」と本書で語っており、言語学者である今もその難しさを感じていると述べています。

本書の『はじめに』から、著者の相手にわかってもらえなかった経験について、次の通り答えています。

皆さんは、「人からあなたの話はわかりにくい」と言われたら、素直に反省できるでしょうか?

私は長い間、反省できないタイプの人間でした。

特に若い頃は、「私には私の言いたいことがわかっているのに、なぜ相手はわかってくれないのか?100%相手が悪い」と思っていました。

昔は自分の言いたいことがわかってもらえず、イライラすることが多かったように思います。

道案内の地図を作れば「何が書いてあるか全然分からない」と言われましたし、大学の時に書いたレポートは先生から「読んでたら頭が痛くなった」と言われました。

冗談で口にしたことが、相手を怒らせてしまったこともあります。

本文中で詳しく述べますが、国際学会の発表でも大失敗をしました。

それから数十年の紆余曲折を経て、今ではフリーで文章を書く仕事をしています。

言語学の研究をしていたことと、現在言葉を使った仕事をしているという経歴から、言葉のエキスパートのような扱いを受けることもあります。

自分ではとてもそんな風には思えませんが、昔に比べればだいぶマシになったと思います。

ありがたいことに、私が書いた解析書や一般向けに行った講演については、「わかりやすかった」という声を多くいただいています。

(中略)

本書に書いてあることは、私自身がたいしてわかってもらえない人間から、そこそこわかってもらえる人間になるまでに得た教訓に基づいています。

そこでは言語学の知識も多少は応用されていますが、ほとんどは個人的に「これはダメだった、これはうまくいった」という経験から得たものです。

よって、「誰でもこのメソッドを使えば、年収アップ、家庭も円満、意中の人ともラブラブに」といった内容を期待されると困りますが、私と似たような悩みを抱えている人にはヒントになるかもしれません。

本書の内容が、私と同じ場所に向かおうとしている人々のお役に立つことを祈ります。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

上記の引用の通り、「相手にわかってもらえない」と感じている人は、「わからない相手が悪い」と相手のせいにしてしまいがちです。

そう思ってしまうのは、「自分はこんなに頑張って相手に伝えようとしているのに」という思いが根底にあるからでしょう。

その気持ちはとても立派なものです。

しかし、「自分が頑張っていること」と「伝え方がわかりやすいか」はまた別問題です。

いくら自分が頑張っていても、伝え方がめちゃくちゃでは、相手もわかりたくてもわからなくなってしまいます。

そして、それは著者自身も実体験として経験しました。

著者もまた「相手にわかってもらえない」ことを、相手のせいにしていました。

しかし、言語学やライターの仕事で言葉で相手に伝える技術を磨いていく中で、「相手にわかってもらう」とはどういうことかがわかり、その知見の集大成として出来上がったのが本書です。

では、著者にとって「わかってもらう」とは、どういうことを指しているのでしょうか。

第一章の『わかってもらうための大前提』から、著者が定義する「わかってもらう」ことについて、以下の通り説明しています。

まず、この本の目標である「わかってもらう」ことについて、少し掘り下げておきましょう。

ここではわかってもらうことを、「言葉を使うことで他の人たちと、そして自分自身とうまくやっていくこと」と考えます。

理想は「言葉を使うことによって、自分と他人の両方が幸せになること」ですが、そこへ向かうための第一歩として、わかってもらうことを位置づけています。

当然のことですが、私たち人間は他人と関わることなしに生きていくことはできません。

場合によっては、性格の合わない人や嫌いな人の力を借りなければならない時もありますし、会ったこともない、話したこともない、大勢の人々の存在がなければ、現代の暮らしは成り立ちません。

現に私は今日も自分以外の誰かが育てたお米や野菜を食べ、自分以外の誰かが作った乗り物で移動し、自分以外の誰かが建設した建物で暮らしています。

たまにネット上で「他人の必要性を全く感じない」と言っている人も目にしますが、それはおそらく自分が欲しいものや欲しいサービスがそこら中で提供されていて、いつでも気軽に利用できるからでしょう。

しかし、それが可能なのは自分以外の大勢の人々もそれらを必要としており、それに応える形で供給側に回っている人々が大勢いるからです。

つまり、私たちは一生知り合うこともない人々を含め、大勢の他人と知らず知らずのうちに助け合っているのです。

他人と関わり合う上で、言葉は強力な手段です。

もし言葉が使えなければ、誰かに何かして欲しい時でも、身振り手振りで伝えなくてはなりません。

ジェスチャーゲームをしたことのある人はご存知だと思いますが、身振り手振りで何かを伝えるのは極めて難しいことです。

言葉が使えれば、伝えたいことを適切に、しかもスピーディーに伝えることができます。

しかし、だからといってどんな言葉を使ってもいいというわけではありません。

相手にむやみに嫌な思いをさせたり、傷つけたりしてしまっては、わかってもらうことは不可能です。

コミュニケーションは話し手と聞き手の協力によって成立するものですから、聞き手に一方的に理解を強いることはコミュニケーションとは言えません。

わかってもらうことは、聞き手の協力を促し、聞き手に能動的に理解してもらうことであって、無理やり言うことを聞かせることではありません。

また、同時にここで言うわかってもらうことは、他人と上手くやっていくために自分の本心を犠牲にするということとも違います。

他人と自分、自分と自分の関係を調整する上で、上手い落としどころとなるような言葉の使い方はできないか。

それが本書で目指したいことです。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

上記の引用の通り、「わかってもらう」ことは相手に無理矢理自分の意見を押し通りしたり、自分を押し殺して相手に迎合するなど、どちらかが一方的に優位な立ち位置に立つことではありません。

