「話す」ことは、「離す」ことです『ほどよく距離を置きなさい』

悩みを人に話す
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人間関係を築くのが難しい理由

「距離感」という言葉があります。

この言葉が使われるのは、主に人間関係でしょうか。

「距離感が近すぎる」とか「距離感が遠い」など、相手との心理的な距離を表現する際によく使われる言葉です。

心理的な距離は人間関係に多大な影響を与えますが、心理的な距離は近すぎても遠すぎてもいけません。

だからこそ、人間関係を築くのは難しいんですよね。

もしあなたが人間関係で悩まれているなら、ここはあえて一歩引いて距離を置いてみてはいかがでしょうか。

距離を置いてみることで新しい発見があるかもしれません。

今回ご紹介する『ほどよく距離を置きなさい』は、弁護士として複雑な人間関係を間近で見続けた著者が、自身の経験談を基に人間関係の付き合い方を指南してくれる本です。

いつも本サイトを訪れて記事を読んでいただき、ありがとうございます。

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もつれた糸をほどくには

著者の湯川久子さんは弁護士です。

九州で第一号の女性弁護士として有名になり、2017年に本書が発売された当時90歳でなお、現役で弁護士の活動を続けていました。

60年余り現役で活躍されていた著者ですが、弁護士として複雑な人間関係を数多く見てきた経験から、人との関わり方についてどう思っているのかを、本書の「はじめに」で以下の通り書かれています。

ほどよく距離があるとき、人は不思議と優しくなれるものです。

誰かと関わるとき、その対象との距離感を測りながら、もっと近づきたいと押し過ぎたり、自分なんてと引き過ぎたり、時に間違い修正したりしながら人間関係を織りなしていく。

人生とは、その時々で誰かとのちょうどいい距離を見つける作業の連続です。

人生をある程度長い期間生きたなら、最も心地よい距離を自分で見つけたいものです。

それが私の思う成熟した大人のイメージです。

この本で私がご提案したいと思うのは、ほどよく距離を置くという心掛け。

それは自分の夫や妻、子供や嫁、婿に対して、そしてご近所さんや長年の友人に対しても。

自分が思っているよりも、もう半歩だけちょっと距離を置いてみると、いつもより少し優しい自分になれるような気がするのです。

(『ほどよく距離を置きなさい』より引用)

人に優しくなりたいなら、今の人間関係に半歩だけ離れて少し距離を置いてみる。

「人間関係には距離感が大切である」という著者の考えが、上記の引用から読み取れます。

なぜ著者は、人間関係には距離を置いてみることが大切だという考えに至ったのでしょうか。

その理由を次の通り述べています。

近すぎる人はもつれます。

多くの人間関係の絡まりは、距離が近すぎるが故に起きるもの。

私はこれまで60年余りの弁護士人生で、ありとあらゆる人間関係のもつれた糸の交通整理をしてきました。

正しく引っ張りさえすれば簡単にほどける糸。

固い結び目になってしまった糸。

そのもつれ具合は様々ですが、絡まった糸の中にいる限りはほどく術が見つかりません。

でも、絡まった場所から一歩引いて、外からそれを見ることが出来たら、解決の糸口が見つかります。

つまり、自分の身に起きている問題や悩み事とほどよく距離を置くことが出来たなら、物事は解決に向かう。

法という潤滑油を用いて、硬い結び目に見えた糸のほつれをほぐしながら、多くの方の人生の転機に立ち合わせて頂いたことは、私にとって大きな学びとなりました。

私は法律家ですが、私が弁護士人生の大半を捧げた民事裁判での法とは、裁くのではなくほどく為の法です。

人の心は法で裁くことは出来ず、法廷で裁かれる勝ちあるいは負けが人生で本当の幸せを決めることはありません。

勝ったはずの人生が重苦しく、負けたはずの人生が軽やかで心地いい。

そんなことも往々にして起こりうる。

法で裁けない複雑でグロテスクな人間模様を目の当たりにしながら、本当の幸せとは何なのかを思いを馳せ続ける弁護士人生でした。

(『ほどよく距離を置きなさい』より引用)

