あなたが心配性なのは、生きるエネルギーに満ち溢れているからです『心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』

心理的な抑圧を緩和する
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気持ちが切り替えられない心理状態

「あれ?家の鍵をちゃんと閉めたかな?」

家から数歩出てそう思い、慌てて戻ります。

幸いなことに家の鍵はちゃんと閉まっていました。

すると今度は、「ガスの元栓をちゃんと閉めたかな」と不安になります。

そこで家の中に入って確認すると、ガスの元栓はちゃんと閉まっていました。

一安心して家を出て数歩、「あれ?今家から出たけど、家の鍵をちゃんと閉めた?」

まるでコントの様ですが、あなたも似たような経験をされたことはないでしょうか。

日常生活でよくあるワンシーンを例に挙げましたが、この様に一度心配になると、心配は止まらなくなります。

心配になってしまったら、どうやって気持ちを切り替えればいいのでしょうか。

今回ご紹介する『心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』は、心配になった時にどうすれば上手に気持ちを切り替えられるようになるか、その方法を伝授してくれる本です。

いつも本サイトを訪れて記事を読んでいただき、ありがとうございます。

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心配が生きるエネルギーになる理由

著者の斎藤茂太さんは精神科医です。

精神科医として患者様を診察していく中で多くの心配に触れ、向き合ってきました。

そんな著者が心配についてどう思っているのか、次の通り見解を示しています。

精神に穴をきたす人の中には、人間らしい表情を全く無くしてしまうケースがある。

どういうことかと言えば、喜怒哀楽がなくなるのだ。

つまり、泣いたり笑ったり安心したり心配したりするのは人間らしさの証明なのだ。

しかし、心配性と自認する人は自分だけがいつも小さなことを気にして、人生を楽しめないのではないかと思ってしまう。

そんな性格を何とかして変えたいと考える。

それもよくわかる。

なぜなら、私は現役の精神科医として患者を診ているからだ。

当然、色々な患者さんが来る。

昔と違って、風邪を引いたような感覚で受診する患者さんも増えた。

中には単なる心配性という人も多い。

そんな経験も踏まえて、本書を書いてみた。

もちろん自分の心配癖に悩む一般的読者を対象にした本であるから、様々な生活のシチュエーションの中で具体的なケーススタディを取り上げて皆さんの参考になるように構成してある。

ここで敢えて言うが、心配性とは生きるエネルギーなのだ。

そして心配性だからこそ、考え方、行動の仕方次第で物事はうまくいくのである。

本書は必ずや皆さんの参考になると信じている。

どうかよい人生を見つけて欲しい。

(『心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』より引用)

本書を執筆した当時、著者は87歳でした。

自身の人生もまた心配の連続であったと本書で語っています。

著者自身も心配と向き合い続けましたが、それでも「心配とは生きるエネルギーだ」と述べています。

「そして心配性だからこそ、考え方、行動の仕方次第で物事はうまくいくのである。」と答えていますが、ではどの様な考え方をすればいいのか、心配性が持つべき考え方について次の通り説明しています。

もうお気づきだと思うが、心配性というのは心配しているだけでは決して問題を解決出来ない。

こんな風では、例えば遅刻した時に電車の中を走る様なもので、事態は少しも好転しないのだ。

心配の原因を冷静に分析してみる重要性は、正に心配しても無駄なことに心配することにエネルギーを浪費していると気付くことにある。

そしてまずここで、心配はすべからくいい結果を導く為にする行為であることを認識しておいて頂きたい。

冒頭でも申し上げたように、人は元々心配性である。

幼い子供を持つ親が、一時も我が子から目を離せないのと同じだ。

道路に飛び出さないだろうか、遊んでいてケガをしないだろうか、常に心配しなくてはならない。

この心配癖が子供を事故から守っている。

適度な心配性は決して悪いものではない。

私達、心配性のなすべきは心配性の性格を上手に利用すること。

心配を心配りに変えて、前向きに生きるエネルギーに変換出来れば、きっと心配性って悪くないなと思えてくるに違いない。

(『心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』より引用)