相手も自分も、お互いの意見を尊重しつつ、互いにとって上手い落としどころを模索して見つけられるのが、本書が定義する「わかってもらう」ことです。

そもそも相手がいなければ、私達は「わかって欲しい」とは思わないはずです。

そしてこの「相手を意識する」のは、「わかってもらう」ことにおいてとても重要なことです。

なぜ「わかってもらう」ことに相手を意識することが重要なのか、著者は次の通り見解を述べています。

あなたが相手に「わかってもらえない」理由

他人と、そして自分自身とうまくやっていけるような言葉の使い方をするには、どうすればいいのでしょうか。

以下では、わかってもらうためのベースとなる大前提を上げていきます。

相手に敬意を示す。

とっかかりとして、絶対にわかってもらえなくなるのはどういう時かを考えてみましょう。

わかってもらうために絶対になくてはならないものは、ある程度の信頼関係です。

相手との関係が険悪である場合や、関係が崩壊している場合は、わかってもらうのは不可能と言っていいでしょう。

他人と良好な関係を築くのは簡単ではありませんが、嫌われるのは簡単です。

敬意を示さないようにすればいいのです。

相手を罵ったり、頭ごなしに命令をしたりすれば、大抵は一発で嫌われます。

言語哲学者の和泉悠さんは、著書「悪い言語哲学入門」ちくま新書の中で、「なぜ悪口は悪いのか」という問いに対して、「悪口があるべきでない序列関係や上下関係を作り出したり、維持したりするからである」と説いています。

これは裏を返せば、人間は多くの場合、自分が他人からどのようにランク付けされるかを気にするということでもあります。

もちろん、他人をむやみやたらと持ち上げる必要はありませんが、最低限の敬意をもって接するのは大切です。

恐ろしいことですが、いくら上辺を取り繕っていても、疲れている時や不機嫌な時など、ふとした拍子に自分が相手をどう思っているかが表に出てくることがあります。

私もそうやって人を傷つけてしまったことがありますし、普段はこちらにそれなりの敬意をもって接してくれる人が、酔っ払った拍子にこちらを見下した態度をとってきたこともありました。

無意識に選んだ言葉の中に、相手に対する思いが現れてしまうのです。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

相手が「わかってもらえない」状態になるのは、相手があなたに対して敬意を感じられない時です。

確かに、相手に対して敬意を感じられないのであれば、誰もその相手の話を聞こうとは思わないでしょう。

そして敬意はふとした拍子に出てしまうものです。

上辺だけ敬意を示しているように装っても、何かの瞬間にボロが出たりして、相手には見透かされてしまいます。

もしあなたに心当たりがなくても、相手に対して敬意を示さないような雑な対応を取っていないか、普段の言動を振り返ってみてください。

「相手に対して敬意を示さないような雑な対応」として、本書では以下の通り例を挙げています。

また、直接的に相手を見下しているつもりはなくても、いつも同じ自動操縦モードで相手に接し続けているような場合は、相手と良好な関係を結んでいるとはいえません。

例えば、会話の相手に対してつい、「君はもっとこうしろよ」とか、「あなたはわかってないと思うけど、物事ってのはこうなのよ」といった上から目線の「頼まれてないけど教えてやるモード」で接してしまうことはないでしょうか?

また、相手の至らなさばかりが目について、それを指摘するだけの「小言モード」になることもあるかと思います。

他にも、自分の頭を整理するためだけに一方的に話す、「壁打ちモード」。

相手が言ったことに適当な相槌を打って受け流す、「右から左へ聞き流しモード」。

何を話していても、結局最後は自分の心情や商売に結びつける、「結論決まってるモード」など、自動操縦モードにもいろいろあります。

こんな風に、あたかも自動操縦のように繰り出されるパターン化された会話ばかりしていると、相手はうんざりします。

どのモードにしろ、自動操縦モードで話す人の頭の中では、相手の存在が希薄だからです。

また、あらゆる人に対してそういうことをするわけではなくても、特定の誰かに対して特定のパターンで接してしまう人は少なくないと思います。

例えば、職場などでは言動に気をつけていても、家族や友人に対しては省エネのために自動操縦モードを発動してしまう人はいるでしょう。

当の本人はそれに気づかず、それどころか「相手といい関係を築いている」と思い込んでいることすらあります。

しかし、相手は「この人は私に敬意を持っていないんだな」と感じているかもしれません。

結局のところ、相手を自分と対等の人間と見なしていなかったり、相手をこの世に大勢いるこういうタイプの人間の一人としか見ていなかったりすると、つい敬意を欠いてしまうのです。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