多くの人間関係の絡まりは、距離が近すぎる故に起こるもの。

この文章に心当たりがある人は多いのではないでしょうか。

距離が近くなると、相手に遠慮が無くなります。

遠慮が無くなると、相手と肩肘張らずにコミュニケーションが取れるというメリットがありますが、失礼なことをしてしまったり言ってしまう危険性もあります。

「相手に言い過ぎてしまったな」と思うのは、友人関係よりも家族関係の方が思い浮かびやすいのではないでしょうか。

それだけ相手との距離が近くなると、問題が起こる確率も上がってしまいます。

距離が近くなりすぎることで人間関係に問題が生じ、絡まったりもつれが出て来てしまうわけですが、そんな時に一歩引いてみることで問題は解決すると著者は語ります。

上記の引用の通り、距離を置いて離れた場所から見てみると、冷静さを取り戻し思考を落ち着かせられます。

「民事裁判での法とは、裁くのではなくほどく為の法です」と述べられていますが、想像していた民事裁判のイメージに対して違和感を感じられたのではないでしょうか。

「法廷で裁かれる勝ちあるいは負けがその後の人生の幸せを決めるわけではない」という言葉に対しても、「敗訴よりも勝訴の方がいいに決まっている」と思われたはずです。

ですが、著者の弁護士事務所に来られた相談者達のその後の反応を知ると、その言葉の意味がわかります。

私の依頼者の中で、苦しい状況を乗り越えた後で幸せを手に入れた方は、「これが私の人生」と受け入れ、真っ直ぐ前を向いた方です。

離婚や遺産相続の相談の際には、「これから先どう生きていけばいいのかわからない、昔仲の良かった家族がこんなにも揉めるなんて」と悩み抜いた方が数年後に、「おかげさまで今はとても幸せです」と微笑まれるとき、その表情は誇りに満ちています。

私がこの仕事をしていて、心からよかったと思える瞬間です。

人生の苦しい時期、うまくいかずに悩むとき、「こんなはずではなかった」と目を背けたくなるものですが、誰のせいにしても結局はそれがあなたの進んできた道です。

大切なのは今いる場所にしっかりと足をつけ、体ごとしっかりと前を向くこと。

そしてこれから歩む道を自分の意思で選び、歩んでいくことです。

(『ほどよく距離を置きなさい』より引用)

人生で上手くいかない時に、目を背けるのか、それとも前を向いて問題と向き合うのか。

立ち向かうことだけが全てではないし、私は目を背けて逃げてもいいと思います。

ですが、逃げ続けるのはお勧めしません。

かと言って、立ち向かい続けるのもお勧めしません。

大切なのは塩梅です。

自分自身の今の状況を鑑みながら、あなたの意思で次の行動を決めて欲しいと私はそう思います。

逃げることも立ち向かうことも、自分の意思で決めてください。

その判断を誰かに委ねて楽になりたい気持ちは私もよくわかりますが、自分で決めることに価値があるのです。

なぜなら、自分で決められる行為こそが唯一、問題の解決に向かって前に進む一歩を踏み出せるからです。

そうすれば、過去を振り返り続けて誰かのせいにし続けてるのを止めて、今に意識を取り戻せます。

今に意識を向ける大切さを、著者も聖書から言葉を引用して次の通り述べています。

聖書に、「後ろの物を忘れ、前の物に全身を向けつつ、(中略)ひた走る」というフレーズがあります。

(フィリピ信徒への手紙、3章、13、14節)

これはキリストの弟子となって世界中を駆け回ったパウロが、自分の歩んできた道を振り返って言った言葉です。

パウロは最高の教育を受けた誇り高いユダヤ人でしたが、その誇り故に人生の目的を失いました。

彼は過去の栄光を後ろの物として忘れ、振り返ることなく目標に向かって邁進し、喜びや愛、救いという宝を手にしたのです。

人生の中で起きた辛い出来事、家族や伴侶との問題、人間関係の不和を解決する糸口は過去にはありません。

過去の栄光に縋っても、未来は見えません。

今どう動くか、ということにしか答えはないのです。

今を生きていく内に、過去歩んできた道、これから歩む道が輝いて見える日が必ず来ます。

「あの時、ああしていれば」は禁句です。

過去にこだわっている限り、新たな道を選ぶことすら出来ないのですから。

この道は私が選び取った道。

そう思えたとき、これまでの人生が輝いて見える。

最後に目的地に辿り着けるなら、どの道も間違っていない。

(『ほどよく距離を置きなさい』より引用)

人生に後悔はつきものです。

私自身もたくさん後悔しながら、ここまで生きてきました。

「あの時、ああしていれば」という言葉も人生で数え切れないほど思い言い続け、現状に目を背けて生きていた時期もありました。

ですが、先述した通りそうやって過去にこだわり続けている限り、新しい道を選ぶことは出来ません。

それは私も実体験として経験しています。

だから、今に目を向けて、自分の意思で道を決めることが大切なのです。

しかし、今に目を向けたくても、目を向けられない人もいることでしょう。

そう思ってしまう人は心の中では今に目を向けた方がいいと思いながらも、頭の中は過去を振り返り続けている状態だとお察しします。

過去への執着は、自らの意思だけではなかなか手放すことが出来ません。

では、どうすれば手放すことが出来るのでしょうか。

それは話すことです。

話すことで、離すことが出来る

「話す」ことは、「離す」ことです。

日本語には数多くの同音異義語がありますが、それらは密接に繋がっているように思えます。

心の中に溜め込んだ苦悩や怒りを言葉にして誰かに話す事は、心の治療の様な効果があります。

ただそれだけで苦しみから解放されていくようです。

誰にでも経験があるかと思いますが、悩みがある時、自分にとってそれが途方もなく大きく、抜け道一つ無いように思えるのに、誰かの相談に乗っている時にはいくつもの解決策が浮かんで、すぐに実行に移せば解決するような気がしてくるものです。

