「空気を読め」の「空気」を言語化すると何が見えるのか『「空気」を読んでも従わない 生き苦しさからラクになる』

心理的な抑圧を緩和する
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今までなんとなく理解していたこと

あなたはエレベーターで初対面の人と乗り合わせた際に世間話が出来ますか?

大半の人が出来ませんと答えるでしょう。

私も出来ません。

それは場の空気を読んでいるからですよね。

エレベーターで面識のない人達と乗り合わせた場合は、だいたいエレベーターに表示されている階数を見て目的の階までやり過ごすのが一般的です。

ですが、海外だと違います。

例えばアメリカだと、エレベーター内に乗り合わせた人全員が初対面であっても、黙礼か会釈か会話を始めると言います。

それは「日本人とアメリカ人では文化が違うから、エレベーターの対応も違うのではないか」と思ったのではないでしょうか。

では、その「文化」とは何かを深く掘り下げて考えたことはありますか?

「文化」を掘り下げた先には一体何が見えるのでしょうか。

今回ご紹介する『「空気」を読んでも従わない 生き苦しさからラクになる』は今までなんとなく理解していた「空気を読む」という行為が生まれた歴史から、どのような構成で「空気を読む」ことが成り立っているのかまで、「空気を読む」について幅広く解説した本です。

いつも本サイトを訪れて記事を読んでいただき、ありがとうございます。

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場の空気を支配するのは「世間」か「社会」である

まず、空気を読むということを理解するには、「世間」と「社会」という概念を理解する必要があります。

「世間」とはあなたの将来と現在関係がある人です。

具体的には学校のクラスメイトや塾で出会う友達、同じ職場で働いている人や近所の人があなたにとって「世間」です。

「世間」の反対語は「社会」です。

「社会」というのは、あなたと現在または将来なんの関係もない人達のことです。

例えば、道ですれ違った人とか電車で隣に座っている人とか、初めて行くコンビニのバイトの人や隣町に住む面識のない人です。

日本は「世間」と「社会」という2つの世界によって成り立っているのです。

日本人は基本的に「世間」に生きています。

自分に関係のある人達をとても大切にします。

けれど、自分に関係のない社会に生きる人達は無視して平気なのです。

それは冷たいとか意地悪とかではなく、生きる世界が違うと思っているからです。

あなたも街で知り合いに会うと、気兼ねなく声をかけるでしょう。

「世間」に生きている人とは普通に話せます。

でも、知らない人にはなかなか声をかけられないはずです。

それは「社会」に生きる人だからです。

私達日本人は、自分と関係のある「世間」の人達とは簡単に交流するけれど、自分と関係のない「社会」の人達とはなるべく関わらないようにしているのです。

というか、より正確に言えば関わり方がわからないのです。

本書の『「世間」と「社会」』の章から文章を一部引用して、「世間」と「社会」の概念を簡潔に説明しました。

記事の冒頭でエレベーターの話題を挙げましたが、ここでもエレベーターを例に挙げて説明をするとわかりやすいので、再びエレベーターを例に挙げます。

エレベーターとは「空間」を指しています。

その「空間」の中にいる人達が、あなたにとって「世間」なのか「社会」なのかで対応が変わります。

冒頭では「社会」の人達を例に挙げて説明しました。

面識のない人達と話せないのは、経験がなく関わり方がわからないからです。

ですが、その人達が「世間」だとどうでしょうか。

例えばあなたと同じ職場の人達で、全員仲のいい同僚なら気軽に話せますよね。

空気を読む際には、まずその空間にいる人達が「世間」か「社会」のどちらかを判断しています。

ここでひとつ疑問が浮かびます。

日本人は「世間」だと判断した際に話せるなら、面識のない人達とも気楽に話しかけられるアメリカ人はその人達のことも「世間」であると認識しているのでしょうか。

その答えは次の通りになります。

アメリカにはというより、外国には「世間」という概念は存在しません。

相対的な見方を持つと、「空気を読まなければいけない」生き苦しさから解放される

外国には「社会」という概念しか存在しないのです。

本書ではその理由を以下の通り述べています。

驚くことにほとんどの外国には「世間」はありません。

「世間」はとても日本的なのです。

欧米を始めとしたほとんどの外国は「社会」しかありません。

つまり、自分が知っている人達と知らない人達を分けないのです。

(『「空気」を読んでも従わない 生き苦しさからラクになる』より引用)