相手に対して敬意を示さない雑な対応を、本書では「自動操縦モード」と呼んでいます。

上記の引用で例に挙げられていた自動操縦モードに、あなたも心当たりはないでしょうか。

家族や友人といった身近な人ほど、この「自動操縦モード」で接してしまいがちです。

上記の引用に挙げられていた自動操縦モードを読んで心当たりを感じたなら、それは人との接し方を客観的に見てみることが出来たからです。

身近な人ほど無意識に自動操縦モードが出てしまうので、定期的に接し方を見直してみると相手に対して雑な対応を取っていないかに気付けます。

ここまでの文章で自分から相手に敬意を示さなければ、相手がわかってもらえない状態になることが理解出来ました。

では、相手が自分に対して敬意を感じられない時はどうすればいいのでしょうか。

そんな時の対処法について、以下の通り解説しています。

読者の皆さんの中には、「こちらに敬意を示さない人に対しても、敬意をもって接しないといけないの?」と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれません。

それが出来る人はすればいいと思いますが、私が思うに、それはとても難しいことです。

いきなりそういう上級技に挑戦するよりも、まずは自分に敬意を持って接してくれる人に敬意を示せばいいのではないかと思います。

「意見を示してくれる人なんて一人もいない」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、そういう方は本当にそうなのかを考えてみて欲しいと思います。

お店の店員さん、荷物を運んでくれる配達員さん、交通機関の係員さんなど、普段何気なく接する人はたくさんいますし、その中には敬意を持って接してくれる人もいます。

建物の中に入るときに自分のためにドアを押さえてくれる人、道ですれ違う時にこちらが通りやすいように少し脇によけてくれる人、少し注意すれば、自分が受け取らずに通り過ぎている敬意に気が付くかもしれません。

私は、敬意はプレゼントと同じだと思っています。

私達が人にプレゼントをしたくなるのは、「あの人なら受け取ってくれそう、きっと喜んでくれる」と思うからです。

敬意も、また感謝や親切も、喜んで受け取ってくれる人のところへやってくるのではないでしょうか。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

あなたの身近にも敬意を示してくれる相手はたくさんいます。

そういった方達に、まず敬意を返してみてはいかがでしょうか。

もしその人達から敬意をあまり感じられないと思っているのなら、その人達の敬意を当たり前だと思っているから感じられないのです。

相手から敬意を受けられることは決して当たり前ではないことを再認識して、敬意を示してくれる人達に接するようにすれば、相手からの敬意を感じられるようになります。

実は敬意以外にも、相手がわかってもらえない状態になってしまう要因は他にもあります。

それは「相手をコントロールしたい」という思いです。

「相手をこちらの思惑通りに動かしたい」という思いが、相手にわかってもらえない状態を引き起こしてしまうことがあります。

なぜ「コントロールしたい」と思うと相手にわかってもらえなくなるのか、その理由について次の通り説明しています。

「あなたのため」という言葉の裏には、「あなた」はいない

相手をコントロールしようとしない。

わかってもらえなくなる別の要因に、「相手をコントロールしようとすること」があります。

私たちは相手に言葉で働きかけることによって、何らかの行動を促したり、行動パターンを変えさせようとしたりします。

例えば、会社で上司の指示に部下が従ったり、団体競技でコーチやキャプテンの指示に選手たちが従ったりするのは普通のことですし、そうすることによって双方に利益が生まれます。

つまり、明確な指揮系統の存在が利益を大きくするため、ウィンウィンの関係が成り立っているわけです。

また、自分の身を守る時や、危険な目に遭っている人を助ける時など、強い言葉を使って他人に指示をしなければならない状況も存在します。

しかし、それ以外の場合は、あからさまに他人をコントロールしようとすると、あまり良い結果になりません。

そもそも、他人の行動や感情を完全にコントロールすることなどできません。

他人が何をするかはその人次第です。

ほとんどの人は自分の思い通りに行動したいと思っていて、他人にコントロールされたいなどとは思っていません。

むしろ、私たちは他人にコントロールされそうな気配を感じると、たいてい拒否反応を起こします。

したくもないことをさせられそうになったら、「なんか嫌だな」と思いますし、もし他人に強いられて不本意な行動をしてしまったら、不快感が残ります。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

自らの意思で相手の言うことを聞くのならともかく、相手から強制されて言うことを聞かなければならないのは誰にとっても苦痛です。

相手の言うことを聞かなければならない場面は人生において多々ありますが、それを事前にわかっていても嫌な気持ちは生まれてしまうものです。

それほど人にとって、相手からコントロールされることは苦痛なのでしょう。

しかし、私達は自分がコントロールされるのは嫌だと感じているのに、他人に対してはコントロールをしようとしてしまいがちです。

なぜ「コントロールしたい」という思いが生まれてしまうのか、以下の通り見解を示しています。

その一方で、私たちが「他人を思い通りに動かしたい、コントロールしたい」という気持ちは結構根深いものです。

私の場合、自分の周囲の人がひどく落ち込んでいたり、暗い顔をしたりしていると、つい「そんなに落ち込まなくていいじゃない」とか、「暗い顔をしていても解決しないよ」などと言いたくなります。