あなたは何かを心配している時に、心配しているだけにはなっていないでしょうか。

心配しているだけで何も行動を起こさないのは、かえって心配してしまう気持ちを強めてしまうだけです。

心配が生きるエネルギーなら、そのエネルギーを正しい方向に向かわせればいいのです。

これが心配性の人が持つべき考え方です。

とはいえ、心配性なのですから本人の意思に関係なく、気が付いたら無意識の内に心配が溢れ出てきてしまっていることでしょう。

自分が心配していることに気付いたらどうすればいいのか、第2章の「無駄なドキドキを克服する8つの習慣」で以下の通り解説しています。

本章では、日常生活でよくある不毛な心配事を例に、どうすれば心配性のドキドキを遠ざけることが可能かを考えてみよう。

さて、時間を巻き戻すことは不可能である。

それは誰もが承知している事と思う。

それなのに、人は過ぎたことを悔み、来るべき将来への不要な心配に囚われがちだ。

大切なのはこれからなのに、頭を去来するのはやってしまったことへの後悔ばかり。

こういう時には上手い具合に、過去を清算してあげないと心配性の虫は循環回路の様に、「どうしよう、どうにもならない。どうしよう、どうにもならない。」という堂々巡りを繰り返す。

では、少しでも心配を減らすためにはどうすればいいか。

答えはひとつ。

心配するのを止めることである。

それが出来なくて困っておられるのだと思うが、自分自身に強く、「心配したってやってしまったことをなかったことには出来ない」と言い聞かせるだけでも、心の持ちようは随分違ってくる。

(『心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』より引用)

自分が心配していることに気付いたら、意識して心配を止めようとする行動を起こすのが一番効果的です。

「どうしよう、どうにもならない」と考えている間はずっとその負の思考のスパイラルから抜け出せません。

そこから抜け出すには、自分の意思の力が必要です。

引用した文章の続きには、気持ちがどこに向かうのか、心配性についてよくある三つのケースを取り上げています。

その三つのケースの中から自らの意思で心配を止めて、上手に活用しているひとつのケースを紹介します。

例えば、車のセールスマンをする豊さん(34歳)は心配性の虫を退治する方法を、トップセールスマンの先輩を見て学んだという。

「私もセールスを始めた当初は、目標数値の達成を心配することが仕事みたいな毎日でした。

でも、ある時ふと、トップセールスマンとして何度も会社から表彰されている先輩を見ていて気付いたんです。

先輩だってうまくいかない日はあるわけだけど、彼はそんな日に「うーん、今日はダメ。全然ダメ。反省して、仕切り直し、仕切り直し」と言うのが口癖だということに。

で、よくよく観察していると、一人でブツブツと、「ここは粘り負けだったな。よし、明日もう一度行ってみよう。もっと粘れば落ちるかもしれない」

「あと、今日は回るルートがまずかったな。渋滞に引っかかってばかりで。明日は渋滞情報をキャッチして、空いたルートで下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる方式で行くか」なんて言ってるんですよ。

ほんの二、三十分なんですが、その反省が終わるとやたら元気になっている。

これだと思いました。

今日一日を悔むのではなく、反省して明日の挑戦意欲をかき立てることが大事なんだってわかりました。

まだまだ修行が足りませんが、先輩の真似を始めてから、仕事に向かう気持ちが少しずつ明るくなったように実感しています。

それにつれて数字も伸びてきました。

前を向いて一生懸命頑張れるようになった分、数字が作れなくてもそれを反省材料にして、また仕切り直しでやるしかないと腹をくくれるようにもなりました。」

豊さんは今さらのように心配するのが仕事だった毎日に、いかに時間を無駄遣いしていたかを思い知らされたようだ。

皆さんも成果の上がらなかった一日を後悔して先を心配するのではなく、反省材料にして先に繋げるよう心掛けてはいかがだろう。

気持ちが明るくなるだけでも得である。

(『心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』より引用)

