仏教の本質は「この世はすべてディズニーランドである」という考え方
ディズニーランドはよく「夢の国」と呼ばれます。
園内に入れば楽しいアトラクションがあって、胸が躍るようなショーが見られて、料理も世界観に合った、見て楽しく食べておいしいものばかりなので、「夢の国」と呼ばれるのも頷けます。
実際に、ディズニーランドから外に出た時に、名残惜しさから「現実に戻ってしまう」と口に出してしまう人も多いと聞きます。
実はこの一言に、仏教の本質が隠されています。
今回ご紹介する本によると、仏教の本質は、龍樹(りゅうじゅ)という人がたった一文字で言い表した「空(くう)」という考え方です。
そして「空」とは、本書の言葉で言えば「この世はすべてディズニーランドである」ということです。
ディズニーランドの中だけがフィクションなのではなく、私達が「現実」と呼んでいる世界も、言葉で作られたフィクションだというのです。
だとすれば、ディズニーランドを出て「現実に戻る」時、私達はフィクションから別のフィクションへ移動しているだけなのかもしれません。
この考え方は、難しい教えのように聞こえますが、実は私達の生きづらさをとても楽にしてくれます。
「自分は弱い」「自分には才能がない」といった、自分を縛っている言葉も、フィクションの一つだからです。
この記事では、仏教をディズニーランドに例えて解説している『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版、2024年4月刊)から、龍樹の「空」をわかりやすくご紹介します。
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東洋哲学は「楽になるための哲学」
著者のしんめいPさんは、32歳で無職になった上に、離婚を経験します。
虚無感に襲われ、実家のふとんから起き上がれない日々から抜け出そうと、本を読み始めました。
自己啓発書から西洋哲学へと渡り歩き、最後に辿り着いたのが東洋哲学でした。
本書によると、東洋哲学の内、インド哲学のメインテーマは「本当の自分って何だろう」という問いです。
著者はこの問いに東洋哲学から答えを導き出し、虚無感から抜け出して本書を執筆しました。
著者は、東洋哲学のいいところは「どう生きればいいか」がテーマであることと、「答えがある」ことだと述べています。
哲学には答えがないとよく言われますが、著者によると、東洋哲学にはしっかり答えがあるのです。
そして、自身の経験から、東洋哲学は楽になるための哲学だと語っています。
本書は哲学エッセイです。
著者は学者でも僧侶でもないので、「東洋哲学を一人の無職がこう受け取ったんだなと思って気楽に読んで欲しい」と前置きで書いています。
監修は、宗教哲学者で京都大学名誉教授の鎌田東二さんが務めています。
本書には、ブッダ、龍樹、老子、荘子、達磨、親鸞、空海の7人の東洋哲学者が登場します。
どの東洋哲学者も奥が深く、著者の解説もとてもわかりやすかったのですが、この7人の中で私が一番衝撃を受けたのが龍樹です。
ほかの6人はどこかでその名前を聞いたことがあるかと思いますが、龍樹という名前を初めて知った方もいると思います。
私も、龍樹の名前を聞いたのは本書が初めてでした。
龍樹は、200巻の教えを「空」の一文字にした人
龍樹は、2〜3世紀ごろのインドの僧で、「空」の思想を理論としてまとめ、日本では「八宗の祖師」とも呼ばれてきた人物です。
本書によると、ブッダの教えはもともと「心をよく観察すれば、自分がないとわかって楽になる」という、とてもシンプルなものでした。
ところが、ブッダが亡くなった後、「自分がない」とはどういうことかをめぐって、学者たちの議論が何百年も続きました。
その結果、教えは全200巻の『阿毘達磨大毘婆沙論(あびだつまだいびばしゃろん)』という書物にまとめられるほど、複雑になってしまいました。
文字を読めない人も多かった当時、それでは一般の人にはとても届きません。
そこに現れたのが龍樹で、本書は彼の功績を次のように紹介しています。
龍樹によって、200巻の教えになっていたブッダの教えは一文字になったのだ。
(中略)
漢字で「空」と書いて「くう」である。
(『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』より引用)
本書によると、龍樹によって仏教は誰にでも開かれた教えになり、大乗仏教として広まっていきました。
日本の仏教も、そのほとんどが大乗仏教です。
「空」とは、いるとも、いないとも決められないこと
では、「空」とは一体何なのでしょうか。
本書は、この世の全ては幻のように存在しているという龍樹の言葉を紹介し、それを「この世界は全てフィクションである」と言い換えています。
そして、フィクションの例として挙げているのがミッキーマウスです。
「ミッキーマウスは存在するか?」と聞かれたら、どう答えるだろうか?