しかし、実際にそう言ってもあまり感謝されませんし、時には反発されることもあります。

以前ネットで見た投稿で、落ち込んでいる友人を励まそうと思って、某有名人がポジティブシンキングの大切さを説いている動画のURLを送ったら、感謝されるどころかキレられたという人もいました。

なぜ、こういった行動が反発を招くのかを考えると、「相手をコントロールしたい」という意図が透けて見えるからだと思います。

口では「あなたを励ましたい」とか、「あなたのためを思って言っている」などと言っていても、その真意は、「あなたが私の周囲で暗い顔をしていたら、私が不愉快なので、さっさと暗い顔をやめて欲しい」ということであり、結局のところ、自分の周囲の環境を自分の心地良いように整えたいわけです。

気をつけなくてはならないのは、「あなたがこういう風にしてくれたら、私にとっては都合がいい」ということを、「あなたのため」という言葉にすり替えていないかということです。

言う方はそういったごまかしをしている自覚がなくても、言われる方はたいてい敏感に察知します。

相手が家族や親友など、近しい人間である場合は「相手をコントロールしたい」という思いはより強くなります。

関係が近ければ近いほど、相手への期待や依存の度合いが大きくなるからです。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

「あなたのためを思って言っている」という言葉をあなたもどこかで言われたり、聞いたことがあるのではないでしょうか。

もしかしたら、あなた自身も相手に対して言ったことがあるかもしれません。

「あなたのため」という言葉の裏にあるのは、「あなたがこういう風にしてくれたら、私にとっては都合がいい」という思いです。

本当は自分本位で相手を動かそうとしているのに、それを「あなたのため」という一見人聞きの良い言葉でオブラートに包んで隠しているだけです。

しかし、上記の引用にも書かれていますが、言われた側はそういった思いを見透かしているものです。

そしてこの「あなたのため」という言葉の危険性について、以下の通り文章は続きます。

特に危険なのは、相手が自分に対して抱いている愛情や友情、感謝の念などを利用して、「あなたが私のことを本当に思ってくれているんだったら、私の言うことを聞くはずだ」とか、「私は今まであなたにこれだけのことをしてあげたんだから、あなたもそれを返すべきだ」などと無理強いをすることです。

そんなことをして、仮に相手が自分に従ったとしても、事態が良い方に転がる保証はありません。

世の中は複雑で、何がどういう結果をもたらすかはわからないからです。

誰でも自分自身で選択したことであれば、たとえそれが悪い結果をもたらしたとしても素直に反省できますし、未来に向けての教訓として受け止めることができるでしょう。

しかし、もし誰かに強いられて選択したことが悪い結果をもたらしたら、双方に後悔しか残りませんし、関係が壊れてしまうこともあります。

身近な人が抱えている問題に対して、自分が有効な対処法を知っている場合もあるでしょう。

しかし、他者という立場からできるのは、本人から求められた際に、それをあくまで選択肢の一つとして示すことだけです。

自分にとっては良い方法に思えても、他人に「これさえやれば絶対に解決するから」などと無責任なことは言えません。

もちろん、「困っている人には何も言わずに放っておいた方がよい」というわけではありません。

折を見て連絡したり、可能な範囲で話を聞いたり、何も言わずにそばにいてあげたりなど、できることはたくさんあります。

最近、特に思うのは、人にはそれぞれの課題があり、それを他の人間が代わりに解いてあげることは出来ないということです。

また、人間は自分自身の課題に取り組めるだけの強さを内側に秘めているとも思います。

相手をコントロールしようとしたり、また教えすぎたりすることは、その人が本来持つ強さを発揮する機会を潰すことにもなりかねません。

私も多くの失敗の末に、極めて緊急性が高い時や相手に助言を頼まれた時を除いて、「こうした方がいいよ」というのはやめました。

しかし、そのように決めて以来、なぜだかわかりませんが、何気ない会話の中で相手に「それが知りたかった」とか、「役に立つ情報をもらった」などと言われることが増えました。

相手が本当に必要としている情報は、相手が欲しいと思ったタイミングで自分の中から勝手に引き出されるものなのかもしれません。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

「あなたのため」に思って掛けた言葉でも、それを受け取るかどうかは相手の自由です。

「あなたのため」という言葉を振りかざして、相手をコントロールをしようとする人は、その相手の人生にまで責任を取れる覚悟が本当にあるのでしょうか。

その人は「相手をコントロールしたい」という思いだけであり、「相手の人生まで責任を取る」とまでは考えていません。

それに結局、人は自分自身で選んだ行動でしか、自分が納得した形で前に進むことが出来ないのです。

もしあなたが本当に「あなたのため」と相手のことを考えているのなら、上記の著者のように相手の状況を鑑みながら言葉を選ぶのがいいでしょう。

相手のことをコントロールせずに、相手を見守って信じることは、十分「あなたのため」の行動だと私は思います。

ここまで「相手がわかってもらえない」状態とは、どういうことか要因になるのかについて見てきました。

では、それらを踏まえた上で、「相手にわかってもらう」にはどうすればいいのでしょうか。

本書では、様々な場面別に「わかってもらう」ことを解説していますが、その中でも自分の気持ちをわかって欲しいことに焦点を当てている、第七章の『感覚・感情をわかってもらう』から「感覚を言葉にする」ことについて、次の通り説明しています。