上記の引用では心配を反省材料として捉え、自身の成長に繋げています。

心配が生きるエネルギーとして、上手に活用されている見本となるような例です。

「反省するのが大事なのはわかったけど、でも反省してもまた失敗したらどうしよう」と心配されたかもしれません。

もし例え反省して失敗してしまっても、以前とは状況が違います。

反省して失敗したのなら、それは確実に前に進んでいます。

そう言い切れるのは、心配するだけなら何も次に繋がりませんが、反省して失敗したのなら「次はこのやり方でやってみよう」とまた次の反省に繋げることが出来るからです。

そしてもうひとつ決定的に違うのが、心配する時間が大幅に短縮されることです。

先述した通り、心配すると「どうしよう、どうにもならない」から抜け出せなくなり、気が付いたらかなりの時間を心配に費やしていたことに落ち込んで、自分で自分の気持ちをさらに落ち込ませてしまいます。

しかし、心配を反省に変えられると「どうしよう、では次はこうしよう」と考え、自分の中で心配する気持ちに区切りを着けられます。

区切りを着けることで「どうにもならない」と思わなくなり、時間を無駄にすることもなくなるので、いつもなら心配していただけの無駄な時間を過ごさずに済みます。

反省したその後どうなるか、未来のことはわかりませんが、あなたが心配するだけで無駄にしてしまう時間は阻止することが出来るのは確かです。

それなら、「反省してまた失敗したら」と不確実な未来に目を向けるよりも、「心配するだけの無駄な時間を過ごさずに済んだ」と確実な未来に目を向けることで心配してしまう気持ちは収まるでしょう。

この様に心配に対して正面から向き合うことを、著者も以下の通り勧めています。

これら三つのケースを通して私が言いたいのは、やってしまったまずいことを確かな事実として受け止め、何が心配なのかを明確にして対応策を練り、前に進もうということである。

決して「やってしまったことは仕方ないんだから、自分の中でなかったことにして前に進みなさい」ということではない。

単に、「仕方がない、仕方がない」と上っ面で過去を清算するのはあまりにも軽薄だし、せっかくのまずい経験も無駄になる。

周囲の人からも、「反省しない奴」というレッテルを貼られるだろう。

過去の清算とは、言ってみれば臭い物に蓋をするのではなく、臭い物の蓋を取って中に入り込み、嫌な臭いをするものの毒素を分解して浄化する作業である。

辛いのは一時で、心配性が長引く苦痛は無くなるに違いない。

(『心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』より引用)

心配してしまうことには目を背けるのではなく、正面から向き合うことで長引かせるのを止められます。

いつまでも心配事の入り口に立って、「どうしようか」と心配しているくらいならその中に入ってみる。

向き合うことで嫌な気持ちにはなりますが、それも短時間で終わると思えば覚悟が決まります。

こうやって行動に起こすことで、心配するだけの状態から抜け出せます。

もしかしたら、あなたはまだ行動を起こすことに心配を感じているかもしれません。

心配すること自体は悪いことではありません。

むしろ心配してしまうのが自然なことだと、先述した通りです。

なので、心配してしまうことに後ろめたさを感じることはないのです。

いっそのこと、その心配を受け入れてみてはいかがでしょうか。

著者も本書でこの様な提案をしています。

心配を受け入れるには

前章では、心配してもしょうがないことを心配するのはやめなさい。

起こってしまった過去の事実や動かしようのない現実、あるがままの自分自身を受け入れて、未だ来ない未来をいたずらに恐れる前に前に進もうというお話をした。

本章では一転して、大いに心配性を奨励しようと思う。

と言ってももちろん、「心配しっぱなしで良いですよ」とお勧めするのではない。

なぜ心配になるのか、その不安材料をはっきりさせて、これから起こることへの対応策に結び付けるよう行動することをご提案したいのだ。

冒頭で述べたように、人間とは心配する動物である。

よって、全く何も心配せずに日々を過ごすのは不可能だ。

特に先のこととなると、何が起こるのかわからない為に様々な心配事が頭をよぎる。

これはもう抑制の仕様がない。

しかし、先のことに対する心配なら、逆手に取ることが出来る。

心配した通りに物事が運ばないように、不安材料を努力目標として掲げる。

たったそれだけのことで、前向きに行動するエネルギーに変換することが出来るのだ。

(『心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』より引用)

