人類の歴史に脈々と受け継がけてきたある言葉
古来から私達の生活に欠かせない必需品である、「水」。
水に関する言葉は古今東西どの時代にもどの場所にも存在しており、物質的だけではなく、言葉としても精神的に私達を支えてくれています。
あなたは水に関連する言葉を思い出してくださいと言われたら、どのくらい思い出せますか?
時代と国籍を問わず多くの人々から紡がれてきた言葉を紐解くことで生きるためのヒントが見つかるかもしれません。
今回ご紹介する『「水」のように生きる』は水の言葉の歴史と人々の思いに触れられる書籍です。
「老子」から「鬼滅の刃」にも注目される水のある性質
水に関連する言語表現がどのくらい前から使用されているかご存じでしょうか。
古代中国の思想書の「老子」に水を使った表現があります。
老子が成立したのは紀元前6世紀頃と言われており、日本では縄文時代に当たります。
数千年前から水に関する表現が存在していて、悠久の時を経た今もその言葉が残っているなんてロマンを感じませんか。
その老子に記載されている水を使った代表的な表現が「上善(じょうぜん)、水の如(ごと)し」です。
「上善」とは、「最善の生き方」のことを指しており、「人間にとって最善の生き方とは、水のように生きること」という意味です。
「老子」の中では「水のように生きること」に関して様々な角度から解説を行っています。
数千年前から水に関しての表現は数多くありますが、注目される性質は「柔軟性」です。
「老子」の中でも水の柔軟性に関する表現がいくつも使われており、日本のことわざにも水の柔軟性を示すことわざが複数あります。
代表的なことわざをひとつ挙げると「水は方円の器に随(したが)う」です。
「方」とは四角形のことで、「円」は文字通り円形のことです。
水には器の形に従って、自ら形を変える柔軟性があります。
このことわざの意味は、人は交友関係や環境によって、よくも悪くもなることのたとえです。
最近では大人気漫画である鬼滅の刃の影響でこのことわざを知った方もいるのではないでしょうか。
鬼滅の刃の主人公の竃門炭治郎の剣術の師匠である鱗滝左近次が、作中に登場する剣術のひとつである水の呼吸をあらゆる状況の戦闘場面で柔軟に対応が出来ることのたとえで、このことわざに近しい言葉で解説しています。
実はフィクションだけの世界ではなく、実際に戦いがあった戦国時代にも水の性質を人生の教訓として広めた人物がいました。
「水」のように生きられない障害となっているもの
軍師として豊臣秀吉の家臣であった武将の黒田如水は「水五訓(水五則とも言う)」と呼ばれる人生訓を作成し子孫や家臣たちに与えていました。
その水五訓の中に水の性質に関する一箇条があります。
「水は、広い海となり、蒸発しては雲となり、雨や雪にも姿を変え、霧ともなり、水面はものを映す鏡にもなる。しかし、どのように姿を変えても、水としての本質を失わない」というものがあります。
この言葉は、「どんなに状況が変わろうとも、大きな信念を変えないで生きていくことの大切さ」について述べられています。
(『「水」のように生きる』より引用)
生きていると自分の意志とは関係なく、今までに全く興味がなかった新しいことをしなければならない場面に遭遇することが何度もあります。
その際にまずはその状況を受け入れてみることから始めてみてはいかがでしょうか。
今までに興味がなかったとか経験をしたことがなかったからと言って、年齢を重ねるほど新しいことに取り組まなければならないときに言い訳を並べて、心の中に失敗した時の不安に対する防波堤を第一に作りがちです。
禅の言葉に「行雲流水」という言葉があります。
人間にとってもっとも幸せなのは、自然の流れに逆らうのではなく、雲や川の水のように、流れにまかせて生きていくことだという意味です。
人間は環境に順応できる能力を誰しもが生まれつき持っていて、それはあなたの中にも必ずあります。
幼少期の頃、目に入る新しい物事に目を輝かせながら熱心に取り組むことは誰もが経験したことのある道です。
当時は目新しいことがあればすぐに興味関心が向いていたはずなのに、今は新しい情報を耳に入れることすら抵抗がある。
それは新しいことに失敗をしたときに、自分が傷つかないように今まで築き上げた心の防波堤のせいです。
様々な性質に変化自在になる可能性を秘めているのに、それ自身が変化を拒むのは非常にもったいないと思いませんか。
たとえ性質が変わっても、あなた自身という本質が失われるわけではありません。
そして変えられる選択肢は常にあなた自身の中に確かに存在して、それを選ぶ権利を持っているのもあなた自身です。
己の性質を見直して変えられる可能性を改めて実感するために、本書を読んでみてはいかがでしょうか。
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