(『ほどよく距離を置きなさい』より引用)

自分が抱えている悩みを誰かに聞いて貰うだけで、心は軽くなります。

そう断言出来るのは、過去に私も同じ経験をしたことがあるからです。

悩みを聞いて貰う時は、解決策を相手に求めなくてもいいのではないかと思います。

最初はただ自分が抱えている悩みを相手に聞いて貰うだけでいい。

そうすれば、「話す」ことは「離す」ことだと感覚的に捉えることが出来るでしょう。

著者の元に来られた相談者が「話す」ことで「離す」ことを経験し、その心境に訪れた変化を能楽の用語を用いて次の通り説明しています。

「離見の見」という言葉があります。

これは世阿弥(ぜあみ)が能楽論書、花鏡(かきょう)で述べた言葉で、演じ手が自らの身体を離れて客観的な視点を持ち、あらゆる方向から自身の演技を見る意識を意味します。

私のところに来られる相談者は、離婚や相続の問題など人生の大事件を抱えた方ばかりです。

その多くが来られた時は「もうお先真っ暗だ」と呟かれますが、帰られる頃には「ホッとしました。来てよかったです。これで解決出来そうな気がします」と笑顔になられることが多いのです。

これは法や私の力というよりも、相談者自身が離見の見を得て視野が広がったからなのだと思います。

人は一人で問題に向き合って考え込み、苦しんでいる時はとても狭い視野の中にいますが、法の知識と第三者の目に触れる時、自分の問題を客観的に見ることが出来ます。

そうすると問題の見え方も変わり、解決策が見えてくるのです。

正に話すことは、問題を自分から離して距離を置くことであり、手放すことです。

一歩距離を置くことが出来たなら、その問題に対する心の持ち方が変わってきます。

心の持ち方が変われば、問題との向き合い方も変わり、現実も変わっていくのです。

私は相談にいらした方に、「弁護士のところに来られた以上、必ず解決しますからね」とお伝えします。

それは励ましというよりは、問題からほどよく距離を置きながら、解決の糸口が必ず顔を出すということを、これまでの一万件以上の相談案件から知っているからです。

(『ほどよく距離を置きなさい』より引用)

悩みを抱えていると、自分だけの考えに囚われてしまいがちです。

この様な自分だけの視点で世界を見ていることを、能楽では「我見(がけん)」と言います。

自分だけの考えで悩みに向き合ってしまうと、悩みから抜け出せなくなってしまっています。

これは先述した引用で、「絡まった糸の中にいる限りはほどく術が見つかりません」という比喩がありましたが、正にその様な状態に陥っています。

その文章の後に、「でも、絡まった場所から一歩引いて、外からそれを見ることが出来たら、解決の糸口が見つかります」と続きますが、これが「離見の見」です。

一歩引いてみて、外からどう見えているのか敢えて距離を置いてみることで、自分だけの考えから抜け出せることが出来ます。

離見の見に関しては、離見の見まで考えてから話すと、相手に上手に伝わります『伝えることから始めよう』の記事でより詳しく説明を行っています。

もしよろしければ、この記事を読んだ後に併せてご覧ください。

その一歩距離を置いてみる行動こそが、話すことです。

話すことで離すことが出来るようになる、というわけです。

弁護士に相談に来られる方というのは、司法の手に委ねなければならないほど人生で何か大きな問題を抱えた方達ばかりです。

その様な方達が、自身が抱えている問題にどれほど苦悩しているかは想像に難くないでしょう。

弁護士にお世話にならない人生がいいと誰もがそう思いますが、実際に何か問題が起こった際は必ず必要な存在であり、そしてお世話になってしまう場面は当事者全員が苦しい思いに直面している時です。

それだけ苦しい思いをしていても、話すことで気が楽になったと答える相談者の数の多さを知ると、話すことによる心の治療の効果の大きさを感じられます。

本書で著者は、弁護士事務所を心の治療室だと比喩しています。

なので、悩みを話すことは恥ずかしいことではありません。

例え悩みを話せるような間柄の信頼出来る人であっても、いざ悩みを話そうとするとためらいや抵抗感が出て来て、言葉に詰まってしまうことがあるでしょう。

でも、少しずつでもいいので悩みを話し始めてみてください。

「話す」ことでしか、「離す」ことを実感するのは難しいのですから。

あなたが悩みを「話す」ことで、距離を置いて「離す」ことが出来るように、本書をぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

本記事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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