自分が感じていることを言葉にするには

最近よく、「言語化」という言葉を耳にします。

「あの人は言語化の能力が高い」とか、「上手に言語化してもらって、心の中のモヤモヤが晴れた」などのように使われます。

しかし、「上手な言語化」というのは一体何なのでしょうか。

私の考えでは言語化の能力、イコール分析力、プラス表現力です。

ここで言う分析力というのは、言葉で表現する以前の曖昧模糊とした感覚や感情の本質を見極める力のことです。

表現力というのは、それを相手に合わせて適切な言葉で表現する力のことです。

言語化をするにあたっては「どう表現するか」という問題以前に、対象を分析し、明確にしなければなりません。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

「言語化」と聞くと、言葉でどう表現するかということに意識が向きがちですが、その前に「何を」言葉で表現したいのか、対象を明確にしておかなければなりません。

では、対象を明確化する分析とはどの様に行えばいいのでしょうか。

対象を分析する方法について、以下の通り文章は続きます。

では、分析とは一体どのように行うのでしょうか。

分析の第一歩は観察です。

しかし、ただ漠然と目的もなく観察するだけでは、適切な言語化には繋がりません。

例えば、今自分が飲んでいるコーヒーの味を言語化することを考えてみましょう。

「おいしい」、「おいしくない」、「好みの味だ」、「嫌いな味だ」、「普通のコーヒーって感じ」など、漠然とした感想はすぐに出てきます。

しかし、より詳細に観察するには観点が必要です。

コーヒーの場合は、濃さ、甘み、酸味、苦味、雑味、ミルクとの相性、スイーツとの相性などといった観点が考えられます。

観点をいくつか持つだけで、言語化は格段にしやすくなります。

例えば、「濃厚だけど雑味が少なく、程よい甘みがあってミルクに合う」などと言えば、単に「おいしい」というよりも情報が増えます。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

対象を分析するには観察を行い、その観察には観点を持つことが大切です。

ですが、自分の感覚や感情を分析する際には、気を付けた方がいいことがあります。

その気を付けるべきことについて、以下の通り答えています。

心にもないことを言わず、人を傷つけない。

見たり、聞いたり、味わったりした物事に対する自分の思いを述べる際に、気を付けた方が良いことがいくつかあります。

一つは、「出来るだけ、心にもないことは言わない」ということです。

私にも経験がありますが、人に好かれたいがために心にもないことを言ったり、人に合わせようとして自分の本心と異なる言動を繰り返したりしていると、自分の心がどんどんすり減っていきます。

また、心にもないことを言い続けた結果、自分の本心がわからなくなることもあります。

自分の発した言葉に一番影響を受けるのは自分です。

好きでもないものを「好き」と言ったり、本当は辛いのに「全然問題ないよ」と言ったりしていると、自分が本当はどう感じているかが自覚できなくなるのです。

自分で自分の本心がわからないというのは恐ろしいことです。

自分が本当は何が好きで、何に喜びを感じるかがわからないと、幸せを感じる方向へと自分を導くことができません。

そんな時に他人から、「あなたはこういうものが好きなんだよ」とか、「あなたはこうすれば幸せになれるよ」などと吹き込まれたら、簡単にコントロールされてしまいます。

また、本当は心が深く傷ついていても、それを自覚できなければ適切に対処することができません。

そうは言っても、思ったことをそのまま口に出すのが憚られる状況は存在します。

例えば、相手が職場の上司やお客さんである場合は、「この人嫌だな、むかつくな」と思っても、なかなか表に出せません。

しかし、そういう場合でも、どこかで自分の本心を自覚し、必要に応じて外に出すことは大切です。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

周囲の人に合わせて、つい心にもないことを言ってしまうことは必ずあります。

「その方が場の空気が壊れないから」など、理由は様々でしょう。

しかし、それが習慣化されてしまうと、自分が本当はどう感じているのか、自分の本当の気持ちを押し殺し続けてしまうことになります。

自分で自分の気持ちを押し殺してしまっているのですから、「自分の本心がわからない」という状態になるのも無理はありません。

なので、まずは自分の本当の気持ちを外に出しても良い環境を作る必要があります。

例えその本心がネガティブなものであっても、外に出すことはとても大切なことです。

ただし、外に出す際の取り扱いには注意しなければなりません。

ネガティブな感情を外に出す時の注意点について、次の通り説明しています。

怒りを感じた時に後で引きずらないようにする方法

反射的に怒るか、我慢するか。

ここからはネガティブな感情を言葉にすることについて考えていきます。

最初にお断りしておきたいのは、ここからの話は「生命や精神の危険を伴う深刻な状況についてのものではない」ということです。

いじめやハラスメントなど、他者から身体的あるいは精神的な暴力を受けた場合は、しかるべきところに相談したり、その場から避難をしたりして、適切な対処をすべきでしょう。