未来に対して不安になって、心配してしまうのは今まで説明してきた通り自然なことです。

記事の冒頭で例に挙げましたが、「家の鍵を閉め忘れていないかな」と心配になったのは、家の鍵が開いたままだと防犯上よくないという未来に対する不安から来ています。

全く何も心配せずに日々を過ごすのが不可能なら、そういうものだと受け入れてしまえばいいのではないでしょうか。

そして、心配した未来を阻止する為の行動をきちんと行うようにする。

心配を受け入れるだけではなく、心配に対する行動も起こすことはセットで必要なことです。

行動を起こすことは、心配した未来を変えられるのもそうですが、一番大きいのは心配してしまう心境を変えられることにあります。

行動を起こすと、心境がどの様にして変わっていくのか、文章は次の通り続きます。

これは要するに、心配性の鬱々とした気分から脱し、言わば人事を尽くして天命を待つという境地に達するための作業である。

先のことをあれこれ考えて、心配するだけでは何もいいことはないが、心配だからやれるだけのことはやっておこうと考えれば全く違ってくる。

心配が行動の原動力になり、失敗しないように努力することに集中出来るようになる。

そしてあらゆる心配の芽を一つずつ摘み取っていくことによって、結果がどうなるかは運を天に任せるのみと気持ちがスッキリしてくるのだ。

もちろん、周到に失敗しない為の準備と努力を重ねても、悪い予感が当たる場合もあるが、少なくとも自分は努力をしたというある種の充足感が残る。

と同時に、自分の行動を振り返りながら、何が足りなかったのか、方向性が間違っていたのかなどと失敗の原因を具体的に反省することも出来る。

次の一歩に繋がるのだ。

しかし、心配するだけで何もしないと、やっぱり失敗したと落胆するばかり。

失敗を回避する行動をしない為に、「ああすればよかった、こうすればよかった」がうんざりするほど頭に浮かび、身動きが取れなくなる。

「結局、自分はダメな人間だな」と自身の人格や能力を貶めるような思いに囚われてしまうだけだ。

非常に損である。

人は誰しも、「上手くやりたい、失敗したくない、向上したい、成功したい」と望むものだ。

心配性の人はその願望が人一倍強いから不安になったり、くよくよ考えたりする。

本来なら前向きな性格なのに、消極的な行動に終始してしまうのはもったいないことだ。

逆に、心配性であることを誇りに思い、積極的に物事を取り組んで行こうではないか。

(『心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』より引用)

心配するだけで何もしないまま、落胆をされた経験をあなたもされたことがあるはずです。

当然、私にもあります。

「ああすればよかった、こうすればよかった」と頭に思い浮かぶ出来事など数え切れません。

ただ、そう思うのはどれも心配してばかりで何も行動しなかったときです。

逆に、自分なりに考えて行動したことに対してはそう思っていません。

その違いは「心配するだけで何もしなかったかどうか」です。

繰り返しになりますが、心配するのが悪いのではなくて、何も行動しないことがよくないのです。

「でも、怖くて一歩踏み出す勇気が出ない」と思われるなら、その先にいる未来の自分を想像してみてください。

「心配するだけで何もしない」ことを選んだ未来のあなたは、「ああすればよかった、こうすればよかった」と後悔ばかりしていないでしょうか。

そんな未来を変えたいと思う気持ちが、最初の一歩を踏み出してくれる原動力になるはずです。

あなたが心配と上手に付き合い、心配を生きるエネルギーに変換させる為に、本書を読むという行動を起こしてみてはいかがでしょうか。

本記事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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