知っている人達と知らない人達を分けることが当たり前の日本では、その感覚がないことが想像出来ませんよね。

「社会」の人達との認識が、日本とは全く違う例をもうひとつ本書から紹介します。

海外には「世間」はありません。

ただ「社会」だけです。

そうすると他にもこんなことが起こります。

「どこで恋人を見つけましたか?」という質問を日本人にすると、「学校、塾、バイト先、勤務先」というように知っている人がいる場所、つまり「世間」を挙げます。

欧米では、「公園、列車、銀行、レストラン、バー」という知らない人が出会う場所、つまり「社会」が挙げられることが多いのです。

知らない人に声をかけること、会話することが平気というか当たり前だからです。

(『「空気」を読んでも従わない 生き苦しさからラクになる』より引用)

外国の人はどこか自由気ままというかフランクな印象があるかと思います。

もちろんそれは人によって違うのは当たり前ですが、そういった人が多いのも事実です。

海外の映画やドラマでは日本とは背景が全く違うことがありますが、フィクションだからすべてが誇張されているわけではなく、実際の現地の人なら共感出来る場面も存在します。

これまで日本と外国の「世間」と「社会」の認識の違いについて説明しましたが、だからといって外国の方が優れているという話ではありません。

両者の考え方の違いを解説したまでです。

自分とは違う考え方の人がいるということ、そしてその考え方を理解することは世界の見方を広げてくれます。

この様な相対的に物事を見る大切さに関して、本書では以下の通り見解を述べています。

相対的とは自分の生きている状況が唯一絶対ではないとわかるということです。

自分の今の状況はたったひとつの正解ではないんだという考えは、生き苦しさから私達を救ってくれます。

数年前、Twitter(現在はX)で「なぜ勉強をするのか?」という質問に対する親の答えが話題になっていました。

勉強をなぜするのか親に聞いた時にコップを指して、

「国語なら、透明なコップに濁ったお茶」

「算数なら、200mlのコップに半分以下が残っているお茶」

「社会なら、中国産のコップに入った静岡産のお茶」

と色々な視点が持てる。

「多様な視点や価値観は心を自由にする」というようなことを返された。

素晴らしい答えでした。

多様な視点や価値観は心を自由にするということが、相対的に考えるということです。

私達は苦しくなると物の見方が狭くなってきます。

「もうこの解決方法しかない」とか「これをやるしかない」、「他にどうしようもない」と思い込みがちになります。

そういうとき、他の文化を知っていればいろんな考え方、見方が出来るのです。

それはまさに心を自由にします。

(『「空気」を読んでも従わない 生き苦しさからラクになる』より引用)

空気を読むというと、まるで目の前に一本のレールが引かれているように感じます。

そのレールから脱線してしまうと「空気が読めない」と周囲からレッテルを貼られてしまい、空気を読むという行為に恐怖心を抱く人は少なくないでしょう。

ですが、相対的に考えてから改めて目の前を見ると、実は複数のレールがあることに気付くことが出来て、恐怖心が和らぎ心が軽くなります。

ここまで本書の序盤から中盤までの内容を簡潔に説明したので、「「世間」はどうやって生まれたのか」や「「世間」を構成するルールとは何か」など、本書にはさらに詳しく「空気を読む」ことに関して、理解を深められる内容が記載されています。

あなたの中に相対的な見方を取り入れる機会として、本書をぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

本記事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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