ここで扱うネガティブな感情とは、あくまで多くの人が日常の中で感じるちょっとした怒りや不安のことです。

身体的な負傷に例えば、誰もが普段の生活の中で負ってしまう小さな擦り傷のようなものです。

ほとんどの人はそういった傷についてはわざわざ病院に行かず、ご自身で手当てをするはずです。

ここからの話は、それぐらいのレベルのネガティブな感情についてのことだとお考えください。

それ以上の精神的なダメージはここでの対象ではありませんので、ご了承ください。

私はネガティブな感情を適切な言葉で表現することは、自分の心を守るため、また自分自身とうまくやっていくために重要なことだと考えています。

しかし、具体的にそれをどう行えばいいかというのはなかなか難しい問題です。

私は一時期、怒りを覚えた時に反射的に怒りを表に出すべきか、それとも我慢すべきかで悩んだことがありました。

考えた末に出した結論は、反射的に怒りを表に出すのはリスクが極めて高いが、自分の中に生じた怒りを無視し続けるのも非常に危険ということです。

反射的に怒りを表に出すのはリスクが高いと思う理由の一つに、反射的に起こると状況を冷静に判断できず、勘違いしたまま相手を攻撃してしまう危険性があるということが挙げられます。

実際、怒りを覚えた瞬間には「相手は私に対して悪意を持っている」、「相手は私のことを意図的に攻撃している」と感じても、勘違いであることが少なくないのです。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

「ネガティブな感情を外に出す」というのは、相手にネガティブな感情をぶつけることではありません。

「相手にわかって欲しい」という気持ちがあるのは共感出来ますが、そのままネガティブな感情を相手にぶつけても「わかってもらえない」状態に相手はなってしまいます。

特に怒りの感情がこみ上げてきた時というのは、「相手に自分の気持ちをわかって欲しい」という思いが強すぎるので、ここは一度冷静になってください。

そして、もし相手が100%悪いような明確な悪意を相手から感じても、そのまま怒りを相手にぶつけるのは危険性があります。

その危険性について、以下の通り解説しています。

では、「相手に明確な悪意がある場合は反射的に怒っていいか」というと、「そうではない」と私は思います。

なぜなら、反射的に怒って発した言葉に、自分自身が傷つく可能性があるからです。

先ほども言いましたが、自分の言葉に一番影響を受けるのは自分です。

私も人から明確な悪意と共に酷いことを言われた時、同じくらい酷い言葉を返したことがありますが、そのことは今でも後悔しています。

人に傷つけられたことと同じくらい、人を傷つけてしまったことも、心の痛みとして長い間残るのです。

また、悪意を向けてきた相手が知らない人間である場合は、相手にやり返したり、食ってかかったりすることで、よからぬ縁ができる恐れもあります。

単にその場から離れれば二度と会うことはなく、二度と煩わされないはずの相手でも、悪意を返すことでつながりが深くなってしまいます。

私は無関係の人にまで敵意を向けるような人間は、「燃えさかる火のようなもの」だと考えています。

少しでも「熱」と思ったらその場から離れ、決して自分から火の中に飛び込まないようにするのが賢明だと思います。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