みんなの心にはいる、でも実際にはいない。
いるとも、いないとも決められない。
この絶妙な感じ、これが「空」なのだ。
(『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』より引用)
ここで気を付けたいのは、「空」は「何もない」「全部無意味だ」という意味ではないことです。
仏教では、あらゆるものは他のものとの関わり(縁)の中で成り立っていて、それだけで独立した、変わらない実体はないと考えます。
この関わり合いを「縁起(えんぎ)」と言い、「縁起がいい」の縁起も、もとはこの仏教の言葉です。
ミッキーマウスも、それを好きな人達の心との関わりの中に、確かにいるのです。
フィクションでも、ディズニーランドの笑顔は本物
著者は、龍樹が言いたかったことを「この世は全てディズニーランドである」と表現しています。
ディズニーランドは、確かにフィクションの塊のような場所です。
しかし、そのフィクションを見ている人達の反応はどうでしょうか。
今、ディズニーランドにいる人々を想像してみてください。
その人々の表情は、笑っているのではないでしょうか。
ディズニーランドの世界はフィクションだけれども、その場にいる人々は作り笑いではなく、本物の笑顔を見せています。
ここにも、いるとも、いないとも決められない絶妙な感じが確かに存在します。
フィクションだから意味がないのではなく、フィクションの中でも、人は本当に笑うことができるのです。
「空」の概念がなんとなくでも掴めるような秀逸な例えだと、本書を読んで感心しました。
この世界は「言葉の魔法」でできている
ですが、龍樹は、ディズニーランドだけではなく、私達が生きているこの世界そのものが「空」であると述べています。
本書によると、龍樹は「この世界は言葉の虚構から生じている」と言いました。
著者はこれを、この世界は「言葉の魔法」が生み出した幻だと説明しています。
言葉の魔法がわかりやすいのは、肩書きです。
例えば、ある男性について、「年収5000万円」や「企業のCEO」という情報を先に伝えると、その男性は立派そうに見えます。
反対に、「無職」や「年齢不詳」という情報を先に伝えると、怪しそうに見えます。
同じ男性なのに、肩書きという言葉が変わるだけで、その人に抱く印象はかなり変わってしまいます。
これが「言葉の魔法」です。
肩書きがない人は、この世界には存在しません。
それは、この世界にいる全ての人達が、例外なく「言葉の魔法」にかかっているということです。
そう考えると、「この世界は全て空である」という龍樹の言葉にも、さらに共感が深まります。
冒頭の、ディズニーランドから外に出た時の「現実に戻ってしまう」という言葉も、結局はフィクションからフィクションに移動しているだけだということがわかります。
「自分は弱い、だから〜」は、龍樹が「戯論」と呼んだ考え
言葉の魔法は、私達が悩む時に自分自身に向けている言葉にも、かかっています。
本書は、私達が悩む時にやってしまいがちなことを、次のように書いています。
自分が「弱い」と前提を置いて、だから「恋人が出来ない」と結論付ける。
こんな感じで論理を組み立てて悩む。
(中略)
まず、自分が「弱い」という前提がおかしい。
(中略)
自分でクソしょうもない考えに入り込んで、出られなくなっているのが僕たちの姿なのだ。
(『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』より引用)
本書によると、「強い」「弱い」「良い」「悪い」は全部フィクションで、全ては縁次第でどんどん変わっていきます。
「弱い」は「強い」と比べた時にだけ生まれる言葉なので、比べる相手や場面が変われば、同じ自分が「弱い」とは限りません。
だから、変わらない「弱い自分」という本質は成り立たず、「自分は弱い、だから恋人が出来ない」「自分は才能がない、だから仕事が出来ない」という悩みも、前提から成り立たないのです。