怒りをそのまま相手にぶつけて傷つけると、それが自分の心に傷として残ってしまう場合があります。

SNS上で口論している人達を見てもらえばよくわりますが、その人達は言葉を選びません。

「相手に自分の気持ちをわかってもらえれば、相手のことを配慮せずにどんな言葉を使ってもいい」という思いがあるからです。

そして、それが相手の心を傷つけるばかりか、命を奪ってしまうこともあります。

そういった場面をあなたも見たことがあるはずです。

それに相手を傷つけようとする行為は、結果的に自分自身を傷つけてしまう行為にもなります。

それこそ、燃えさかる火の中に自ら飛び込む行為だと言えるでしょう。

ただし、それは「怒りを反射的に出さない」ということであって、「怒りをなかったこと」にするということではありません。

では、怒りを感じた時はどうやってその気持ちを相手にわかってもらうのか、以下の通り見解を示しています。

ただし、「反射的に怒りを表に出さない」というのは、「怒りをなかったこと」にするのとは違います。

例えば、相手に多大な迷惑をかけられたり、重要な約束をたがえられたりしている時に、ニコニコ笑って無言で受け流すことはできません。

「そんなことをされては困る」、「それでは約束していたことと違う」と言うべきでしょう。

しかし、その場合も相手を怒鳴りつけたり、相手の人格を否定するようなことを言ったりするのは得策ではないと思います。

相手に最低限の敬意を表しながら、主張すべきことはきちんと言うのが理想です。

また、自分の中に生じた怒りを無視したり、押さえつけたりするのは非常に危険です。

怒りのようなネガティブな感情は、きちんと自覚しないと心のどこかに残ってしまいます。

無視すればするほど、それは心の中に溜まっていきます。

そして、何かのきっかけで突然爆発することがあるのです。

よく犯罪の動機で「カッとなってやった」という言葉を聞きますが、私はこれは誰にでも起こりうることだと思っています。

ネガティブな感情を無視していると、元の感情とは少し違う、より厄介な感情に変質していきます。

例えば、誰かに嫌な思いをさせられた時、その相手とは違う人に八つ当たりしてしまったことはないでしょうか。

自分が誰に対して、どのように怒っているのかを自覚しないと、いつの間にか怒りの矛先が変わっていることに気がつきません。

それでは自分が背負わされた理不尽な思いを、無関係の相手にも背負わせることになってしまい、負の連鎖が止まらなくなってしまいます。

不安や恐怖が怒りに変わることもあります。

私はコロナ禍で不安だったとき、いつもよりも怒りっぽくなりました。

その時に気がついたのですが、怒っていると少しだけ恐怖を忘れられるのです。

特に「誰々が悪い」とか「誰々のせいだ」のように、怒りのターゲットが決まると「その人たちさえどうにかなれば全て解決するはずだ」と状況を極度に単純化し、安心してしまうのです。

しかし、現実はそんなに単純ではありません。

怒りや不安を火種とすると、それらの存在を無視することは火種を消さずに放置しておく行為に近いと思います。

「私は別に怒っていない」、「私はそんなことは気にしない」と押さえつけても、火種はくすぶり続けます。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

もし相手に理不尽なことをされて怒りを感じたなら、相手に最低限の敬意は払いつつも、主張すべきことはしっかり相手に伝えるのが後腐れしない怒りの表し方です。

そして怒りに限らず、ネガティブな感情は時間経てば経つほど根深くなる厄介な感情です。

ネガティブな感情があることを自覚して外に出すことで、いつまでもくすぶってしまうような火種は自分の中から消えていきます。

ここまで怒りに焦点を当てて見てきましたが、ネガティブな感情の全般的な対処法について、次の通り説明しています。

ネガティブな感情を表に出す時に気を付けなければならないこと

ネガティブな感情を自覚する、外に出す。

私が重要だと思うのは、怒りや不安を感じた時にまずその存在を認めることです。

「私はこいつにムカついている」、「私はとても不安だ」ということを自覚するのです。

怒りも不安も自然な感情です。

「こんなことで怒っている自分は器が小さい」、「こんな些細なことで不安になるなんて、自分はちょっと変なのでは」などと、つい自分を責めたくなりますが、そんなことをしたからといって一旦生じた感情がなかったことになるわけではありません。

自分を責めてしまうのは、自分に対して妙なプライドや「自分はこうでなければならない」という歪んだ期待があるからです。

そういうものは捨てて、自分が傷ついていることや不安を感じていることを認めた方が楽です。

そして、もし可能であれば、ネガティブな感情を何らかの形で自分の外に出すことが大切です。

一番効果があるのは、人に聞いてもらうことです。

しかしその場合、どんな人に聞いてもらうかについては慎重にならなくてはなりません。

「そんなことで怒ったり、不安になったりするなんてバカバカしい」と言ってこちらの気持ちを否定してくる人や、「あなたにそんな酷いことをする人間は許せない。仕返しをすべきだ」などと煽ってくる人には言わない方がいいと思います。

特にインターネット上には、他人の悩みを冷笑する人や他人の怒りに便乗して第三者を攻撃しようとする人が大勢います。

そういう場所で、不特定多数の人間に向けて自分の抱えている感情を打ち明けることには危険が伴います。

ネガティブな気持ちを表に出すのは勇気のいることです。

そういった勇気に水を差すことなく、またネガティブな感情に油を注ぐこともなく、きちんと話を聞いてくれる人がいれば理想的です。

そういう人に聞いてもらうだけで、気持ちはかなり楽になるでしょう。

最も、その人の負担にならないように気を配るのは大切です。

嫌なことがあったり、不安になったりする度に、相手の都合を無視して一方的に話していたら、いずれ話を聞いてもらえなくなるかもしれません。

そうならないためにも、相談できる相手が何人かいるのが理想です。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

ネガティブな感情が生まれたら、最初にそのネガティブな感情を自覚することが大切です。

そしてそのネガティブな感情を自覚したら、素直に受け入れてみてください。

ネガティブな感情が生まれてしまうのは人として自然なことです。

つい見繕ったり、隠そうとしてしまいがちですが、目を逸らさずに正面から受け止めるぐらいの気持ちでネガティブな感情と向き合いましょう。

ネガティブな感情を自分の中で認められたら、その感情を外に出すには人に聞いてもらうのが一番効果的です。

しかし、上記の引用で触れられている通り、話を聞いてくれる相手を選ぶ必要があります。

それに「話をちゃんと親身に聞いてくれるのか」という相手の問題だけではなく、「自分が勇気を出して相手に話せるのかという」自分自身の問題もあります。

なので、人に聞いてもらうのは意外とハードルが高い行為です。

このことはこのサイトに関してでも説明しているので、こちらの記事もよければご参照ください。

それでは、どうしてもネガティブな感情を表に出す勇気が出なかったり、身近で聞いてくれる人がいない場合はどうすればいいのでしょうか。

そんな時に著者も実際に行っている方法について、以下の通り答えています。

では、そういう人たちが身の回りにいない場合や、「流石にこの程度のことで人に相談するのはためらわれる」と思ってしまう場合はどうすればいいのでしょうか?

私は自分に聞いてもらうことにしています。

具体的にはどうするかというと、何かに書くのです。

私は日記を書く習慣があるので、その日にあった嫌なことなども一応書きます。

書くことでネガティブな感情が消えてなくなるわけではありませんが、それなりの効果はあります。

まず、書くことによって、自分の感情を客観的に読めるようになります。

感情の出所そのものは自分であっても、書かれた感情はあたかも他人のそれのように読むことができるのです。

実際、自分の書いたものを少し後から読み返すと、その時の自分と今の自分は全くの他人であることがわかります。

例えば、ある日に自分が「こんなことがあってムカついた」と書いていても、数日後にそれを読み返すと、その時と同じ程度の新鮮さで怒りを思い出すことができなくなっています。

数週間後、数カ月後、数年後になると、「なんでこんなことで腹を立てていたんだろう?」と全く共感できないこともあります。

こういう経験を重ねていくうちに、自分の中にネガティブな感情が起こってから消えるまで、おおよそどれぐらい時間がかかるのかが徐々にわかってきました。

私の場合、相手がめったに会わない人ならば、怒りは長くても数日で消えます。

不安については、その原因にもよりますが、大体長くて2日ぐらいです。

思いをした当日もよくよく観察していると、ずっと嫌な気分が続いているわけではなく、たまに忘れ、また思い出すことを繰り返しています。

恐らく人間の心の構造上、同じ感情をずっと持ち続けるのは難しいのだろうと思います。

先ほど、日常で感じるネガティブな感情を擦り傷に例えましたが、私の場合はまさに擦り傷が自然に癒えるぐらいの時間で、嫌な思いも癒えることがわかりました。

「この気持ちもいずれ消えるものなんだな」とわかってからは、怒りや不安を感じている最中も少し楽になりました。

また、自分の気持ちを書き留めていると、さまざまな発見があります。

以前、ある人から明らかにこちらを見下した態度を取られて腹を立てたことがありましたが、それについて書いているうちにふと、「いくら見下されていると言っても、それは相手の頭の中、つまりあの小さな頭蓋骨の中で起こっていることでしかないんだよな」という思いが頭をよぎりました。

さらに、「あの人に見下されて腹が立つということは、私はあの人に評価されることを重視しすぎているんじゃないか。つまり、あの人に依存している部分があるんじゃないか」ということにも気が付きました。

嫌な人に自分の評価を委ねたり、依存したりすることほど、バカバカしいことはありません。

それでかなり怒りが冷めました。

またある時には、ある人の言動パターンがいちいち気に入らなくてイライラしていたことがありました。

そのことをつらつらと書いている最中に、「あっ、私は単にあの人と合わないんだな」と気づきました。

もともと合わないのに、「合わせよう」とか「どうにか仲良くしなきゃ、共感してみせなきゃ」と思っていたから、余計に苛立っていたとわかったのです。

シンプルに性格が合わないことを前提にすると、その人への接し方も変わりました。

無理に仲良くしようとせず、いろいろ工夫して顔を合わせる時間と頻度を減らし、必要なことだけを適切な言葉で伝えるように心掛けました。

その結果、イライラすることが減りましたし、なぜか前よりも関係が良好になりました。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

書き出すことも、ネガティブな感情を外に出す効果的な方法です。

そして書き終わった後には、冷静な状態で客観的に書いた内容を読み返すことが出来ます。

書くことでも思い付いたまま書き殴ることでネガティブな感情を消化出来て、読み返すことでもネガティブな感情を消化出来るので、ネガティブな感情を消化出来る機会が書くことには二回もあります。

ただし、「ネガティブな感情を書くには注意点がある」と著者は警告しており、その注意点について以下の通り述べています。

こんな風に書くこと、つまり自分に聞いてもらうことに効果を感じますが、一つだけ気をつけていることがあります。

それは怒りについては、その原因を詳細に書きすぎないことです。

「こんなことを言われた、こんなことをされた」と細かく書きすぎると、後から読んで「こんなに酷いことを言われたのか」と思い出し怒りを引き起こすことがあるからです。

書くことの目的はネガティブな感情を自覚すると同時に、適度にガス抜きすることなので、自分の傷をえぐらない程度にぼんやりさせることも大切だと考えています。

(『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』より引用)

ネガティブな感情を書くときは、細かく書き過ぎないことが大切です。

読み返した時に、ネガティブな感情が消えるどころか、再燃してしまう可能性があるからです。

なので、「詳細に書く」ことよりも、「ネガティブな感情を表に出す」ことに焦点を当てて書いた方がいいでしょう。

勢いに任せて書くようにすれば、ある程度ぼんやりさせられるはずです。

「わかってもらう」とは相手だけではなく、自分自身もその対象に含まれています。

相手に意識が向いてしまいがちですが、自分のことも同じくらい意識を向けてみてください。

あなたが何を思って、どう感じているのかに最初に気が付けるのはあなただけです。

自分を労わりながら前に進むことで、相手にもわかってもらえるようになれます。

あなたがあなた自身のことを、そしてそれが相手にもわかってもらえるように、本書をぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

本記事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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