龍樹はこういう間違った思考を「戯論(けろん)」と呼び、著者はそれを「クソしょうもない考え」と訳しています。
私自身、以前はメンタルを「強いか弱いか」という物差しだけで測り、弱い自分を責めて苦しくなっていました。
その頃のことは、メンタルには自分に合った概念で向き合いましょう『心の容量が増えるメンタルの取扱説明書』の記事でも書いています。
今思えば、私を苦しめていたのは「弱い」という事実ではなく、「弱い」という言葉の魔法に自分でかかっていたことだったのかもしれません。
変わることは、怖いことではなく自然なこと
この世界に変わらないものなど存在しません。
時間が流れれば、万物に変化が訪れます。
人間も赤ん坊から成長し、少年になり、青年になり、老人になります。
私達は、体の変化は自然なこととして受け入れられるのに、自分の考えや意見が変わることは、なかなか受け入れられないことがあります。
自分の考えに固執することで、自分らしさを保とうとするのです。
ですが、本書によると、変わらない個性や性格、アイデンティティというものは、そもそも成り立ちません。
縁というきっかけがあれば、どんどん変わっていくものだからです。
例えば、携帯電話も姿かたちをどんどん変えていきました。
最初は肩に掛けるカバンのような形だったのに、いわゆるガラケーになり、今ではスマートフォンになっています。
最初は「電話を持ち運べるようにする」ために生まれたはずなのに、今のスマートフォンにとって、電話は数ある機能の一つにすぎません。
そうした道具の変化は当たり前に受け入れられるのに、なぜか自分が変わっていくことは受け入れられないのです。
それは、自分の中で意見が変わると、「こんなに簡単に変えていいのかな」というためらいが生じるからではないでしょうか。
ですが、「変わらない」ことの方がよほど不自然です。
物の変化が人間の生活を豊かにしてくれるように、心の変化も人間の生活を豊かにしてくれます。
今まで考えていたことや価値観が変わることは、恐怖でもなんでもなく、それが自然の流れだと受け入れてしまえば、変わっていくことも怖くありません。
それに、この変化はあなたをいい方向に導いてくれます。
そう考えることによって、「クソしょうもない考え」に入り込んでしまっても、そこから出られるようになるでしょう。
「本当に自分が変われるのか」という不安については、変化が怖いなら水に学ぶ、形を変えても本質は失わない生き方『「水」のように生きる』の記事でも書いています。
自分に貼った言葉を、紙に書き出してみる
もし今、「自分は〜だから、〜できない」という考えから抜け出せないなら、紙とペンを用意して、次の順に書いてみてください。
- 自分に貼っている言葉を一つ書く(「弱い」「才能がない」など)
- その言葉は、誰と、どの場面で比べた時に生まれたのかを書く
- 比べる相手や場面が変わったら、その言葉がどう変わるかを書く
三つ目が一つでも書けたなら、その言葉は変わらないあなたの本質ではなく、縁次第で変わるフィクションだったということです。
本書で紹介されている7人の東洋哲学者の内、1人の龍樹をご紹介しました。
ほかの6人も、著者の例えと解説がわかりやすく、気軽な気持ちで東洋哲学を学ぶことが出来ます。
今まで難しそうだと感じていた仏教を理解して、あなたなりの答えを見つけ出す「縁」として、本書をぜひ読んでみてはいかがでしょうか。
本記事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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こちらの記事は「心理的な抑圧を緩和する」に分類される記事です。
「心理的な抑圧を緩和する」に関して詳しく知りたい方は、まとめ記事一覧表(心理的な抑圧を緩和する)をご覧ください。


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